犬猫セット198000(イチキュッパ)
本日の目玉商品は「犬猫セット♪とってもお買い得!」
――定価19万8千円!
先着一名様限り!
イラスト提供:楠山歳幸様
いつも覗いている小さなペットショップ。
5番ケージに私のお気に入りのゴールデンレトリバーがいる。生まれたてで小さくて、ふわふわでつやつやの飴色の毛。くりくりのまあるいふたつの瞳で私を見つけると、もげそうな勢いでしっぽをふってかけつけてくる。いつも元気いっぱいの嬉しそうな顔。でもなかなか賢そうで、きっと大きくなったら私を守る立派なナイトになるだろう。今は私にお買いあげされる日をじっと待っている。
毎日覗くことにしているんだけど、このこのケージは下の方にあるから、お客が多い日はよく見えない時がある。ここのペットショップはわりかし人気があるらしく、いつも人が多い。そんな日はとても残念。私の伸びきらなかった身長もとても残念。
ここのペットショップには店員がいない。すべて自動販売機形式になっている。ケージが0番から20番まであって、入金してボタンを押すと、指定されたケージが開く。
血統書や飼い方のマニュアルも同時にプリントアウトされ、領収書が発行される仕掛け。要するにラーメン屋の自動販売機がちょっと進化したような、そんな感じ。
私はこのレトリバーが欲しくて欲しくてたまらない。でも、血統書付きらしくどういうわけか30万もする。コツコツバイトをしてお金を貯めているけど、こんなことしてたら、小犬の一番かわいい時期があっという間に終わっちゃう。で、私は最近焦っている。
今日はなぜか用事があって私はとても急いでいた。大切な用事なのにすっかり忘れていて、どんなに急いでも遅刻決定。その大切な用は何かは忘れた。けど、とにかく急がなくてはならなくて、私はずっと駆け足。
でも、ペットショップをチエックするのは忘れない。私の可愛いレトリバー、ジョン・J。(ちゃんと名前もつけている)
本日の目玉商品は「犬猫セット♪とってもお買い得!」
――定価19万8千円。
ショップのトップの0番・特価ケージに2匹ぎゅうぎゅうに押し込まれている。
茶色の毛糸玉みたいな小犬が、ケージの中から私めがけて体当するように何度もアタックしている。ふかふかでくるくるの小さなトイプードル。ちょっとも落ち着かなくてそわそわ。視線もキョロキョロ。それがすごく可愛い。ぎゅっと抱きしめたらばたばた暴れた後、観念してしかたなく私のほっぺをペロペロしてくれるだろう。
その奥にはまっしろな猫が迷惑そうに寝そべっている。醒めた目をして興味なさそうに、私を眺めている。ブルーの冷ややかな瞳。ツーンとした媚びない態度。エレガントな「お姫様猫」。何度もお願いして、お願いして、やっとちょっぴりだけ撫でさせてもらえる。そして私にしか撫でさせない。このこを撫でるのは私だけの特権。
そして驚いたことに特価セットには
「おまけとして5番ケージのレトリバーもプレゼント!」
と追記されていた。
――私の大好きなジョン・Jが「おまけ」にされてしまったことは心外だけど…。なんて素敵な抱き合わせ販売なんだろう。19万8千円で、私のナイト、ジョン・Jとふわふわくるくるの茶色のトイプードルととびきりお洒落でエレガントな白猫が手に入る。なんて、ラッキーな日なの?
でも、私はとても急いでいて、犬連れで目的地に行くわけにはいかない。約束を破るわけにもいかない。そしてすでにだいぶ遅れている。おまけに、残念なことに現金を持ちあわせていない。自販機なのでカードは使えない。
――お願いだから、用事をすませて戻ってくるまで売れないでいてね。
今日はもう、あとわずかしかなくて。明日になったら値も変わってしまう。こうなったらさっさと用事を済ませて買いに戻るしかない。幸いにここは24時間営業なので、「売れない」方向にかけるしかない。犬猫まとめて3匹お買い上げするもの好きは多分私ぐらい。…だとしても、ひどく不安で…
めめしく3度ほど振り返り、心を決めて目的地に向かって走りだす。早く戻ってこないとせっかくのチャンスがフイになる。
――急げ、急げ、急げ。
私はソファーの上でうとうとと思いにふける。
来月の強化合宿の参加費は2万5千円。参加部員は8人いるからぴったり20万が机の引き出しの中に入っている。今日中に払い込みに行って宿を確保しないといけないんだけれど…。
これをちょっと拝借すればあのトイプードルと白猫とジョン・Jが手に入る。
問題は、そのお金をどうやって私の夢の中に持ち込むかだ。
あの引き出しの中にある20万を夢の中に持ち込めたら…。団地住まいの私は、夢の中では2頭の犬と1匹の猫の飼い主になれる。初めて犬のリードを引いて私の犬達を私の気が済むまで散歩させる。それも2頭、いっぺんに。犬たちと歩きまわりさんざん疲れたその後には、白猫と毛布の中で一緒に寝ることができる。
ふかふかでつやつやの2頭と1匹の毛を思い切り撫で回し、心ゆくまで私のかわいいこ達を堪能できる。誰にも気兼ねなく、私の気の済むまで。私だけのかわいいこ達をひとりじめ。
雨音と土の湿った匂いが窓から流れこむ。
――ああ、雨が降ってきた…。早く洗濯物を部屋に取り込まないと…
思うだけで、体は重く動かない。動かないどころか、腕も上がらず目も開かない。けだるい初夏の午後。低気圧が低血圧にのしかかり、体は湿気を吸い込んでずっしりと重い。急がないと銀行が閉店してしまう。午後も遅い。
私はまた、夢の中に戻っていく。いつか私だけのこにするからね。いつか、必ず。
そして、夢の中でも飼うことのできない私のかわいい犬と猫たちに会いにいく。
夢の中のさらに奥。24時間営業の自販機のペットショップへと。
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