プロローグ
上着の胸ポケットから時計を出す。
鎖に繋がれた、それは自分の手のひらに丁度収まる。
お別れのプレゼントに、そう親友のユーリがついさっき渡してくれた物だ。
手先が器用なユーリお手製で、時計盤を覆う蓋の真ん中には両親の形見である青い宝石が輝いている。
正確に時を刻むそれは、5時を少し過ぎた頃を指していた。
村を出てから随分進んだ気がしたのに、時間は自分が思ったより進んでいなかった。
海洋都市ユーポラ。
そこは多くの人と物で溢れかえっている場所だと言う。
生まれてから村を出た事が無いミミトにとって想像する事など出来なかった。
唯一村とユーポラを繋いでいるのは村の行商役である数人だけ。
だからユーポラはミミト達村人にすると同じ国であっても未知の世界なのだ。
「お前さん、時計ばっかりみても時間は進まないぞ」
隣に座るアルクが笑いながら言った。
アルクは行商人のリーダーで、ミミトの願いを一番先に聞きいれてくれた人物だ。
勝手知った道なのか、手綱を取る手を休ませはしないものの、
前を向かないこともしばしばあり、今だって隣に座るミミトの顔を覗きこんでいる。
「だってもう随分遠く来たと思って…。それにしても景色変わらないんだね」
「当たり前だ。栄えてるのはユーポラ周辺だけだ。ここはまだ村からそう遠くない」
ミミトの前には走る馬と見渡す限りの平原が広がっている。
太陽はまだ顔を出したばかりで、周りはまだ薄暗かった。
それにしても。
ユーポラに行ったらあの人は見つかるのかしら。
魔術師になれるのかしら。
生活していけるのかしら。
ぐるぐると疑問が頭を過る。
自分が望んだとはいえ、知らない場所、しかも田舎から大都市へ。
不安が無い訳ではない。
アルクが手を尽くしてくれたお陰で魔術師の家に住み込める事になってはいる。
それはとてもありがたい事で、二度とない大きなチャンス。
ただ何よりの不安は自分の様な田舎娘が本当に上手くやっていけるのだろうか、ということだ。
「アルクさん、ウィリスさんってどんな人なの?」
「またその質問か?まあ心配なのは分かるけどなあ。…少々変わっているが、魔術師としての腕は一級だし、嫌な奴じゃない。やつとは古い付き合いだ」
「私上手くやっていけるかな…」
「上手く、か。あいつはなあ、なんていうか変わり者だ。会う前にこんな事言うのも何だが、無理だと思ったらそれはお前のせいじゃない。ま、そうなったら遠慮なく言ってくれ」
「…はい」
アルクが紹介してくれた魔術師の名は、ウィリス・アンダーソン。
村で手に入る数少ない魔術書の中で度々目にしてきた。
アルクが言うには高名な魔術師であるらしいし、ミミト自身、本を読んだ限りその知識の豊富さ、説明の分かりやすさには驚いた。
だからウィリスの家に住み込めるのは願ったり叶ったりの事だった。
しかしアルクの他にも行商役の人たちが口を揃えて言う、変わり者という発言が心に引っかかっていた。
「なに、そんな心配しなさんな。あいつは変わってるが一度理解すれば良いやつだ。ああ、そうだ朝早かったから今寝とけ。ユーポラ近くなったら起こしてやるから」
「眠くないよ」
「いいから。今日は長い。ウィリスの家に着く前に疲れたら元も子もないだろう?」
興奮しているせいか眠くはなかった。
だけどアルクの言う事はもっともで、このままずっと興奮していたらユーポラに着くときには疲れてしまうだろう。
「分かった。眠らせて貰うね」
「それがいい、良く休みな」
御者席の隣から後ろに移動して、備え付けられた簡易ベッドにもぐりこんだ。
体を横たえてみると意外な事に馬車の振動が心地よかった。
薄暗い馬車の中、やっぱり眼が冴えて色々な事が浮かんでは消えていく。
あの雨の日、自分を助けてくれた人。茶色いフードを被って、そこからこぼれる様に見えた金色の髪と、
初めて見た灰色の瞳、それだけだ。
それしか記憶にないのにその人を探すなんて馬鹿げた話だ。
それでも、ミミト自身不思議な事にそうしなければならないと強く思うのだ。
そしてあの時一緒にいた両親の事も、何があったのか知る為にも――――――。
そこで意識が途切れ、ミミトは眠りについた。
その瞬間、胸元のポケットの時計が、ミミトの運命の針を刻み始めた。