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モルグ

ゲートは侵入者を防ぐためではなく、魂を守るために存在する

私は先生と一緒に「ここ」を守っている。

小さな子供たちを拾い集め、なるべく消さないようにこの密やかな領域を守っている。先生は子供たちを守るために昼間は「学校」を運営し、夜間は「家庭訪問」を受け付けている。24時間体制はキツイけど、子供たちを守るためだから仕方がない。


真夜中にお客様がいらっしゃるというので、私は夜更かししてその準備をしていた。

うるさい下級生たちを寝かしつけ、家の中を手早く片付ける。そもそもお掃除はあまり得意ではないし好きじゃない。でも先生のために先生の手が回らないことをする。

この家の大人は先生だけで先生ひとりじゃ手が回らないから。


「寝てていいよ」

――と言ってくれる優しい先生。

へそ曲がりな私は怒られると言うことをきかないけど、褒められたり優しくされると無性にはりきってしまう。

大好きな先生のためには何でもしたくて。先生のそばにいられるならどんなことでも多分、する。


真夜中の家庭訪問。

霧が煙る夜道の奥から車が現れ、先生のうちの小さな駐車場を占領する。車止めからはみ出しそうな豪華な外車が乱暴に止められると、クラスメイトがちょっとヒステリックな母親と一緒に申し訳なさそうに家に入ってくる。

私はコーヒーを出してお客様を迎えようとするけどどうしても揃いのカップが見当たらない。しかたがないので下級生の飲み散らかしたカップを手早く洗い、コーヒーを注いで持っていく。

コーヒー豆はもちろん最上級グレードの。私が先生に飲んでもらいたくてお小遣いを貯めて買った。もちろんお客様じゃなくて先生のため。贅沢をしたら先生が気を使うし、こんな風にしないと飲んで貰う機会がない。


――手元が暗いなぁ…


もう少ししたら私が卒業して働いて新しい明るい電球を買うことができるだろう。そうしたら夜中でも先生や下級生たちにお料理を作ることもできる。もうすぐだ。もうちょっとのしんぼうだ。


応接室からクラスメイトの母親の耳障りな声が聞こえる。いつもイライラ怒鳴ってばかりいるお母さん。

コーヒーを持って行くとクラスメイトのあの子は申し訳なさそうに小さくなってうつむいて座っている。あの子は嫌いじゃないけれど、お母さんが好きじゃない。視線を落とした彼女がとても気の毒だ。

あの子のお母さんが変われば状況がもっといい風に変わるのにな、と思う。もちろんあの子も先生もそのことに気づいてる。だからとても苦労してる。

あの子の「お母さん」がそのことに気が付かないとここに何度足を運んでも無駄なのに…。なのにあの子のお母さんは彼女がよくならないことに腹を立て、そのことで頭の中がいっぱいだ。


大人ってどうしてこんなに無知なんだろう。

答えは眼の前にあることに気が付かないなんて。それを子供のせいにして子供を変えようとしてる。自分は悪くない、間違ってないというその揺るぎない確信と自信はどこからくるんだろう。

変えなくちゃいけないのはあの子ではなくて、自分自身なのに。そうしないと…




意味のない長い家庭訪問が終わって――


私たちはすっかり疲れきり消耗し、また時間がオーバーして翌日になってしまう。ここんとこずっとその繰り返し。

(あの子のお母さん、悪化してるなぁ…)

母親の悪化と共に彼女の輪郭も日に日に薄くなっていく。

大人は悪化しても消えるわけでもないし、また子供は探せばいいし、そうやって何人もこの人は子供を消している。失って腹立ち傷ついて、また拾って腹立ち失う――延々その繰り返し。だったら拾わなきゃいいのに――と思うのにまたどこからか目ざとく子供を見つけてくる。

こんな大人から子供たちを守るために先生と私は頑張っている。




あの子に

「また、明日、学校でね」

と、こっそり囁く。


弱々しい笑顔をやっとの思いで見せた後、あの子は母親と一緒に車に乗り込む。

私は先生と一緒に玄関に並んで去っていく車を見送る。


先生も私もあの子も気がついている。彼女はそろそろダメかもしれない。

きっと、明日は学校にこれない。今までだってギリギリ頑張ってたんだ。


――多分もう無理だ。


学校どころか今、「ここ」に留まっているのもやっとなほどに追い詰められた可哀想なあの子。

彼女にはもう会えない。彼女は近いうち「ここ」じゃない場所で目覚める。「ここ」からは消えてしまう、もうじき。身近に先生みたいな人がいなかったら私だってこんなに長い間、「ここ」には留まれなかった。


「学校」は先生が作った。小さな子を少しでも消さないために。

迷子の子供がいたら私と先生が家に保護する。心ない大人に拾われて消されないように。運悪く大人に拾われその子供にされたとしても、いずれ消えてしまう運命でもその間を少しでも楽しく過ごせるように。


先生は学校で子供を集めて「授業」をするけど、授業が本来の目的ではない。心ない親と少しでも接触を減らし、親に気づきを促している。でも今まで「大人」に育った子供はいない。大人たちは子供たちを消すばかり。

子供を拾い「親」となった大人たちはどこからか迷い込んでせっかく「ここ」に辿りついた子供達をまた違う世界に追いだしてしまっている。


子供たちはいつもいつも途中で消えてしまうから――私がきっと「ここ」で初めて「大人」になる「子供」だ。そして先生と一緒にひとりでも子供を消さないように頑張るんだ。


暗い気持ちに胸がつかえ、足元を見つめている私の肩に先生はポンと手を置く。

優しい。そして強い。だから先生のそばにいるとほっとする。置かれた掌から暖かな気持ちが伝わってきて私の哀しい気持ちを溶かしていく。


家に戻ると子供たちはなぜか一階に集まって寝ていた。

年かさの子も入りたての子もギューギューに犇めき合って寝ている。人数が増えてきたので二階の部屋で寝るようにあれだけ言ってあるのに。


――油断も隙もない。


確かに居間の周囲は安心する気持ちはわかる。暖かいし、先生の側だし。

が、それは頑張ってる年長の私の特権で、これじゃ私が眠れない。

私だって二階から始めたのにな…と不公平な気分で子供たちに毛布をかけて回る。なんの心配もなくすやすや眠れるなんてちょっとだけ腹立たしい――と、ちょっとだけ大人になった私は思う。


「ここ」は先生と私が頑張って確保している「領域」なのに。


質素な布団を押入れの隅に一組見つけた。

子供たちを蹴飛ばしてできるだけ先生のそばに布団を敷く。ちょっと先生のいびきがうるさいかもしれないけど、明日、目を覚ました時一番初めに見るのが先生の顔っていうのはなんて素敵なんだろう。


――耳せん、どこだっけ?


時計を見るともう夜中の3時。「ここ」はいつもうっすらとほのかに赤く薄暗くて、時間の感覚がつかめない。


ふ、と心配になって鍵を確かめに行く。

これだけ小さな子たちが階下に降りてきたら誰かがいたずらしてドアの鍵を開けてしまっているかもしれない。

この家には玄関がいっぱいあるから何も知らない子供たちがうっかり開けっ放しにしているかもしれない。その恐ろしさを知らずに…


爪先立ちして鍵束を取り、全てのドアの鍵を掛けにいく。誰も侵入できないように。誰も「ここ」から離れないように。ここから消えてしまわないように。

戸締りぐらいはそろそろ私だってできる年なんだ。もう鍵束にも手が届くほど背が伸びたし。


先生が血相を変えて走ってくる。


ものすごいスピードで走ってるのに夢でも見てるかのようにゆっくりとスローモーで――先生が大声で叫んでいる。けどその声はとっても小さくて、何を言っているのかよく聞こえない。


「まって! そのドアに近づいちゃいけないよ!」


そのドアは開いていた。


私はハッと気づく。私はやっぱり早かった。まだまだ子供だった。

戸締りは先生に任せるべきだったんだ。ものすごい力で私はドアに吸い寄せられる。必死に差し伸べている先生の手がだんだん微かになって…


そして、目の前がゆらりと揺らぎ、ドアをくぐって――「ここ」から離れる。




私は目覚める。先生とは違う場所で。ひとりぼっちで朝を迎える。

そして先生も「大人」のひとりだったことに私はやっと気づく。

それでもほんのちょっとでも長く先生のそばにいたかった。


もう二度と先生と一緒にあの家で目覚めることはできない。

私は記憶を失って違う世界で目覚め、先生のいない苦しみで満ちた世界でひとり、生きるのだから。

この短篇集の全て、あるいは一部は予告なく削除される場合があります。

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