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データ改ざん

掲載日:2026/06/23

私は会社を辞めたいと考えていた。もう働けない。心身ともに限界だ。


私の働いている会社は談合とデータ改ざんで有名な会社だ。これまで数多くの不正が発覚し、マスコミから厳しく追及されてきた。その度に、わが社では内部調査が行われた。そして、全従業員を対象として、「発覚したケース以外に不正を知っているか」というアンケートが取られた。アンケートの結果は、皆「何も知らない」だった。しかし、実際のところは、皆知っている。データ改ざんを上手く指示した者から早く出世しているという実態を。


データ改ざんは、例えば私の居る部署では以下のような流れで行われている。


◆◇◆◇


(1)営業が、会社の技術レベルを大幅に超えた性能の製品を受注する。(こうしないと受注競争に勝てないので致し方ない面もあるのだが…)


(2)会社の技術レベルを大幅に超えているため、要求性能を満たせず、設計期間が当初の計画よりも大幅に超過する。これ以上遅れると納期を守れないという段階で仕方なく、要求性能を満たしているかのように、設計データの改ざんが行われる【一度目のデータ改ざん】。


(3)設計期間が大幅に超過したため、納期を守るためには非常に短期間で製品の製造を行わなければならない。製造ミスが生じても製造をやり直す時間的余裕は無い。そして、納期を守るため仕方なく、図面通りに製造されているかのように、製造ミスの隠蔽と製造データの改ざんが行われる【二度目のデータ改ざん】。


(4)設計データの改ざんと製造ミスがあるため、当然、製品の性能試験を行っても要求性能を達成できない。しかし、それでは製品を納品することができないため仕方なく、要求性能を達成しているかのように、試験データの改ざんが行われる【三度目のデータ改ざん】。


◆◇◆◇


このように、嘘を嘘で塗り固めるようにしてデータ改ざんは行われていくのである。これは、会社で行われている数多くの不正のうちの、単なる一例に過ぎない。





私は会社を辞めたいと思いつつも、なかなか決心がつかず、惰性で働いていた。


その日も午前中から上司に酷く叱責されていた。設計パラメータの微調整を何度繰り返しても要求性能を満たせないのだ。これは私の責任というよりも会社の技術レベルの問題だと思うのだが、私の責任であるかのように怒られてしまうのだ。上司は、部下を強く怒れば会社の技術レベルが上がるとでも思っているのだろうか?あるいは、部下が自分の意志でデータ改ざんを行う(上司は自分の手を汚さない)ことを期待しているのだろうか?私には分からなかった。


そして、これ以上遅れると納期を守れないという段階になると、上司は「設計スキル」、あるいは「設計ノウハウ」と称して、都合の良いようにデータの解釈を捻じ曲げて、要求性能を満たしていることにした。


また私は、本来は上司が行うべき筈だった仕事までさせられた。本来は上司が改訂すべきだった部署の資料を20年以上も放置していたため、部下がさせられる羽目になったのだ。私が入社する前のデータなども参照しなければならず、よく知っている上司が作業を行う方がよっぽど効率的だと思うのだが、上司は指示と叱責を繰り返すだけだった。


更に、上司の勘違いで怒鳴られることも何度もあった。

「ちょっと待てよおおおおおおおおおおお!〇〇〇〇〇〇のデータを持って来いと言っているだろおおおおおおお!!」

しかし、そのようなデータは実際には無いのだ。上司の勘違いだったのである。後に、そのことが判明しても上司は知らんふりだ。勘違いで怒鳴りつけたことについての謝罪も無い。


おまけに、上司は頭が固く、一度ある見方をするとなかなか別の視点で考えられない。そのため、上司は私の同僚達よりも理解力が低かった。別に、難しい判断を迫られる状況であるとか、上司ならではの特別な思慮が必要な場面とも思えないようなところで、部長だけ理解できていないということが何度もあった。そのため部長を理解させるのには多くの説明と時間を要した。部長は、生産性向上を目標に掲げておきながら、自分の理解力が低いために部下に余計な時間と労力を使わせているということに気が付いていないのだ。

「生産性向上には、もっと優秀な者が部長になるのが最も効果的だ。お前が部長を辞めろ!」

と、何度も心の中で叫んだが、実際にそんなことを言い出す勇気は無かった。





そして、その日の会社の昼休み、私は退職を決意した。しかし、その前に、今まで散々パワハラをしてきた上司に対して何か仕返しをしてやりたいと思った。そこで、部署で行われているデータ改ざんを告発することにしたのだ。


しかし、社内で内部告発したのでは揉み消されてしまう。過去に正義感の強い人が社内で内部告発をして、揉み消されて、左遷されていく様子を何度も見てきた。社内では駄目だ。お客さんの会社に告発しよう。私はそう考えた。


私はいつも昼休みに過ごす公園へ行き、ベンチに腰を下ろした。少し深呼吸をして心を落ち着かせて、お客さんの会社へ電話を掛けた。


「もしもし、株式会社〇〇〇の者です。弊社から御社に納品させて頂いた製品に関しまして、データ改ざんなど、嘘の報告が多数ありますので報告させて頂きます。担当のYさんにお繋ぎ頂けますでしょうか?」


私は自分の知っているデータ改ざんを全て、Yさんに話した。


通話を終えると、私はベンチから空を見上げた。そこには爽やかな青空が広がっていた。背伸びをして深呼吸をすると、春の暖かな風と公園に咲く草花の香りを感じた。


よし、これで会社を辞めよう。清々しい気持ちで立ち上がり振り返った、その瞬間、全身の血が凍りついた。私のすぐ横に上司のS課長が立っていたのだ。


「君…、まさか今の電話は…」


しまった!電話を聞かれていた!私は思わず息を呑んだ。しかし、私はもう会社を辞めるんだ。失うものは何も無い。そう開き直ってS課長に伝えた。


「はい。社内で行われていたデータ改ざんの件、全て先方に伝えました」


罵声か、あるいは掴み掛かられるか、私は覚悟して身を硬くした。しかし、S課長からは意外な反応が返ってきた。


「ありがとう!」


「えっ?」


「俺もこんなことしていては駄目だと思っていたんだ。ずっと頭がおかしくなりそうだったんだ…」


S課長はベンチに腰を下ろすと頭を抱えた。


「K部長からの指示だったんだ。指示には逆らえない。だが、K部長も更に上の役員から指示されていたらしい。そして、その役員も共同研究を行っている公的な研究機関から圧力を受けていたと言われているが、実際のところは分からない。狭い業界だから自浄作用が働かないんだ。皆、自分の出世と保身のことばかり考えて、会社が破滅に向かっていると知りながらブレーキを踏めなかったんだ…」


そうだったのか。組織の巨大な歪みの構造を、私は春の公園の真ん中で初めて知った。


「君の勇気に感謝する。この際、会社の膿を全て出し切ろう。そして、俺達でこの会社を良くしていくんだ!」


「はい!」


差し出された課長の手は、汗ばんでいたけれど、確かに熱かった。





その1年後、会社は倒産した。会社が溜め込んでいた膿はあまりにも多過ぎた。巨額の賠償金と信用失墜に、会社は耐えることができなかった。


上司への仕返しから始まった私の告発は、社会的に意味のあるものだったのだろうか?この事件を教訓として組織の不正が少しでも減れば、私は社会の自浄作用の一端を担ったと自信を持って言えただろう。


しかし、それは甘い幻想だった。企業の不正が暴かれ、一つの組織が消滅するたび、社会はそれを「トカゲの尻尾切り」のように切り離し、何事もなかったかのように代謝を続ける。人間が集まり、組織というマクロな構造を作る以上、そこには必ず歪みが生じる。それは熱力学第二法則のように、不可逆で、決して抗えない社会の性質なのだ。


私はハローワークに向かう途中、本社ビルの前を通った。錆びついたシャッターが下りた本社ビルを見ると、一年前の春の、課長の熱い手のひらの感触を思い出した。そして、私が告発の電話を掛けた公園を訪れた。そこには、一年前と同じ、何も知らない清々しい春の風が吹いていた。しかし、その風の中に、この社会のどこかでまた新しい不正の歯車が回り始めているような、かすかな金属の匂いを感じた。





※この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。


(終わり)

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