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7.〈ビジリス〉の基礎

 企業全体の事業を再構築する〈ビジリス〉の基礎は、直接お客さまに接するアンカー営業パーソンの負担を減らすことにある。出口を目標にした工程は、一部に不具合が起きたとき、即座に反応できる構造となっている。


*****


7.〈ビジリス〉の基礎

 高級車が並ぶ役員用駐車場には不似合いなアスコットのなかで、浦上が溜息をついた。

 プリントアウトされたデジタルカメラの画像を、リストの箇条書きに従って一枚ずつチェックしていく。

 ただし、破損したパソコンの画像だけは、順不同のままだった。

「貴族か……」

 庶民の浦上には、理解しがたい感覚だった。

 幼いころから両親に「真面目が一番」と教えられて育ったが、高校では推薦枠を親友に騙し取られ、大学ではトラブルのたびに犯人扱いされた。

 就職氷河期が続くなか、ようやく内定を得たのはブラック企業で、一年もたたずに身体を壊して退職した。

 何もすることがなく、京都の鴨川かもがわでぼんやりしていたとき、対岸の美しい香坂七美に見蕩みとれたのが、〈ビジリス〉に縁するきっかけだった。

 代表の平坂に言わせると、「今にも死にそうな顔をしていた」らしい。

 そのとき、瀬野が「アレちょうだい」と言って手招きされ、出されたのが貴船きぶねの料亭〔しま清〕の懐石料理だった。

 今でも思い出す浦上だが「死ぬほど美味かった」らしい。

 事実、月に一度〔しま清〕で食事をするために、生きているとさえ言える。第一、ビジリス西日本以外では、到底支払えるとは思えない。

 そうこうしているうちに、器物損壊の請求書も仕上がった。

 瀬野宛に送付すると、すぐに『問題ない』との返答があった。

「いつもながら仕事が速い……まあ俺も成長したほうか」

 当初の浦上は、〈ビジリス〉式の箇条書きすらできず、半泣き状態だった。

 ――「あのねえ、箇条書きって『点』じゃあなくて、『数字』を入れるの。最初から数字を振っておけば、後から数えなくていいし、訂正時のミスもずっと減る。Wordワードならここで『1、ドット』――そう、それで二行目から数字が勝手に入ってくれる」――

 瀬野に言わせると、浦上は「レベルが低い」らしい。それでも瀬野が教えているのは、「低いレベルでも〈ビジリス〉を使えるようにする」ことが理想だからだった。

 ただ、その「低いレベル」とは、偏差値六十前後の大学卒業生を目標としていた。

 それで「レベルが低い」というのだから、瀬野の理想が高すぎるのだ。

 またそれは、〈ビジリス〉の特殊性にも起因する。工業簿記が必須なのだ。工場を効率化するには、その対価を語る言語として、工業簿記が最適だからだ。

 経済学部卒の浦上は、必須科目ではない簿記を履修していなかった。入社後、二度目の試験でようやく日商三級(#1)に合格している。

 瀬野は高専(#2)卒で、日商二級を取得している。なお瀬野によると、「日商一級は税理士になるためのもので、日常使わない」「逆に一級を持っているのに、税理士にならない人のほうが変」だそうだ。

 請求書のリストとプリントアウトされた画像を、再度チェックした。問題ない。

 浦上が大会議室に戻ると、瀬野が前回のプリントアウトをテーブルに広げていた。

 すべての資料には付箋が貼られており、修正すべき内容が英数字で示されていた。たとえば、『C』は「チェック」、『X』が「交換」だ。

「あーちょっと待って……」

 瀬野の記憶は正確だが、僧侶がお教を開くように、覚えていても前回の状況を再確認していた。

 隣のテーブルには本社ベータの資料があり、香坂がチェックした田沼のデータをダブルチェックしていた。傍目八目おかめはちもくだ。

 香坂がいくら優秀でも、現場では気づけないことがある。

 事実、資料には二箇所に付箋が貼られていた。

 一つは『C』で、資料が挟まれている。「工場アルファと数値が異なるため、本社ベータを再チェックせよ」とのことらしい。

 二つめは『D』で「削除せよ」だ。「冗長」か、または「記述してはいけない大人の事情」か、浦上には分からなかった。

 知りたいと思う浦上だったが、現場アルファの仕事ができていない状態で、会議室ベータの資料を読んでしまえば、現場の答えを先に知ってしまうことになる。

 考えて、失敗して、ようやく成長する。それが〈ビジリス〉の基礎だった。

「はい」

 準備ができた瀬野に後半分を渡すと、浦上が順番に並べられたプリントアウトの横に、前半分を整列させた。

 ボトルネックの箇所はすでに修正しているため、更新回数が多い。

「ホント、芸がない」

 瀬野がぽつりと事実を口にした。

「やはり、棚卸たなおろしでしたか……」

 浦上が同意した。

 脱税で使う手法は主に三つある。そのうち、金融資産と棚卸資産は代表格だ。

 調査段階で、香坂が前の恋人から「一部の材料が半製品として販売できる」ということを聞いていたことが大きかった。

 犯罪の手口としては、「該当材料を『半製品』として売却し、その差分を『仕掛品』として計上する」というものだった。

 山田豊クラスの企業になると、仕掛品全体の正確な数値は工場長しか知りえない。

「他にもやってそうですね……」

「それはベータチームのお楽しみ」

 今回の総責任者は香坂で、瀬野がバックアップ。香坂に花を持たせた形だ。

 田沼が主任に昇進するころには、香坂は課長になっており、三課体制に移行する。

 そのころまでには自分がチーフになっていなければ、新人にも追い抜かれる――浦上は、その現実をよく分かっていた。


 #1.日本商工会議所簿記検定試験三級。半年に二回試験がある。

 #2.高等専門学校。



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