表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
風纏う者  作者: 峰子
1/9

第1話『風の森』-前編


 その昔の世界は生あるもの全てが意思と心を持ち、日々満たされて幸福のうちに暮らしていた。

 花は大地を飾り、樹は風と遊び、魚は水の流れにくすぐられて笑い、獣は火のぬくもりに癒され、鳥は宇宙にある月のどんなに美しいかを歌った。

 それは彼らがいたからだった。全ての理の根底に光を通わせ、全てをあるべき姿に保っていた。

 彼らはこの星の全ての中心で、糧だった。彼らは慈悲深く、聡明で、純粋であった。


 やがて、何の力も持たない、貧弱な種族が現れた。


 力では≪火≫に及ばない。≪水≫のように与える力もなく、≪地≫のように作る力もなかった。だが、彼らは豊かな心を持っていた。生あるものの内にある名前を引き出し、命を吹き込む力を持っていた。

 彼らは火や水や地を名づけ、称える歌を歌い、神にも近い存在たる彼らを≪近しい者(アン・フォー)≫と呼び、敬った。

 ≪近しい者≫はそれを喜び、彼らに≪神と大地の間の人(ファナ・ハルマサ)≫という名を贈った。


 人間の誕生である。


 ≪近しい者≫は≪風≫に言った。


「この御子らに全ての恵みを。そして守護を」


 ≪風≫はそれを受けて、人間の護り人となった。

 ≪近しい者≫は≪月≫に言った。


「この御子らに全ての恵みを。そして知を」


 ≪月≫はそれを受けて空に在り、星と共に人間の標となった。

 ≪風≫は人間をよく護り、≪月≫は人間を教え導いた。

 ≪火≫は人間に他の生あるものと同じように温もりを与えた。≪水≫と≪地≫は共に人間に潤いと豊穣を与えた。


 皆が皆、人間から贈られた名を喜び、人間に能う限りの恵みを与えた。

 人間はその恵みを喜び、≪風≫に護られ、≪月≫に学び、名付けの力を彼らのために使った。

 やがて人間は欲という知識を身につけて、名付けの力を欲のままに使い始めた。


 ≪火≫にもっと暖を、と言い、≪水≫にもっと潤いを、と言い、≪地≫にもっと食物を、と言った。


「≪神と大地の間の人≫の子らが、名付けにより星の理を崩してしまった。我らはもうここにはいられない。≪風≫よ、お前達は子らをよく護るのだ。やがて≪月≫がその役目に従い、子らに力のあるべき道を教えよう」


 ≪近しい者≫は≪風≫にそう告げ、星を去った。

 ≪近しい者≫がいなくなり、星は理の根底の光を失って均衡を崩し始めた。

 ≪火≫と≪水≫と≪地≫は大地にくだり、均衡を保った。

 ≪月≫はもう、人間を教えもしなければ導きもしなかった。≪月≫は人間の目から姿を隠し、時が来ることを待っていた。≪近しい者≫が再び戻るその時を。


 そして時は流れ、人間達は≪近しい者≫を忘れ、≪火≫を、≪水≫を、≪地≫を、≪風≫を忘れた。


 しかし、皆、人間達に与え、護り続けた。




【創世記】―≪祠の書≫第1章








________________________________________








 大きな街道を、少年が駆け抜ける。薄茶の髪を後ろでひとつに束ね、それが駆けるリズムに従って左右に元気よく揺れる。少年の足はとても速かった。大人と競っても負けた事のない俊足は、少年にとっては大きな誇りだった。

 街道脇の刀剣屋から亭主が出てきて、朝の街の空気を吸い込み背伸びをしていた。ルーズァはその目の前を走り抜けようとしていた。


「よう、ルーズァ。朝早くっからどこに行くんだ?」


「≪風の森(タブ・ミシィ)≫!!うちのじいちゃんが、おっちゃんにまた頼みたいっつってたよ!!」


 ルーズァと呼ばれたその少年は立ち止まりもせず、大声を張り上げて刀剣屋の亭主の目の前を走り抜けて行った。ルーズァの髪が、自らの起こした小さな風で宙に巻いた。亭主は彼の相変わらずの俊足に感嘆の声を漏らす。


「おや、今の、ルーズァかい?」


  刀剣屋の女将が店先に顔を出しながら言った。ルーズァの走り去った道の先を見て、


「エリナに伝言頼もうと思ったんだけどねぇ」


 亭主は呵々と笑って、自分の女房を振り返る。


「あいつも止まる事を覚えりゃあ、いい伝言板になるんだがなぁ」


 暢気に笑う刀剣職人の夫を軽く睨んで、女将が小さく溜息をついた。


「それよりお前さん、シドの得物はどうするのさ?ありゃあ、一日仕事なんだよ」


 女将の言葉に、亭主は大袈裟に額をぴしゃりと叩いて、


「おおっと。そうだ。あーあ、ルーズァの奴。どうせなら得物持ってきてくれりゃ、一流だろうになぁ」


 心底面倒臭そうにゆっくりと腰を上げる亭主に、女将は非難がましく眉を上げて、小さな目を出来る限り見開いて見せた。


「まあ、なんてこと言うんだろうね、この人は。無理お言いでないよ。ルーズァみたいな小さな子供に、あんな重いものが抱えられるって思うのかい?」


「つったってお前、ルーズァももう六つだぞ?≪真名(まことな)の儀式≫だって、もうすぐじゃねえか」


 ≪真名の儀式≫で真の名を与えられ、子供は人となる。人として一人前に扱われるようになるのだ。古いしきたりだが、儀式が行われるのは六大元素、すなわち≪(タブルシャン)≫、≪(イムヒ)≫、≪(ウェイラ)≫、≪(キュリエ)≫、≪(ファリエ)≫、≪近しい者(アン・フォー)≫ にちなみ、六歳の年に行われるものとなっている。


「同じ六つの子供の中でも、ルーズァはとびきり小柄なんだ。さあさ、朝一番の仕事ができたじゃないか。早く得物を預かっといで」


 抵抗も虚しいと見るや、亭主は腰を伸ばして伸びをした。


「やれやれ。せっかちなかかあだ」


「お前さんに合わせてたら日が暮れちまうよ」


 亭主は苦笑して、


「おまけに口も減らねぇ」


 すかさず女将も、


「いい嫁さんもらったもんだよね、お前さんも」


 威勢のいい笑い声と共に、亭主を見送った。








________________________________________








「アジュ~?アジュ~ッ!!」


  ルーズァは深緑の中で呼ばわった。あまり大きな声で呼ぶので、木がそれに応えるように揺れ、笑うように葉を揺らした。

  いや、笑ったように見えたのは、風が森を撫でたからだ。そして、風が吹く時は、彼が近くにいる時。

  ルーズァは空を見上げて、つい先刻呼ばわった友人の姿を探した。


『こっちだ』


 笑いを含んだ少年のような声に、ルーズァは勢いよく振り返った。

 そこに佇んでいたのは、ルーズァの身の丈に届くほど大きい白い鳥だった。

  いや、白、と言うよりは銀色に近い。まだ朝の気配のする木漏れ日を反射して、羽根が淡く光を放っていた。

  鳥は、その菫色の目を細めて、ルーズァに歓迎の意を表した。


『迷わなかったみたいだな』


 偶然にアジュに出会ってから、ルーズァは度々この森の深部まで訪れるようになった。ある日出会った、人の言葉を話す不思議な白い鳥。鳥は自分の名前を「アジュ」と名乗った。彼は人から身を隠してこの森に棲んでいるのだという。

 ルーズァは、人の言葉を話す鳥ならそれは人間にとって珍しいだろうと納得し、アジュとの友情は誰にも話していない。隠している方がわくわくするような秘密なのだ。


「もう何回ここに来てると思ってるんだよ。いい加減、俺を子供扱いするのはやめてくれよな、アジュ」


『…≪真名の儀≫を迎えるまでは、君は成人前だろう?』


 くくっと喉を鳴らして、アジュは首を傾げる。こんな仕草が人間臭い。


「俺だって、もうすぐ真名をもらうんだ!」


 ルーズァの意気込んだ口調に、アジュは目を見開いた。


『≪親≫が決まったのか?』


 ルーズァは一瞬言葉を飲み込んだが、すぐに勢いよくまくしたてる。


「…双子の妹のルビーンズだって、先の月に真名をもらったんだ。俺だってすぐもらえる!」


『しかし君の≪力≫に見合うだけの術者が街にいるのか?君の父親も祖父も街ではそれなりの術者だと聞くが、彼らでも駄目だったのだろう?』


 ≪真名の儀式≫で名付け親となる者は実の親も同然となる。名前の絆は血ほども濃い。名付け親はその子供を新しい理の世界に招き入れるだけの力がなくてはいけないのだ。


「……じいちゃんが、知り合いの術者に聞いてくれてるんだ。絶対に見つかる」


 言葉とは裏腹に、ルーズァの表情には不安が滲んでいた。

 アジュは、きっと人間は誰にも読めない、その菫色の瞳の奥で、何かを考えているようだった。

 来た時とはうってかわって、しゅんとうなだれてしまったルーズァを見て、アジュはちょっと困ったように小首を傾げた。


『その…俺はまだ年が年だから無理だけど、俺の一族の長に訊いてみるか?俺の父上だが、人間の術者とは比べ物にならない力を持っているし…』


 ルーズァはふっと苦笑して、明るい声で言った。


「いいよ、アジュ。 お前の種族は、人間から身を隠して暮らしてるって言ってたじゃないか。人里に降りて来い、なんて言えないよ」


『そう。だけど… もしも本当に困ったら、君なら、長も力を貸してくれる』


「俺なら?」


 目を丸くして見返すルーズァに、アジュは力強く頷いて見せた。


『君は特別だから』


「俺の目が変だから?」


 ルーズァの≪力≫の大きさを表すものの一端として、彼の目の色があった。ルーズァは感情によって目の色が変わる。その色は六大元素を表しているのだという。≪力≫の大きい者は、ルーズァのように稀に特異体質を持つ者がいる。


『君の目は、≪力≫の恵みの証だよ。自然との結びつきが強い証拠』


 そして、アジュは頭を巡らせて森の木々を見た。アジュに優しく微笑まれて、森は喜んで、笑った。


『本当はこの森も、普通の人間なら、こんなに奥まで入れはしないんだ。森が、俺達を隠してくれているから。森に選ばれた君は、特別なんだよ。森にとっても、…俺達一族にとっても』


 アジュにその気はなかったが、ルーズァはそれを重い責任として受け取ったようだった。

  真剣な眼差しで森の木々一本一本を打ち眺め、ルーズァは何かを考えているようだった。


『だから、君が困ってるんなら、長も何とかしてくれるよ』


「…父さんが言うんだ。世界中の五つの森は、要素を象徴してるんだって。≪ 火の森(ファル・ミシィ)≫は≪(ファリエ)≫、≪水の森(キリ・ミシィ)≫は≪(キュリエ)≫、≪地の森(ウィル・ミシィ)≫は≪(ウェイラ)≫、≪月の森(イム・ミシィ)≫は≪(イムヒ) ≫、そして、≪風の森(タブ・ミシィ)≫は≪(タブルシャン)≫。≪(タブルシャン)≫は≪創世記≫では人間を護る者だから、俺の街は幸福なんだって。いつも護られている事を感謝しなさいって言うんだ。俺の儀式も、そういうことなんだよな?」


『…そうか。カレルは≪近しい者(アン・フォー)≫の研究者だったな。詳しいはずだ』


「うん。昔、母さんと一緒に≪古き祠≫を建て直してからは、もうずっと研究してる。おかげで街ではちょっとした変わり者扱いだけど」


 街の東にある巨石群。それをルーズァの父、カレルは≪古き祠≫と呼んでいる。一際大きな岩を中心に取り囲むように五つの大岩が配置されている。五つの大岩にはそれぞれ≪火≫、≪水≫、≪地≫、≪風≫、≪月≫を象徴する文様らしきものが彫られている。

 そして、それぞれの要素の刻まれた方角の延長線上に世界の五つの森が存在している。古代の何者かが明らかな意図を持って配置したとしか思えないというのは、研究者たちの一致した見解だった。

 ただし、この遺跡を残した文明は不明で、同様の特徴を表す遺跡は世界のどこを探してもここだけであった。


 謎多き遺跡なのである。


 遺跡の地下には古代の文字でいくつかの物語が彫られている一室があることがわかっており、大昔の学者によって書物に著された。

 それが【創世記】と呼ばれるものであり、一部の研究者の間では世界の原初の成り立ち、とりわけ≪真名の儀≫の成り立ちを紐解く重要な手がかりであるとされてきた。

 カレルは【創世記】のほんの序盤に記されている ≪近しい者(アン・フォー)≫に特別な興味を持ち、研究している。この街に住んでいるのも研究がしやすいためであり、彼は元々余所者だった。

 この街に来る前のカレルのことを、実はルーズァは全く知らない。ルーズァが知っている父は、学者でありながら≪風≫を操る術者でもある柔和な人である。


「父さんは、俺に≪近しい者(アン・フォー)≫の話をしてくれた後で絶対にこう言うんだ。≪ 近しい者(アン・フォー)≫はこの星にはなくてはならない種族だったって。全ての基盤だったんだって」


『その通りだ』


 アジュが力を込めて頷いた。

 街では変わり者扱いされる大好きな父の話をアジュは笑わないで聞いてくれる。人間の友達とは少し違う、彼はルーズァにとっての理解者とも言えた。何でも素直に話せる人ならざる大切な友だった。


「父さんの話を聞くたびに思うんだ。人間たちは、護られたり与えられたりするだけで良いのかなって。俺達も、何が出来るか考えなきゃいけないんじゃないのかな?寄りかかってばっかりじゃ、向こうも辛いんじゃないか?」


『向こう?』


 人間臭く、アジュが首を傾げる。


「う~ん…≪(ファリエ)≫とか、≪(キュリエ)≫とか、≪(ウェイラ)≫とか?そう、自然!!自然に、人間が甘え過ぎちゃいけないんじゃないかって。なんかお返しできてるのかな?」


 思考の戸口に立ったルーズァを、アジュがそれとなく出口へ導く。


『ルーズァは、名前の意味を知っているか?』


「名前?俺の?」


『君だけじゃない。生き物全てが名前を持つ意味さ』


「意味…?」


『この世界は、名付けられることで初めてその輪に加われるんだ。

名前をもらうと、世界から色々な恩恵を受けられるが、同時に責任も負う。ルーズァはまだ≪仮名≫だから、責任を果たせなくても恩恵を受けられる。どうしてそういう仕組みになったか、思い当たる事はないか?』


「あ!≪神と大地の間の人(ファナ・ハルマサ)≫は≪近しい者(アン・フォー)≫に名前を贈ったんだ!」


 ぱっと表情を明るくしたルーズァに、アジュも思わず微笑んだ。


『そうだよ。名前をもらうというのは、命を授かるにも相当することだ。自然を受け入れ、自然の輪の中に入る。互いに助け合う。この星で、なくてはならないこの仕組みを最初に作ったのは人間なんだ。人間は、初めて秩序を作った。これはとても大切な事なんだ。だから、人間は恩恵を受ける資格がある』


「…でも、俺が作ったわけじゃないぜ。 それでも、俺はお前の一族の長を頼っていいのか?」


 アジュは、何かを言いかけて、そして苦笑したようだった。

 と言っても彼は鳥なので、人間臭いその仕草が苦笑したように見えただけだった。


『いいんだよ。頼っていいんだ。 自分ひとりで出来る事は、驚くほど少ないんだから』


「…それなら、頼ってもいいか?本当に、本当の本当に≪親≫が見つからなかったら」


 頑固者なりに素直なルーズァに、アジュは微笑ましい気持ちで頷いた。


『長に話しておく』


 アジュがしっかりと請け負ったので、ルーズァはやっと難しい顔の皺をほぐした。


「アジュも、長に真名を付けてもらった?」


『ああ。俺の一族は、ほとんどの者が長に名付けてもらう』


「じゃあ、もしも長が俺の名付けの≪親≫になったら、俺とアジュは≪兄弟≫だな!」


『ああ。そうだな』


 いつだって素直に笑うルーズァを前に、アジュは優しい気持ちになれる。


  自分とは種族の違う、≪人間≫の少年を前に。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ