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王子殿下の匂わせ婚約者

作者: せいかな
掲載日:2026/04/26

 王宮の大広間。

 高い天井には大きく煌びやかなシャンデリアが下がっており、床面は深みのある葡萄色の絨毯が敷かれている。壁にはたくさんの美術品が飾られて、宮廷楽団の調和のとれた美しい和音が序曲を奏で、舞踏会の始まりを合図した。


「マールティ公爵令嬢、ファーストダンスは私と踊っていただけませんか?」

「え? 私と……ですか……?」


 公爵家の娘であるオデット・マールティは困惑したように眉尻を下げ、少し離れた場所にいる美しい男をちらりと見た。

 視線の先の男性はこの国の第二王子、ラウル・ロワン・モーゼルド。


 彼はオデットの瞳の色と同じアクアマリンのカフスボタンを付け、上品なシルバーの刺繍の施された黒を基調としたテイルコートを着ている。

 オデットもまた、彼の瞳の色と同じアメシストのネックレスを首から下げ、シフォンが何層にも重なった紫のドレスにはシルバーの花の刺繍が入っていて、まさに彼とお揃いのように用意された衣装を着ていた。


「ファーストダンスは……」


 困ったようにラウルに視線を向けているとダンスに誘ってきた公爵令息は「噂は本当だったのですね」と諦めたように笑った。


「ファーストダンスは婚約者のラウル殿下と踊られますよね」


 オデットが「二曲目以降であれば」とダンスカードを差し出すと、彼はさらさらと名前を書いて「また後で」と去っていった。


 向こうの方から視線を感じるとすぐに「そうですよね。オデット様に誤解を与えることなんてできませんよね。失礼しました」と令嬢の声が聞こえた。視線を向けてきていたのは第二王子のラウルだった。

 あちらもファーストダンスを断っていたようだが、他の令嬢たちの「誠実で素敵よねー」という黄色い声まで聞こえてきた。


 ラウルが視線を合わせて近づいてくる。


「オデット、遅くなってすまない。令嬢たちに捕まってしまって」

「相変わらずおモテになりますね」

「君の方こそ」


 オデットがクスリと笑うと、彼は当たり前のようにオデットの手を取りダンスホールへとエスコートした。

 オデットも当たり前のように彼を受け入れる。


「きゃっ」

「おっと……!」


 オデットが足を躓かせてしまうと、慌ててラウルがオデットの身体を支えてくれた。


「気を付けて」

「ごめんなさい。足元が見えていなくて……」

「怪我がなくてよかった」


 いつも不愛想なラウルが安堵したように少しだけ微笑む。まさに婚約者にだけ見せる笑顔。周りからは「絵になる二人だ」と感嘆の声が漏れ聞こえる。

 だが、この二人は決して婚約者ではない。匂わせ婚約者をしているのだ。



     ◇



 三か月前の舞踏会でのこと。


「オデット嬢、ぜひ今度我が家に遊びにいらしてください」

「お父様の許可が取れましたら」

「ではマールティ公爵にもよろしくお伝えください」


 オデットは曖昧に笑ってダンスホールから抜け出した。

 踊り疲れてバルコニーに出る。柵に身を預けて夜風を感じ、ポツリと零れた言葉が重なった。


「「めんどくさー……」」


 驚いて顎を上げ、声のする方を振り向くと、きれいな顔に付いた二つの紫の瞳がオデットの方を向いて真ん丸に見開かれていた。


「えっと……マールティ公爵令嬢?」

「はい……ラウル第二王子殿下」


 お互いが誰であるかも認識している。


「あはははははは……」

「おほほほほほほ……」


 オデットは扇で口元を隠して笑ってごまかし、彼もまた失言だったと頬をポリポリと掻きながら笑っていた。


「「あ、あの……!」」


 また声が重なり、そこからは意気投合という感じだった。


 一国の王子と公爵令嬢。高貴な身分に人目を引く容姿の二人には婚約者がいない。舞踏会という場は未来の伴侶探しという大きな目的を持つ者が多く集う。

 オデットも両親からうるさく言われて参加しているのだが、とにかく異性からのアプローチがすごすぎて辟易していたのだ。そしてラウルもどうやら同じ状況らしい。


「婚約者でもいれば解決する問題なのだが……」


 こればかりは親が決めるものなので、自分たちにはどうしようもない。

 そこでオデットは良い方法を思いつく。


「お互いが婚約者のフリをするっていうのはどうでしょう?」

「婚約者のフリ? 勝手に婚約したなんて言いふらしたら陛下になんと言われるか……」

「違います。匂わせるだけです……!」


 オデットの言葉に「匂わせ?」とラウルが訝し気な顔をした。


「そうです。決定的な発言は避け、さも婚約しているようなフリをするのです」


 嘘はつかない。勝手に周りに誤解をさせるだけ。

 すると、ラウルが「なるほど……」と手を顎に当てて考え答える。


「それは名案かもしれないな」



 それから二人は舞踏会のたびに示し合わせてお揃いに見えるような衣装を着る。ファーストダンスを二人で踊り、お互いが異性から話しかけられれば、相手をけん制するように間に入った。

 そんなことを繰り返せば、周りは勝手に二人が婚約者同士であると勘違いを始める。


「なんてお似合いの二人なんだ……!」

「第二王子と公爵令嬢なんて身分的にもぴったりで入り込む隙間がないわ……」

「マールティ公爵令嬢と話をしてみたくても、王子の視線が怖くて最近では話しかけることすら……」


 お互いの役割をきっちりこなすことで異性からのアプローチは激減した。


『どちらかに本当の婚約者ができたら止めにしましょう』


 そういう条件で始まった王子殿下の匂わせ婚約者だが、順調な滑り出しだった。



     ◇◆◇



「楽だなー……」


 ぽかぽかとした春の陽気に包まれながら、ラウルはのんびりと王宮の敷地内の庭園を歩いていた。

 以前までは庭を歩けば王宮へと足を運んだ貴族令嬢に囲まれゆっくり季節の花木を見る余裕もなかった。


 婚約者のいる兄と違ってラウルには婚約者がいない。ラウル自身も誰かと結婚したいとは思っていなかった。

 だが、王子という身分と王子らしい容姿は大層人目を引いて、貴族令嬢たちはラウルを放っておいてはくれなかった。


 そこであったオデットの提案。

 第二王子と公爵令嬢の婚約の噂は実に真実味を帯びている。


「で? ラウル。噂のご令嬢はどんな人なんだ?」

「品が良く、美しい方ですよ」


 ラウルは兄である王太子セヴランに素直な気持ちを答える。


「基本的には出しゃばらず、必要な時には声を掛けてくれる。ダンスは少し苦手な様子ですが、公爵令嬢らしい品のある立ち振る舞いで文句のない令嬢です」

「彼女がお前の妃の座を狙うために外堀を埋めようとしているということはないのか?」

「好意を持たれるようなら匂わせ婚約者なんてやめようと思っていたんですが、オデットからはそんな気配を全く感じないんですよ」


 オデットは舞踏会で匂わせ婚約者という役を全うするのみで、それ以外でラウルに絡んでくるようなことはない。ラウルの中で彼女は信用できる女性となった。


「へえ、王子妃の座に興味のない公爵令嬢、オデット・マールティねぇ」


 セヴランの顔に好奇の色が浮かんでラウルは慌てた。


「彼女は俺の……っ、い、いえ……兄上には婚約者がいるのですから、ご自身の婚約者を大切にしてください」

「純粋に面白いな、と思っただけだよ。私にまでけん制するなんて随分と余裕がないんだね」


 セヴランはラウルの反応を見てクツクツと笑い、揶揄われたラウルはむすっとした。


「ラウルがそんな様子なら、独身にこだわらず、いっそ件の公爵令嬢と婚約すればいいじゃないか」


 オデットとの匂わせ婚約が王家に不都合のある噂であれば王家が火消しに回るだろうとも思ったのだが、ラウルの両親である国王夫妻はそれをしなかった。きっと両親もセヴランと同じように思っているのだろう。


「身分的には申し分ない。信頼のできる女性なのだろう?」


 セヴランが続けて、ラウルは勢いよく「駄目です!」と返事をした。


「兄上……俺はモーゼルドの悲劇を繰り返したくないんです」


 ラウルがそんなふうに言えば、セヴランは「はあ」とため息を吐く。


「モーゼルドの悲劇……か……」


 『モーゼルドの悲劇』が起きてからまだ五十年も経っていない。国民の記憶には王弟といえば謀叛を企む悪しき存在という印象があるだろう。



 四十五年前。現王の先代の時代。

 当時のモーゼルド国王には王弟がいた。野心の強かった王弟は国内の有力貴族の令嬢と結婚をすると、妻の実家の権力を使い、兄王に対して謀叛を企み暗殺を企てた。

 当時の王弟の兄王暗殺計画は、計画半ばで謀叛が発覚し未遂で終わったが、暗殺を計画した王弟とその関係者は処刑をされた。

 その時の一連の出来事を国民は『モーゼルドの悲劇』と呼んでいる。


 まだその出来事が国民の記憶に新しいなかで、第二王子が誕生したのは良くなかったとラウルは思う。

 王家としては王太子のスペアがいた方が安心できたのかもしれないが、国民の中にはラウルが王家に謀叛を企てるのではという目で見る者もいるだろう。

 ラウルとしては父にも兄にも不満はなく、そのようなつもりは一切ないが、国民を安心させるという意味を込めてラウルは臣籍降下するまでは独身を貫きたいと思っていた。


 そもそもオデットは異性からのアプローチに嫌気がさしているのに、ラウルがそれをしたところで──。



     ◇



「オデット様、その髪飾り素敵ですね。よくお似合いですわ」

「ありがとうございます。この髪飾り、ラウル様が……ねっ?」


 オデットが隣にいるラウルに目配せをしてラウルが「ああ」と答える。


「まあ、婚約者様からの贈り物だなんて素敵……!」


 オデットが否定も肯定もせずに「ふふ」と笑った。


 オデットが今着けている髪飾りはラウルが贈ったものではない。オデットもラウルから贈られた物だとは一言も言っていない。

 彼女が男性から贈られた物を身に着けるとは思えないので、おそらく自分で用意した髪飾りだろう。それをあたかもラウルが贈ったかのように見せるのは、匂わせ行為としては有効的な手段だ。

 彼女とはただの匂わせ婚約者で、お互いその役を演じているに過ぎない。

 だが、なぜかラウルは面白くなかった。



     ◇



「え? この髪飾りを私に……!?」


 ラウルはオデットに似合いそうな髪飾りを用意して別の日の舞踏会の帰りに渡した。たくさんの宝石の付いた髪飾り。


「こんな上等な物をいただいて……よろしいのでしょうか……?」

「ああ、君に似合うと思って選んだんだ。次の舞踏会に着けてきてくれると嬉しい」


 ラウルが言うが、彼女はなかなか受け取ろうとしない。彼女の顔に浮かぶ色は困惑、だろうか。

 差し出してから、ハッとする。本当の婚約者でもないのにこんなことをしても彼女を困らせるだけだ。


「すまない。迷惑だったよな」


 軽く目を伏せ視線を逸らし、差し出した手を引こうとしたが「いえっ!」と彼女に止められた。


「うれしいです……! いただきます。ありがとうございます!」


 弾んだような笑顔が返ってきてホッとする。彼女は少し目元を赤らめて、それを大切そうに胸に抱いた。

 そんな態度を取られると期待してしまう。ラウルは自身の気持ちを押し隠すように補足した。


「匂わせといっても、ちゃんと贈った物があった方が真実味が増すからな」


 ラウルが言うとオデットは「あ」と表情を失くした。


「そ、そうですよね……えっと……次の舞踏会に着けてきますね。ありがとうございます」


 そう言って彼女はそそくさと馬車に乗り込み帰っていった。

 ゆったりと出発した馬車が見えなくなってからラウルは呟く。


「え……? 何、あの顔……? 本当に期待しても良いのか……?」



     ◇



 それからもオデットとの匂わせ婚約者の役割は続いた。


 ラウルが令嬢に囲まれるとすぐに近づいて来てくれたオデットだが、最近では視線を送っても気づいてもらえないことが多い。

 匂わせのために贈り物をしたと言い訳したことに不満を抱いているのかと心配したが、オデットが貴族令息に囲まれると彼女は不安そうにきょろきょろとラウルを探す。

 しばらく視線を巡らせたあとラウルの顔を見つけ、ホッとした表情に変わるところを見ると、贈り物の件を引きずっているわけではなさそうだ。


「オデット、足元に段差があるから気を付けて」

「ありがとうございます、ラウル様」


 ラウルはオデットを特別丁寧にエスコートする。彼女を大切にしたいことが行動に表れているのだろう。


 どちらかに婚約者ができたら終わりの関係だが、ラウルは臣籍降下するまで誰かと婚約するつもりはないし、オデットも事情があるのか誰かと婚約をするという話は上がってこなかった。


 だが、とうとうその関係が崩れ始める。




 ラウルが鍛錬のために騎士団で剣を振っているときだった。


「ラウル、辺境の地はどうだった? お祖父様の許可はとれたかい?」

「あっ、兄上……まだ、駄目みたいです。早くしたいんですが……」


 王太子のセヴランがやってくるが、彼の着ている服が鍛錬のための服装でない様子を見るとわざわざラウルと話すために来たようだ。


「ラウルが出かけている間に隣国から王太子が来てね。舞踏会の後で面白いことが起きたんだよ?」


 セヴランが楽しそうに話し出す。


「ん? 何があったんです?」

「隣国の王太子殿下がマールティ公爵令嬢を気に入ったようでね」

「は?」


 マールティ公爵令嬢というとオデットのことだ。


「紳士的な隣国の王太子は舞踏会が終わると彼女を馬車まで送っていった。そこで直球に彼女に婚約者はいるのか、と尋ねたんだ。だから彼女は、いません、と答えた」

「……っ」

「仕方がないよね。事実だもん」


 隣国の王太子を相手に曖昧な返事で誤魔化したり、嘘を吐いたりするわけにはいかない。わかっているが、ラウルは拳をきつく握りしめた。


「ということで、今マールティ公爵令嬢には隣国の王太子との縁談が上がっている。隣国との縁談は外交に関わってくるから私の耳にも届いた次第ってわけ」

「兄上……」

「私もさっき聞いたばかりだが、まだ決定じゃないみたいだよ。急いだほうがいいんじゃない?」

「っ! ありがとうございます!」


 ラウルは急いで駆け出した。目指すは公爵家の屋敷(タウンハウス)

 馬で駆けて行ったのだが、手ぶらでは格好がつかないと慌てて花屋で花束を買う。



「オデット!」


 公爵家の玄関で執事がオデットを呼んでくれた。どうやら公爵も夫人も外出中のようで来たのはオデットだけだった。


「突然押しかけてすまない」

「いえ……構いませんが、そんなに慌ててどうされたんです?」

「隣国の王太子から求婚されたと聞いて……」

「あー……」


 オデットが気まずそうに目を逸らすところを見ると兄の話は事実なのだろう。

 焦って花まで用意してみたものの、よくよく考えると隣国の王太子からの求婚を断れるはずがない。


『どちらかに本当の婚約者ができたら止めにしましょう』


 匂わせ婚約者という役を始めたときの条件を思い出す。


「オデット……今までありがとう」

「え……」


 これでオデットとの会話は最後になるかもしれない。感謝の気持ちと共にせめて想いだけは伝えよう。


「すまない。異性からのアプローチに辟易しているといって始めた関係だったけど、俺はいつの間にかオデットに惹かれていた」


 おそらく初めから惹かれていた。上品な顔から「めんどくさー」という言葉が発せられる、そのギャップすら魅力的だった。『匂わせ婚約者』という大胆な発想。役割をきっちりこなし、それ以上出しゃばらないという真面目さ。贈り物をしたとき喜んでくれた可愛らしい笑顔。

 それらに惹かれ、ダンスが苦手な彼女をしっかりエスコートしてあげたい、大切にしてあげたいという気持ちにさせられた。


「え? 惹かれ……? 私に……?」

「ああ、俺は君のことが……オデットのことが好きなんだ」

「う、うそ……」


 オデットが両手で口元を押さえて顔を真っ赤にして驚愕の表情で固まる。じわじわと彼女の目に涙が溜まっていった。


「でも一足遅かった。今さら想いを伝えても仕方がないのだが、どうしても言わずにはいられなかったんだ。困らせるようなことを言ってごめん。隣国で幸せになってくれ」


 ラウルが花束を渡すとオデットは受け取りながら「へ?」と長い睫毛を瞬かせた。


「ん?」


 彼女の反応に違和感を覚え、首を傾げる。


「あの……隣国の王太子殿下との縁談はなくなりました……」

「えっ…………。ええっ!? 本当に!?」

「はい。私では隣国の王太子妃になる条件を満たせないので、縁談自体がなかったことになって……と、モーゼルド王家にも話は通してありましたが……」

「え……」


 王家に話が通っているというと──。


 ――くっ……兄上め……


 ラウルはセヴランに嵌められたことにようやく気づいた。


「あ……あの……ラウル様は……私のことが……?」


 オデットが真っ赤な顔でラウルの顔をちらりと覗く。

 その表情には期待の色が含まれているのだろうか。それとも困惑だろうか。彼女の表情はどうにもわかりにくい。


 だが、ここまで言ってしまったのなら腹を括った方がいい。


「オデット、君が好きだ。俺と結婚してくれないか?」

「っ……ラウル様……!」


 オデットの顔が歓喜の表情に変わった。これは間違いない。彼女も同じように思ってくれていたのだろう。

 そう確信してホッとした刹那、おもむろに彼女の美しい顔が苦痛の色に歪められていって急速に心臓が嫌な音を立てる。


「…………申し訳ございません…………ラウル様とは…………結婚、できません」

「え…………」


 彼女は深々と頭を下げて屋敷の中へと戻っていき、ラウルはその場で呆然と立ち尽くした。



    ◇◆◇



 発端はオデットの不注意からだった。


 半年前。オデットは茶会のために友人を屋敷に呼んだ。

 二階のサロンで茶会を開き、終了後は見送りのために階段を下りる。そこで友人の一人が階段から足を踏み外した。

 オデットは自身が手すりに掴まる前、咄嗟に友人に手を伸ばしてしまったのだ。


 オデットが友人の手を取ったことによって友人は階段から落ちることはなかったが、代わりにオデットが階段から転がり落ちた。

 頭に衝撃を受けたオデットだったが、打撲以外の大きな怪我もなく一か月もせずに無事に完治した。打撲の傷跡が身体に残ることもなかったので、両親もオデットの完治を喜んだ。


 足を踏み外した友人とその両親は泣いて謝罪に来てくれたが、そもそもオデットが手すりを掴んでいれば良かったことで、オデットは自分の不注意が原因だと説明した。

 それに、茶会は二階のサロンではなく一階の中庭で開催すればよかったのだ。

 茶会の開催の責任はオデットにある。オデットは自分の不注意で友人が怪我をすることがなくてホッとしたが、この出来事はこれで終わりではなかった。


 何度も見舞いに来てくれた友人はオデットの怪我の完治に心底安堵した様子だったが、それからしばらくしてからオデットの視界に光が入り込むようになった。


「最近、顔や頭に衝撃を受けるようなことはありましたか?」

「あ……」


 医師に聞かれて思い出すのが、階段から転がり落ちたあの出来事。


「右目だけですが、今後視界が狭くなっていくことが想定できます。効き目ですので、物の距離感が掴めないことも増えていくでしょう」


 まだ視界に光が入り込む程度で、症状が進行していないこともあって、気にしていなかったが、刺繍をしていると針を指に刺してしまうことが多々起きるようになった。


 そこでオデットは自身の将来について考えるようになる。


 たとえ今後視力が失われたとしても片目だけのことなので、オデットはそれほど悲観していなかった。

 だが、このままいくと、日常生活に支障をきたすことは多くありそうだ。オデットが公爵令嬢である以上、使用人の手を借りれば、できないことは何もない。

 ただ、高位貴族の元へ嫁ぐとなると貴族夫人として必要な要素を満たせないこともありそうだ。


 食事時に、手に取るナイフとフォークを間違えてしまうことや、視界が悪くダンスで他人にぶつかってしまうことも想定できる。

 もし、見た目にも影響するのなら常に片目に眼帯が必要となる。


 オデットはそれを認めてくれる相手としか結婚できない。


 両親は縁談が申し込まれた場合、目の事情を説明し、受け入れてくれる相手と結婚するようにと言ったが、オデットはそもそも目の事を他者に説明したくなかった。


 理由は二つ。

 一つは縁談を控えた弟のため。

 オデットは事故でこのような目になってしまったのだが、遺伝性のものだと思われると弟の縁談に影響が出る。たくさんの人に話すと、間違った情報で広まることがある。それならば、縁談がまとまってから弟の結婚相手となる人にだけに医師立ち会いの元、遺伝性はないから大丈夫だと伝えたい。


 もう一つは足を踏み外した友人のため。

 あの事故からオデットに後遺症が残っていると友人に知られれば、彼女はひどく嘆くだろう。今さらどうにもならないことなのに、彼女にそんな思いを背負ってほしくないのだ。


 せめて数年が経過し、ほとぼりが冷めてからなら、オデットの目の原因があの事故であると結びつくこともないだろうから、それまでこのことを友人に知られたくないと思った。


 だから、オデットはできる限り自身の目のことは他人に説明したくなく、縁談が舞い込まないようにと祈っていた。

 しかしながら、両親は目のこともあるのだから早いうちに結婚相手を決めた方が良い、とオデットを舞踏会へと送り出す。


 そこであったラウルとの匂わせ婚約者という役は縁談避けにぴったりだった。

 ほとぼりが冷めるまで、弟の縁談がまとまるまで、匂わせ婚約者を続けられればいい。そんな軽い気持ちでラウルと関係を始めたのだが、ラウルを好きになってしまったのは想定外だった。



 徐々に視界の悪くなるオデットはダンスで足をもたつかせてしまうことが多かった。だが、彼はスマートにそれをフォローしてくれるし、オデットをエスコートするときは「扉に気を付けて」などと、オデットの心配事を先回りしてくれた。

 オデットの目の事情など知らないはずなのに、彼はオデットを大切にするような行動をとる。


 髪飾りを贈られたとき、彼は匂わせ婚約者の役割を全うしようとしていただけなのに、浮かれて喜んでしまって恥ずかしかった。


 ――今だけ……今だけの関係だから……


 そう自分に言い聞かせ、匂わせ婚約者の役割を終えるときには笑顔で終わりにしたい。



 隣国の王太子との縁談は断る以外に選択肢はなかった。

 今はまだ視力があるといっても隻眼になる可能性のある人物が王太子妃にはなれない。父から王太子に説明をしてもらうと彼はあっさりと引いてくれた。


 解決した話をラウルが持ってきたときにはびっくりしたが、ラウルに好きだと言われて飛び上がりそうなほどうれしかった。


「オデット、君が好きだ。俺と結婚してくれないか?」


 だが、隣国の王太子からの縁談を断ったときと同じ理由でラウルからの求婚を受けるわけにはいかなかった。


 ダンスも出来ない、会食もできないオデットは王子妃にはなれない。


 笑顔で終わりにしたいと思っていたのに、とても笑うことなどできなかった。

 勝手に視界が滲み出す。溜まったものが零れ落ちるのだけは何とか堪えて深々と頭を下げた。


「…………申し訳ございません…………ラウル様とは…………結婚、できません」



     ◇



 それから一か月。オデットは体調不良を理由に舞踏会には出ていなかった。

 両親は本格的に視界が失われる前に、結婚相手を見つけた方が良いと、しつこくせっついてきた。


 投げやりな気持ちになって父へ問う。


「私への縁談って一つもないのでしょうか? 目の条件を受けてくれる方なら、もうどなたでも良いと思っているのですが……」

「来ている縁談ならたくさんあるが、見ず知らずの男へ嫁ぐよりも、舞踏会で知り合って良いな、と思えた相手と結婚した方がよくないか?」

「な……」


 すでに縁談がたくさん来ていることにも驚いたし、両親がオデットのことを思って舞踏会へ行くようにと勧めていたことにオデットは目を丸くした。


「えっと……エルネストの縁談の方はどうなのでしょう?」


 エルネストとはオデットの弟の名前。


「ああ、トゥーワール伯爵令嬢と婚約が決まったよ」

「それは良かったです。それなら、私の方は目のことをべらべらと話さない方であればどなたでも……」


 父は「ふむ」と考える。


「であれば、最近舞い込んだ縁談だが、きっとお前にとって良い相手だ。会って話をしてみるか?」

「……はい」


 自分から言い出したことだが、ラウル以外の者へ嫁ぐことを考え胸がツキリと痛んだ。



     ◇



 憂鬱な気持ちで迎えた顔合わせの日。

 オデットは父から事前に相手を教えてもらうことができなかった。


 来客を告げるドアノッカーの音が響くと、出迎えは父がするのでオデットは応接室で待つようにと言われた。


 複雑な心境でソファに腰掛け待っていると、応接室の扉が開く。

 オデットはすっと立ち上がった。


「ようこそ、いらっしゃ──」


 途中まで挨拶をして、縁談相手の顔を見て固まった。


「な、なんで……」


 オデットは大きく目を見開いて戦慄いた。


「久しぶりだな、オデット」

「なんで……ラウル様が……」


 第二王子であるラウルはオデットの結婚相手にはなり得ない。なぜならオデットが王子妃になる要件を満たしていないから。

 だが、そんなことは父も理解しているはずだ。それなのに、なぜ父はラウルをこの場に連れてきたのだろうか。


「あれ? 二人は良い仲だという噂を聞いていたんだが……」

「公爵、実は私はオデット嬢に振られているんだ。なのに、しつこく縁談を申し込んですまない」

「え? そうなんです? なら、オデット、この話はなかったことにしてもらうか?」


 父がオデットに問うとラウルが「いやいやいや」と食い気味に割り込む。


「公爵、私にもう一度オデット嬢を口説くチャンスをくれないだろうか? 今度こそ……オデットがはい、と言ってくれるような求婚をするから」

「オデットがいいえ、と言ったらきっぱり諦めてくれます?」


 父が飄々とラウルに返し、ラウルが「くっ……」と眉を顰める。だが、ラウルはすぐに表情を緩めた。


「オデットが私に気がないようなら、潔く諦める」

「なら結構です。オデット、殿下に中庭を案内して差し上げて」


 父はオデットに「足元には気をつけるんだぞ」と言って送り出した。


 オデットが状況を理解する前にラウルと二人きりにさせられた。

 中庭を案内、と言われたが、ラウルがオデットをエスコートするように中庭を歩く。


「えっと……ラウル様……? 父がなんと言ったのかは分かりませんが、私は王子妃にはなれなくて……」


 王子妃にはなれない。

 ラウルの隣に立つことができない、と再認識すると、オデットは自分で言って胸が切なく締め付けられた。


「王子妃にはならなくていい」

「え?」

「いや……以前、君に求婚したときは、君が望むのなら俺は王弟になろうと思っていた……」

「なろうと思っていた……?」


 不思議な表現だと首を傾げる。

 ラウルは王太子の弟で、このままいけば間違いなく王弟になるだろう。


「俺は王弟にはなりたくないんだ」

「え?」

「オデット……『モーゼルドの悲劇』を知っているか?」

「え、ええ……」


 先代の王の弟が謀反を企て処刑された大事件。モーゼルド王国でそれを知らない国民はいないだろう。


「俺はあの悲劇を繰り返したくない。だからもうすぐ臣籍降下をするんだ」

「臣籍降下?」


 言葉の意味はオデットでもわかる。王族籍を抜けて臣下の籍に入ることだ。でも一体どこの籍に入るのだろうかと思っているとラウルが続けた。


「俺は近くアルビン辺境伯になる。お祖父様ともようやく話がついた」

「アルビン辺境伯……王妃様のご実家、ですね……」

「ああ、母上の兄が若くして亡くなり、辺境伯の後継は遠縁から迎えるか、という話が出ていたから俺が手を挙げた」


 国王も辺境伯もそれを了承して、ラウルが辺境伯を継ぐことが決定したようだ。


「オデットには辺境伯夫人になってほしいんだ」

「っ……でも……」


 辺境伯夫人となると、王子妃とはまた違った問題がありそうだ。


「ダンスはしなくていい」

「え……?」

「生活に不便があれば君専属に補助をしてくれる使用人を付ける。王宮内と違ってそれをとやかく言う者だって出させない。視界が狭くて歩きづらいことがあれば常に俺がエスコートする。陛下の許可もお祖父様の許可も取れている。だから……」

「え……なんで……目のこと……」


 ラウルにはオデットの目のことは説明していない。


「始めは違和感がある程度だったんだ。でも徐々にその違和感は大きくなった。オデットは俺の事を探しているのになかなか視線が合わない。足を引っかけて転びそうになることが増える。見えてないのでは、と思うことが多かったんだ……」


 だからラウルはオデットに求婚を断られた後、オデットの父にオデットの目のことを尋ねたらしい。

 ほぼ正解を言い当てられ、オデットの父は誤魔化すことなくラウルに真実を伝える。そこでラウルは自身は辺境伯になるからと縁談について相談をした。

 オデットの父はオデットさえ良ければ、というスタンスだったので、ラウルは急ぎ父である国王と祖父であるアルビン辺境伯に許可を取る。


「お祖父様なんか、俺が辺境伯になることをなかなか認めてくれなかったのに、結婚したい女性の片目が悪くて、と説明したら、すぐに認めてくれたんだ。自分が隻眼だから、オデットのことを理解してやれるのは自分だ、なんて言っちゃって……。でも一番にオデットのことを理解するのは俺だから……。だから困ったことがあったらすぐに相談してほしい。もし、オデットの視界がすべて失われることがあれば、俺がオデットの手となり足となる。俺がオデットの全てを支えるから……」


 ラウルの話を聞いていると、瞳に涙が溜まって視界がぼやけ始める。


「ラウル様……」

「だからお願いだ。オデット。俺と結婚してくれ」


 ラウルが跪いて、オデットの片手を取る。


「君のことを愛してる」


 彼が乞うようにそう言うと、溜まった涙が堰を切ったように溢れ出した。


「っ……っ……ラウル、さま……。こんな……私でも……いいのでしょうか……?」

「俺は君が……オデットが良いんだ」


 真剣な瞳に射抜かれ、オデットの胸には熱いものが込み上げる。


「よろしく……おねがいします……」


 オデットは顎を震わせ返事をした。

 ラウルはポケットからきらきらと光る宝石の付いた指輪を取り出し、オデットの左手の薬指にそれを嵌める。


 こうしてオデットの王子殿下の匂わせ婚約者の役割は終了した。



拙い文章でしたがお読みいただきありがとうございました。

評価、感想いただけると嬉しいです。



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― 新着の感想 ―
王太子殿下も匂わせ 嘘は言ってませんね(*-ω-) 弟思いの良いお兄ちゃんですね
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