最終話
王宮のシャンデリアが、星屑を砕いたかのように煌めく大広間。
建国記念を祝う今宵の舞踏会は、国の権力者たちが一堂に会す、一年で最も華やかな夜だ。しかし、その輝かしい光の裏で、深い闇が蠢いていることを、ここにいる何人が知っているだろうか。
楽団が奏でるワルツの調べが最高潮に達したその時、大広間の扉がゆっくりと開かれた。
そこに現れたわたくしたち――夜色のドレスを纏ったわたくしと、漆黒の軍礼服に身を包んだゼオン・ディ・アルジェント公爵の姿に、会場の全ての視線が釘付けになる。囁き声が波のように広がり、音楽さえも霞んで聞こえた。
「な……なぜ、アルジェント公爵が……!?」
「隣の女性は……確か、エーデルシュタイン侯爵令嬢では?」
「クラヴィス殿下に婚約破棄されたはずの……」
好奇と驚愕の視線の中、わたくしたちは誰に臆することもなく、堂々とホールを横切っていく。ゼオン様が隣にいてくれる。それだけで、わたくしは不思議なほど落ち着いていた。魂が、ここが自分のいるべき場所だと告げているようだった。
ホールの中心では、純白のドレスを纏ったミア嬢が、クラヴィス殿下と優雅に踊っていた。わたくしたちの存在に気づいた殿下は、憎々しげに顔を歪め、ミア嬢は一瞬、怯えたように瞳を揺らした。だが、その怯えが偽りであることを見抜けないほど、今のわたくしは鈍くはなかった。
「……ゼオン様。予知の通りですわ。ミア嬢の髪飾りに、わたくしのブローチが」
わたくしの囁きに、ゼオン様は「ああ」と短く応じる。彼の銀色の瞳は、既に獲物を定める狩人のように、ミア嬢とその周囲を冷静に観察していた。
予知では、彼女はシャンデリアの魔力が最大になる、次の曲で行動を起こすはずだ。
一曲が終わり、次のワルツが始まる。その瞬間を、わたくしたちは待った。
クラヴィс殿下の手を離れたミア嬢は、ふらつくふりをして、そっと人混みの中へと紛れ込もうとする。その向かう先は、大広間の魔力を制御する、巨大なシャンデリアの真下。
そして、彼女は髪に挿していたサファイアのブローチ――わたくしの母の形見――に、そっと手をかけた。
その瞬間、ゼオン様が動いた。
彼の動きは、誰にも捉えられないほどの神速だった。気づいた時には、彼は既にミア嬢の背後に立ち、彼女がブローチを掲げようとするその腕を、寸前で掴みとっていた。
「――ここまでだ、『夜薔薇の教団』」
地を這うような低い声が、静まり返ったホールに響き渡る。
突然の出来事に、誰もが息を呑んだ。
「きゃっ……! な、何をなさるのですか、公爵様!?」
ミア嬢は悲鳴を上げ、か弱い被害者を演じようとする。だが、その瞳の奥に宿る動揺と焦りは、隠しきれていなかった。
「その茶番はよせ。お前が、そのブローチを使って何を目論んでいたか、全てお見通しだ」
「わ、わたくしには、何のことか……!」
その時、ミア嬢の側に控えていた、一人の目立たない若い貴族が、懐から短剣を抜き放ち、ゼオン様へと襲いかかった。
「公爵に無礼を働くな!」
周囲の近衛騎士が叫ぶが、間に合わない。
しかし、ゼオン様はミア嬢の腕を掴んだまま、最小限の動きで短剣の刃をいなすと、男の鳩尾に強烈な一撃を叩き込んだ。
「ぐふっ……!」
一瞬で無力化された男を見て、わたくしは声を上げた。
「その男ですわ! 予知で見た、教団の幹部……!」
わたくしの言葉に、会場が大きくどよめく。
クラヴィス殿下が、何が起きているのか理解できないという顔で、呆然と立ち尽くしていた。
「リリアーナ……? ミアが……教団……? 何を言って……」
「殿下、まだお分かりになりませんか!」
わたくしは、今こそ全てを終わらせる時だと覚悟を決め、一歩前へ進み出た。そして、わたくしの中に眠る、星詠みの力を解放する。
薬指の指輪が、熱を帯びた。
目を閉じると、過去と未来の無数の光景が、星空のように脳裏に広がっていく。その中から、わたくしは掴み取るべき『真実』だけを、強く念じた。
「ミア・ブライトン嬢! あなたは、夜薔薇の教団が送り込んだ工作員! そのか弱い姿で殿下に取り入り、わたくしから婚約者の座を奪い、エーデルシュタイン家に伝わるこのブローチを盗み出した! 全ては、この舞踏会で王族や貴族を一網打尽にする、大規模な魔力テロを引き起こすために!」
わたくしの声は、不思議なほどの威厳と説得力を持って、ホール全体に響き渡った。
そして、わたくしは捕らえられたミア嬢の瞳を真っ直ぐに見据える。
「あなたは、そのブローチの力でシャンデリアを暴走させ、その混乱に乗じて、国王陛下を暗殺する手はずでしたね!」
その言葉は、わたくしの予知にはなかった、力の覚醒によって新たに見えた『真実』だった。
図星を突かれたミア嬢の顔から、血の気が引いていく。彼女の仮面が、ついに剥がれ落ちた。
「……なぜ、そこまで……。星詠みの力は、まだ不完全なはず……!」
それは、紛れもない自白だった。
会場は、恐怖と驚愕の叫びに包まれる。近衛騎士たちが、一斉に国王陛下の元へと駆けつけた。
「そん、な……。ミア……君は、私を騙して……?」
クラヴィス殿下が、信じられないというように、震える声で呟く。彼が信じた『真実の愛』の相手は、国を揺るがすテロリストだったのだ。彼の世界が、ガラガラと崩れ落ちていく音が聞こえるようだった。
全ての悪事が白日の下に晒され、ミア嬢と共犯の男は、駆けつけた騎士たちによって取り押さえられた。
ゼオン様は、ミア嬢の手からブローチを奪い返すと、わたくしの元へ戻り、その手を優しく握ってくれた。
「……よく、やったな。リリアーナ」
彼の労いの言葉に、張り詰めていた緊張の糸が切れ、涙が溢れそうになる。
わたくしは、彼からブローチを受け取った。
母の形見。そして、わたくしの力を繋ぐ、前世からの遺産。
その冷たいサファイアを、ぎゅっと握りしめた、その瞬間だった。
―――全ての記憶が、奔流となって、わたくしの魂に流れ込んできた。
森の泉での出会い。身分を隠した逢瀬。彼がわたくしにだけ見せてくれた、優しい笑顔。戦火の中、引き裂かれる間際に交わした、最後の約束。
『――リリア。約束してくれ。必ず、来世で私を見つけ出すと』
『嫌……! ゼオンを置いてはいけない!』
『見つけ出せるさ。君の魂は、私が必ず見つけ出す。何度、生まれ変わっても。だから……どうか、幸せに』
『あなたのいない世界で、幸せになど……!』
『なれるさ。君の幸せが、私の唯一の願いなのだから。……愛している。永遠に』
そうだ。わたくしは、思い出した。
全て。何一つ、残らず。
わたくしたちは、ただの王女と騎士ではなかった。互いの魂の半身であり、来世で再び結ばれることを、固く固く誓い合ったのだ。
「……ゼオン……」
わたくしが、涙に濡れた瞳で彼を見上げ、前世と同じようにその名を呼ぶと、彼の銀色の瞳が、驚きと、そして歓喜に見開かれた。
「……思い、出したのか」
「ええ。……ええ! やっと……やっと、あなたに会えた……!」
もはや、人目も憚らず、わたくしは彼の胸に飛び込んでいた。
ゼオンは、五百年の時を超えて、ようやくその腕に帰ってきた魂を、決して離さないとばかりに強く、強く抱きしめ返してくれた。
彼の鼓動が、わたくしの耳元で力強く響いている。ああ、生きている。彼は、今、ここにいる。
愛は、記憶を超えるか?
その答えは、もう分かっていた。
超えるのだ。記憶を失っても、魂は互いを求め合い、惹かれ合う。それは、紛れもない“運命”だった。
そして、失われた記憶を取り戻した時、その愛は、時を超えた奇跡となって、より強く、より深く、輝きを増すのだ。
後日、夜薔薇の教団の一斉摘発が行われ、その背後にいた大国の陰謀も明らかになった。
クラヴィス殿下は、テロリストに篭絡された責を問われ、王位継承権を剥奪された。全てを失った彼は、自分の愚かさをただ嘆くことしかできなかったという。
そして、わたくしたちは、全ての騒動が落ち着いた後、二人きりで北の地、アルジェント公爵領へと旅立った。
どこまでも広がる白銀の世界。厳しい冬の中に、新しい生命の息吹が満ちるその地で、わたくしたちの新しい人生が始まるのだ。
「見て、ゼオン。雪が、ダイヤモンドのように光っているわ」
城のバルコニーで、舞い落ちる雪に手をかざすわたくしを、ゼオンは背後から優しく抱きしめた。
「ああ。だが、君の美しさには敵わない」
「もう、お上手なことばかり」
わたくしが笑って振り向くと、彼の銀色の瞳が、射るような熱を帯びてわたくしを見つめていた。
彼は、そっとわたくしの頬に触れる。
「リリアーナ。……長かった。本当に、永い時間だった」
「ええ。でも、もう一人ではありませんわ。これからは、永遠に、あなたの傍に」
わたくしたちの唇が、自然に重なり合う。
それは、五百年の孤独を癒し、未来永劫の愛を誓う、深く、優しい口づけだった。
婚約破棄から始まった、この不思議な物語。
記憶はなくとも、魂が覚えていた、たった一つの愛の物語。
この胸の痛みは、もうない。
あるのは、この世界で最も愛しい人に、再び巡り会えた、歓喜だけ。
わたくしたちの永い永い恋が、今、ようやく本当の意味で始まったのだ。
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