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終末の鼓動

真夜中に見る謎の怪人の夢。

いつもすんでのところでお母さんが起こしてくれる。

階段を登って今日もやってくるアイツ。

暑く寝付けない夜――夢とうつつの端境の真夏の夜の悪夢。

ドンドンドン


階段をのぼってくる音がする。


ドンドンドン


あの足音は男だ。 荒っぽく野蛮な足音。

乱暴で重い足どりはきっと大男だ。

僕のいる二階をめざしてゆっくりとのぼってくる怪人。


ドンドンドン


真夜中の布団の奥で息をひそめている僕。

僕の家を探し当てた怪人は怒っている。

今日いたずらをしたのがばれて怒っている。

幼稚園で女の子の髪を泣くまでひっぱった――それを怒っている。

そして怒ることを楽しみ、僕をこらしめることを喜んでいる。


ドンドンドン


「お母さんっ」

怖さに耐え切れずに悲鳴を上げる。

隣に寝ていたお母さんは僕の大声にびっくりして飛び起きた。


「ごめんなさい。もうしないから。ごめんなさい」

お母さんの腕の中で泣きじゃくってあやまる。

「寝ぼけたのね。夢なんだから大丈夫よ」

おびえた僕をぎゅっと抱きしめて、背中をとんとんしてくれる。

鼻水と涙でぐちゃぐちゃの顔と、寝汗でびっしょりのおでこをタオルでぬぐってくれる。あたたかで優しいお母さんの腕の中で、僕の冷たく強張った体はほぐれていく。

もう、大丈夫――そして、まだしばらく続く夜に向かってまどろんでいく。


大丈夫、ここにはこない。 お母さんがいるから。

あれは夢だ。 夢のなかにいる怪人だ。

大丈夫、お母さんのそばにいれば大丈夫。




ドンドンドン


階段をのぼる音。 あいつだ。


ドンドンドン


だからお母さんに、電灯は消さないでっていつも頼んでいるのに。

ひとりきりで部屋で寝るのは怖いんだ。

お母さんが隣に寝にくるまで電灯はつけといてって言ったのに。


ドンドンドン


いつも途中でさめる夢。 夢だけどやっぱりアイツは怖い。

じっとりとてのひらにかいた汗を握りしめる。

ツーっと背中に嫌な汗が伝う。


ドドドドドドドド


階段をかけのぼってくる! 一足飛びに!


そしてドアの前で一度止まり、僕の部屋の様子をうかがう。

お母さんがいるかいないか。 

アイツはお母さんがいるところには入ってこれないから。

長い長い――だけどほんの少しの静寂。

そしてドアのノブが「カチリ」と回る。


お母さん、お母さん、怪人が来た!

起こして! お母さん、怖いよ!

僕の絶叫――そして目が覚める。


そして、僕の隣にはお母さんがいて――






ふと、目を醒ます。 子供の頃の夢を見た。

携帯を見ると午前2時。

クーラーも取り付けられないようなベニヤの古い安アパート。

扇風機がかき回すぬるい風。 暑くて寝付けない。

来年こそはもうちょっとマシなアパートに越してやる!

――と、夏になると毎度毎度思う。

でも仕事で忙しく、まともに家で寝る時間はわずかだし、涼しくなるとケロッと忘れてしまう。

夏の暑さ以外はどうってことのない住まいなんだ。

実際、夏場は忙しくて自宅にはあまり帰れないことが多いし。

クーラーが効いたオフィスで仮眠をとったほうが疲れがとれる気すらする。


「はぁ、あじィ」

仰向けの姿勢からなるべく布団との着地面積を減らそうと横向けになる。


すると、あの

――ドンドンドン――

という地の底から怪人が階段を這い上がってくるような音が聞こえる。


「ガキのころは、マジ、怖かったなァ~」


そう、これは俺の心臓の鼓動だ。

枕を頭につけるとこめかみのあたりから響いてくる自分自身の血液が巡る音。

だから俺が怯えて動悸が早まると「ドドドッ」っと足音が早まった気がするんだ。

子供の頃って物事をよく知らないくせに、想像力だけは豊かだからなぁ。

しかし、あの「怪人」はマジ怖かった。


「はぁ…」

へんな時間に起きたので、なかなか寝付けずにため息が漏れる。

子供の頃は暑さなんか感じなかったのになぁ。

それともヒートアイランド化か? 異常気象か?

地球ももはやこれまでか? マヤ暦っていつだっけ?

結局世紀末には大魔王は降ってこなかったわけだし。 

わけもなく怖かった分だけ、かえってうさんクセェ。

子供よりいい年した大人のほうが怖がってたな。


どうでもいいことをだらーっと考えていると、思考はほどけばらばらになって。

そして、また眠りに落ちていく。




ドンドンドン


あれは僕の心臓の音だよ


ドンドンドン


こめかみで脈打つ血の音が男の足音に聞こえるんだ


ドンドンドン


でも、それってホント?




俺をいつも起こしてくれた優しい母は、数年前の夏の終わりに心不全であっけなく逝ってしまった。

優しくて働き者で、疲れているのに――

僕が夜の闇に怯えていると、優しく不安をぬぐいさってくれた。

どんな時だっていつも揺り起こして優しく声をかけてくれた。

夜、働きに出る時は「夜中に目を覚ますと怖いから電気つけてって」とワガママを言ったっけ。

女手ひとつで僕を大学まで行かせてくれて、就職も決まり、これからって時に死んでしまった。

かなり無理したんだろうな。 体もあまり丈夫じゃなかったから。

来週は三周忌。 忙しいけど休みをとらなきゃな。


だから、俺を起こしてくれる人はもういない。

あまり裕福ではなかったから、小さな部屋を借りて二人で寝起きしていたんだ。

狭い部屋で二人で並んで寝てた日が懐かしいよ。


うなされても起こしてくれる人は――もう、いない。




――でも、それってさ、俺のせいじゃない?


ドンッ


俺が無理させたんじゃない?

一瞬、心臓を素手で握りつぶされたような気がした。

あの怪人は俺なんじゃないか?

疲れている母をゆっくり寝かせてやれなかった俺なんじゃない?


ドンドンドン


いや、そんな事はいまさら考えたってしょうがないことさ。

悪夢にうなされてただけだし、子供にはよくあることだ。

もちろん悪意があってしたことじゃない。

夜中だし、子供の頃の記憶が夢のなかで混乱してごっちゃになっているんだな。


ドンドンドン


母の命日も近いし、寝苦しいし、何もかも悪く考えてるだけだ。

でも、ああ、そんなに動揺すると…


ドッドッドッドッ


真夜中の怪人が階段を駆け上ってくる。

少し身を屈め、ドアのノブに手を掛ける。


カチリ


俺の体は強張り、身動きひとつできない。

月明かりにぼんやりと浮かぶドアから目が離せない。

暑くて汗が止まらないのに、鳥肌が立っているのがわかる。


母がいたから、母が起こしてくれたから、夢のここから先は見たことがない。


ヒューッと息を細く吸い込む。

次、吐き出す時は、多分絶叫だ。

でも起こしてくれる人はもういない。


そして、ドアはゆっくりと開いた。


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