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風纏う者  作者: 峰子
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第2話『満月の夢』-前編

 ≪真名の儀≫は神聖な儀式だ。ただの名付けの儀式とは違う。


 子供は真の名を与えられ、その名は命に結びつく。真名は持ち主の行く末やその存在の意義を端的に表したもので、親兄弟にも真名を知らせないという者も決して少なくはない。

 真名を教えるということは最大級の信頼の証だった。


「君には呆れたな」


 泉からの帰り道、アジュが小さくため息をつきながら言った。アジュは人の姿をしている時よりも鳥の姿の時の方が愛想がいいように感じられる。ルーズァは多少むっとして親友を見返した。


「なんでだよ」


 ちらりと視線を寄越して来たアジュの菫色の瞳だけが鳥の姿の時と変わらない。


「いくら≪真名の儀≫を終えて嬉しいからって、早速俺に真名を教えるんじゃ、音くくりのまじないをかけた意味がないじゃないか」


 冷めた口調のアジュに、ルーズァはさも当然と言うように言ってのける。


「だって、≪兄弟≫のアジュになら教えてもいいと思ったんだ」


「………君は単純過ぎる。物事はもっとよく考えた方がいい」


「なんだよ、それー」


 ルーズァは「喜んでくれると思ったのに」とぶつぶつ言いながらアジュを横目に睨み付けたが、彼はそっぽを向いて抗議を無視する。名付けによって≪兄弟≫となった息子たちの会話を聞きながら、マリウは終始にこやかにアジュを見ていた。


「……俺の顔になにかついてますか、長」


 アジュの拗ねた口調にマリウは思わず噴き出した。


「そなたは堅苦しいの」


 余人の在る前では、アジュは決してマリウを父とは呼ばない。マリウは≪風≫の長であり、自分は里の者のひとりであるとして振る舞おうとする。僅か十の子供とは思えない生真面目な息子の性格を、マリウは愛している。ともあれ、子供は手がかかる方がいい。

 マリウはルーズァの頭を撫でると、声を落として囁いた。


「アジュは照れておるのよ。そなたがあまりに素直ゆえな。本心では真名を教えてもらったのが嬉しくてたまらぬのであろう」


「聞こえてますよ、父上!」


 わざと聞こえるように話すマリウにアジュは真っ赤になって言った。


「アジュは怒ると怖いのう」


 マリウは父親の顔で笑った。

 帰り道が街の街道に至る手前がルーズァと≪風騎士≫親子の別れの場所となる。三人はそこで立ち止まった。


「では我らはここで。そなたは我が子ゆえまた会うこともあろう」


「ありがとうございました!俺、自分の名前大事にします」


「名付けた甲斐があろうというもの」


 マリウは柔和に笑った。顔はアジュとそっくりだが、マリウとアジュとでは雰囲気が随分と違う。彼は柔和な物腰ではあっても≪風騎士≫としての力を感じさせた。力あるがゆえの余裕があるせいなのだろうか。


「しかし、アジュではないが、真名を教える相手はよくよく見定めよ。そなたの命を預けても良い人物かどうかをな」


「はい、大丈夫です。アジュは親友だから」


 明け透けな信頼にアジュは思わず小さく唸った。マリウはまたそれを笑ってルーズァの頭を撫でる。


「そなたのその素直さも大事にするがよい」


 ルーズァが頭を撫でられながら嬉しそうに身体を縮めた。


「……長、お願いがあります」


「ん?どうした、アジュ」


 何かをねだるなど、この息子にしては珍しい。彼は少し言い難そうに視線を逸らした。頼みごとに慣れていないのだ。


「今、音くくりのまじないをかけてくれませんか」


 アジュの意図を察して、マリウは優しく笑ってひとつ頷くと指を高く弾いた。パチン、とまるでシャボン玉が弾けるような音がすると、アジュとルーズァだけの音の世界が出来上がる。


「せっかく教えてもらったから、俺も教えとく。俺の真名はアジュ=(キョウ)=カールッティケーヤ。≪涼やかな響き≫っていう意味だ」


 ルーズァはにっこり笑った。それはもう、顔全体で笑ったような笑顔だ。


「いい名前だな。アジュによく似合ってる」


「……君の名前の方がよく似合ってるよ」


「教えてくれてありがとな」


 差し出された小さな手を躊躇いつつ握った手の主は、物慣れない口調で呟いた。


「………ありがとう」


 何を、とはルーズァは問わなかった。真名を教えてもらったことの礼だと思う。素直ではないのだ。伝わったという証に、アジュの手をぎゅっと握ったところで音が弾けた。

 括られていた音の世界が解放されたのだ。


「行こうか、アジュ」


「はい、長」


 日が暮れ始めて茜色が流れ出す空に、二羽の鳥の姿が消えて行った。ルーズァはふたりに手を振って別れを告げた。








________________________________________








 その日の夕食はお祝いだった。ルーズァの母であるエリナ=リアは、一番上の娘であるナラと一日中家に籠ってごちそうを作っていた。

 ルーズァを連れて帰るなり、カレルはいい匂いを嗅ぎつけて台所までやって来た。そのごちそうの量に目を瞠った。


「今日は随分張り切ったんだね」


「ルーズァのお祝いだからな」


 答えたのはナラだった。ナラはルーズァより四歳年上の姉で、ルーズァとその双子の妹、ルビーンズの面倒をよく見ている。


「このミートパイはナラが手伝ってくれたのよ」


 料理を食卓に並べながら、エリナが言う。ミートパイは食卓の真ん中に据えられた。


「へぇ、すごいね、ナラ。えらいえらい」


 カレルは娘に笑いかけて頭を撫でようとした。が、今年十になる娘はこうして子供扱いされるのを嫌がるようになった。


「父さん、子供扱いはやめてくれ」


「子供扱いじゃないよー。母さんを一日手伝ったナラを褒めてあげたいんだ」


 言うと、カレルは胸より下の高さにある娘の頭を撫でた。


「…髪が乱れるじゃないか!」


「それはすまない」


 照れつつも、引込められた手を形ばかり恨みがましく見送りながら、ナラは乱れた長い髪を撫でつけた。


「わー!いいにおーい!」


 帰って来て手を洗い終えたルーズァが、ルビーンズと一緒になって軽い足取りで居間に駆け込んで来た。服装と髪の色以外はうりふたつの双子が走り込んでくる様は愛らしい。


「こら、走るな。危ないだろ」


「転ばないわよ」


「お前達じゃない。料理の心配だ」


「ナラ姉ちゃん、ひでぇ!」


「騒ぐなー。座れー」


 シドが間延びした声で双子の孫を食卓に追い立てる。

 ルビーンズはシドに手伝われながら椅子に座り、ルーズァはルビーンズの隣の自分の席に飛び乗った。


「こら、ルーズァ!テーブルがひっくり返る!」


 ナラが小さく握った拳でルーズァの頭を押し付けた。


「痛い!痛いって、姉ちゃん!」


「お前が言うことを聞かないからだ。お前のためのお祝いの料理をひっくり返す気か?」


 小言を言いながら、ナラもルーズァの隣の自分の席に着く。


「ルーズァがミートパイが好きだからって、ナラが頑張って作ったのよ」


「えー?姉ちゃんが?」


 頭をこすりながら姉を見上げると、彼女はすました顔をして咳払いをした。


「ナラ姉ちゃん、お母さんに教わりながら頑張ったのよ。あたしも手伝ったの」


「ルビーは何をしたんだ?」


「あのね、お料理に使うハーブを取って来たりね、テーブルを拭いたりね、お部屋のお掃除もしたのよ」


「そうか、ルビーも頑張ったな。えらいえらい」


 祖父に頭を撫でられてルビーは声を立てて笑った。


「だってお兄ちゃんのお祝いだもん」


 ルーズァは双子の妹の手を握って笑った。


「ルビーもナラ姉ちゃんもありがとう」


「おめでとう、ルーズァ」


「おめでとう」


「これでやっとお前も成人だな。肩の荷が降りたぜ」


 家族が口々に言う祝いの言葉に、ルーズァは名前に似合いの明るい笑顔で応え、テーブルに所狭しと並べられたごちそうを頬張った。

 好物のミートパイは本当に美味しくて、ルーズァは二回もおかわりをした。それを見て作り手のナラは満足そうに笑った。


「おなかいっぱい!ごちそうさま!」


 ルーズァがすっかり膨れた腹を抱えて椅子の背に寄りかかる。隣でルビーンズも同じ格好をしていた。

 食事を終えたところで、エリナ=リアが書斎からひとつの長い包みを持って来た。


「ルビーンズのお祝いには月輝石を贈りましたからね。ルーズァにもお祝いよ」


「おじいちゃんと、僕と、お母さんからだよ」


 エリナ=リアから受け取った包みからカレルが取り出したのは、ルーズァの身の丈には少し大きい剣だった。きちんと鞘に収まって、それはしんと黙りこくっている。


「お前はきっと立派な術師になる。だから今からこの剣に慣れておいで」


 そう言われて、ルーズァは少し気後れがしてカレルの手からその剣を受け取れずにいた。

 ちらりと横を見ると、隣に座った双子の妹の胸元には月輝石のペンダントが虹色の輝きを放っている。


 ≪真名の儀≫を終えた子供にはその力が象徴するものを与えるのが慣わしだった。ルビーンズのように普通の子供には、智を授かるようにと、≪月≫の象徴である月輝石が贈られる。

 その子供が持つ≪力≫が≪火≫なら杖、≪水≫なら杯、≪地≫ならコインを贈る。


 剣は≪風≫の象徴だった。


「…でも、風術師(シャンザ・カリエ)になるって決まったわけじゃないけど」


 ≪力≫があるのは明らかでも、ルーズァはどの要素の≪力≫を持っているのだか、未だ判然としない。ただ強い≪力≫を持っていることしかわからないのだ。


炎術師(ファリエ・カリエ)でも地術師(ウェリエ・カリエ)でも水術師(キュエ・カリエ)でもいいんだ。ルーズァにはこれが必要になる時がきっと来る」


 そう言われてはルーズァも黙って受け取るしかなかった。


「……すぐ使えなくなっちゃわないかなぁ」


 ルーズァも年頃のわりに小柄とは言え、成長は早い。ついこの前まで着ていたシャツがすぐに着られなくなってしまうことはしょっちゅうだ。剣も同じで、大きめに造ってあるとはいってもすぐに身体の成長の方が剣を追い越してしまう。


「それなら大丈夫。この剣はケルン石で鍛えてあるんだ」


「ケルン石?」


「世にも珍しい成長する石さ。持ち主に合わせて形を変える。特別な製法で造ってあって、≪火の森(ファル・ミシィ)≫の近くにあるギナファ国から取り寄せたんだ」


「そんなにすごい剣なのか」


「いいかい、ルーズァ。何度も繰り返すが、お前の≪力≫はとても大きい。剣と同じように、その使い方を間違ってはいけないよ」


「……うん」


 ルーズァは受け取った剣を懐に抱きかかえて頷いた。


「稽古は明日から私がつけてやろう」


 ナラは≪真名の儀≫の折に剣を授かっている。まだ風をそよがす程度だが、ナラは風術師であった。そして彼女は剣術の使い手でもある。

 ナラはルーズァの剣を見てにんまり笑った。


「………ヤダ」


「なんだと!」


「だって姉ちゃん絶対スパルタだもん!父さんにつけてもらう!」


「僕が教えられるのは基本だけだよ。その先はナラに教えてもらいなさい」


「えー!!」


「あたしも一緒にやりたーい!」


 片手を挙げてルビーが名乗りを上げる。慌てたのはルーズァだった。


「ルビーはだめ!危ないだろ!」


「えー、やだー!お兄ちゃんと一緒にやるー!」


「……その方がナラも無茶せんだろう。よし、ルビーにも軽いのを誂えてやろうな」


 シドが好々爺の笑顔でルビーの頭を撫でた。シドは孫の中でもルビーンズには特別甘い。笑ったルビーの胸元で月輝石が光を反射する。


 ≪月≫の力を持つ子供はこの世にはいない。なぜか、人間には生まれないのだ。≪(イムヒ)≫は智の象徴である。これ以上の智を人間に与えるのは自然が拒むのだろう、と言う人もいた。


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