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第一話 星に願いし夜

蓮斗(れんと)、また成績が落ちてるじゃないか。

このままじゃ、希望の大学どころか、将来の選択肢すら潰れるぞ」



父の声は、叱責というより“通告”に近かった。

感情よりも理屈。失望よりも評価。

それが、いちばん苦しかった。



「……分かってるよ」



絞り出すように言った言葉は、すぐに母の声にかき消される。



「分かっているなら、どうして結果が出ないの?

あなたには、もっとできるはずでしょう」



“はず”。

その言葉が、胸に重くのしかかる。



できなかった自分。

期待に応えられない自分。父の名前、母の経歴、有名な進学先――

それらの後ろに立つたび、周囲の視線が突き刺さる。



――高城家の子なのに。



その無言の評価が、いつの間にか日常になっていた。



「俺だって……俺だって、必死に頑張ったんだよ!」

気づけば、声を荒げていた。父は眉をひそめ、母は小さく息を吐く。



その光景を目にした瞬間、胸の奥で何かが切れた。



自分の部屋に戻る。

込み上げてくる感情を抑えきれず、机を蹴り上げた。

教科書が床に散らばる。



そのまま部屋のドアを開け、玄関を飛び出していた。



肺に突き刺さるほど冷たい冬の空気。

どこへ行くのかも考えず、ただ走った。走り続けた。



上から見下ろすことに慣れていたみなとみらいの夜景が、視界の端で流れていく。

観覧車の光はやけに遠く、街は自分とは無関係に輝いていた。



――ここに、俺の居場所はない。



気づけば、帆船日本丸の前に立っていた。



閉館し、乗員のいない白い船体は、

まるで時代から取り残されたかのように、静かに闇に浮かんでいる。



「……ああ、ここなら」



船に忍び込み、甲板へ上がる。

手すりに触れると、金属が冷たく指に張り付いた。

海に映る街の光は、揺れて、歪んで、どこか現実感がない。



そして――空を見上げた。



夜空を裂く、一本の光。

百年に一度、地球に姿を見せる彗星だった。



その尾は、ゆっくりと、しかし確かに世界を横切っていく。

胸の奥が、静かに震えた。



「……どこか、ここじゃないところに、行きたい」



誰に聞かせるでもなく、言葉が零れ落ちる。



ここではない場所。

名前や期待に縛られず、自分として息ができる場所。

逃げでもいい。間違いでもいい。


それでも――自由でありたかった。



その瞬間、右腕が焼けるように熱を帯びた。



「っ……!」



袖をまくると、そこには見覚えのない紋様が浮かび上がっていた。


星の尾のように不定形で、脈打つ光――令呪。



「……なんだよ、これ……」



困惑する間もなく、甲板の空気が変わる。

海風が激しく吹き荒れ、まるで荒海の上にいるかのように船が軋んだ。



光の粒子が甲板に集まり、次の瞬間、ひとりの男が姿を現す。



長い外套。

深く刻まれた皺。

世界を見尽くしたような、静かな眼差し。



威圧感はあるのに、不思議と恐怖はなかった。



「……お前が、私を呼んだのだな」



低く、落ち着いた声。



俺はただ、何が起きているのか分からないまま、その男を見つめていた。



「私はフェルディナント・マゼラン。

未知の海を渡り続けた航海者だ」



その名を聞いた瞬間、困惑や驚きよりも先に、

脳裏をよぎる。



世界一周。地平の先へ進み、帰らなかった男。



「お前さんの願いは、逃避じゃない」



マゼランの声が、甲板に響く。

彼は空を見上げ、彗星を一瞥し、



「航海とは、未来を約束しない、過酷な世界。

それでも進む者だけが、世界を広げられる」



そして、まっすぐに俺を見る。



「それでも進む覚悟があるなら、私は君の糧となろう」



甲板の上で、彗星が尾を引く。

波が光を砕き、港が静かに息を潜める。




ーーこの夜、

俺は初めて、“与えられた道”ではなく、

“自分で選ぶ航海”に足を踏み出した。


星に願った夜は、

もう後戻りできない始まりだった。



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