9.〈ビジリス〉の補完性
緩やかでありながら、〈ビジリス〉の構造には、ミスを予測し、発見し、修正する能力が備わっている。一見すると不思議なタイミングに見えるが、すべては必然だ。
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9.〈ビジリス〉の補完性
瀬野が予定どおり十五時に業務を終えると、品質管理課長から深々と頭を下げられた。
「ありがとうございました」
品質管理課長も〈ビジリス〉を体感した一人だ。
問題なければ、次回の取締役会で執行役員に任命され、工場長代理から正式な工場長に昇格する手はずだ。
もっとも、瀬野が今それを本人に告げることはない。
最大の功績は、物流課の佐藤だろう。分からないことは積極的に質問し、実践し、間違えながらも着実に前に進み、〈ビジリス〉の現場運用を成立させた功労者だ。
「さみしくなります」
そう言ってもらえるでも、瀬野にとってはありがたいことだった。
不正を働いた者、信じようとせず実行しなかった者は、自然と脱落していった。
事実、瀬野を快く思っていない人間も少なくない。
しかし、犯罪者に加担したり、不正に同調したりすることはできない。
そうした行為がなくても、業務は十分回る。むしろ、気後れがない分、前向きに進めることができる。
また、決算期の多用な時期だからこそ、必至になれる。ミスも少ない。
業務上の失敗が起こるのは、慣れたときか、暇なときだ。張りつめた緊張感があればこそ、注意深くなり、結果的に事故を防げる。もちろん、極端に緊張しすぎれば、動きがぎこちなくなるが……。
挨拶回りもすべて終え、瀬野が駐車場に向かうと、アスコットの中で浦上がうたた寝していた。
緊張が解けて、そのまま眠ってしまったのだろう。
(若いわねえ……)
ドアガラスを軽くノックして浦上をおこし、「先に戻っていて」とだけ伝えた。
「〔ミーミスブルナ〕でエクレアを買って帰るわ」
少し甘いものが食べたくなった瀬野だった。
「あっ、いいですね」
洋菓子のチェーン店だ。
「守衛さんに、駐車許可証を返してね」
「分かりました。じゃあ、お先に失礼します」
初代アスコットのクラプトンバージョン――二人が生まれる前の車だった。
見送りながら、瀬野が従業員用駐車場に向かった。工場内へは、こちらのほうが近い。
瀬野のポルシェは、空冷時代の911から、水冷エンジンに切り替わった初期のモデルだった。通称「涙目」と呼ばれ、不人気車種とされるが、瀬野はけっこう気に入っていた。
左ハンドル。ティプトロニックはマニュアルモードが付いている。
空冷モデルならマニュアルで楽しみたいところだが、水冷ならマニュアルシフトモードとの相性がいい。
右側の助手席にアタッシェケースを置き、シートベルトで固定した。
エンジンをかけ、静かに走り出した。水平対向六気筒エンジン。




