第九十四話 『父への報告』
「味は覚えていませんが……今、この味は、きっと忘れないと思います」
チスタはそう言って、もう一口ルヴィアを口に運んだ。
「だって……今は幸せですから」
フィルはその言葉に軽く目を見開き、そしてそっと目を伏せる。
「……そうか」
「アルトメイア様がいて、フィル様もいて。ケーニッヒ様とも仲良くなれて……そして、新しくヒュリエ様やアマーリエ様とも出会えて。わたし、昔のことを忘れてしまいそうなくらいです」
ふわりとした笑みの中に、微かに涙の痕が残っていた。
「でも……その空間を作ってくれたのは、フィル様だと思っていますよ」
「……オレは、何もしてないよ」
少し照れたようにフィルが笑う。
けれど、チスタはすぐに首を振った。
「ううん。フィル様とストライカーさんが、森ではアルトメイア様を守って……今回は、皆を命がけで守ってくださいました」
その声はまっすぐで、まるで祈りのように優しかった。
「もし、フィル様がいなければ……きっと、誰も無事ではなかったと思います。ですので――これは本当に、フィル様のおかげなんです」
「チスタ……買いかぶりだよ」
そう言いながらも、フィルの口調にはどこか照れが滲んでいた。
しばらく、静かな時間が流れた。
窓から差し込む日差し。
それが、チスタの金糸のような髪をやわらかく照らす。
その様子を見て、フィルはふと微笑み、ぽつりとこぼした。
「……オレ、実はさ。チスタのこと、最初はちょっと苦手だったんだ」
「……えっ?」
チスタの目が一瞬、大きく見開かれる。
「いや、なんていうか――エルフの血が濃いのか、整った顔してるし。そのくせ、ちょっと言い方がきつかったろ?」
「ええっ……そ、そんなことありませんっ」
慌てて否定するチスタに、フィルは笑いながら続けた。
「でもさ、オレ、あの頃って兄さんとうまくいってなかったし。だから、『ひきょうものっ!』。そう言われたときはきつかった……正直、かなり凹んだよ」
はは、と軽く笑うフィル。
その笑いには、もはや過去のわだかまりは感じられなかった。
「ご、ごめんなさい。でも、あの時はっ!」
その時のことを思い出したチスタ。
彼女は、慌てて弁解しようとする。
そんな彼女の姿を、フィルは小動物のように可愛らしく感じていた。
「分かってるって……でも……顔が可愛いから、余計に刺さったんだよなぁ。冷たく感じてさ」
「か、かわ……っ!?」
チスタの頬が一気に赤く染まり、思わず視線をそらす。
布団の端をぎゅっと握りしめ、俯いてしまった。
「うそじゃないって。オレの本心だよ」
「~~~っ……っ、もうっ……」
ふくれっ面になったチスタに、フィルは少しだけいたずらっぽく笑って、
そのあと、静かに言った。
「でも……今は、苦手じゃない。むしろ……一緒にいると落ち着く」
その言葉に、チスタの瞳がふと揺れる。
そして――ほんのりと目を細め、微笑んだ。
その様子を見て、フィルもつられるように笑みをこぼす。
そして、ふと手元の果実に視線を落とした。
「……なあ、オレも一つ、いいかな?」
チスタがぱちりと瞬きをして、フィルを見る。
「おいしそうに食べてるのを見るとさ……欲しくなった」
照れ隠しのように笑うフィルに、チスタは柔らかく微笑んで、
そっと皿を差し出した。
「もちろんです。……お口に合うといいのですが」
そうして、ふたりはルヴィアの実を一緒に味わう。
甘酸っぱい果実の風味と、ほんのりとした温もりが、
その小さな部屋に、静かに満ちていった。
その後、しばらく談笑して父の政務室へと向かうのだった。
――政務室に向かう廊下で。
ゆったりとした歩幅で歩いていた。
そこに、兄さんもやってくる。
お互い軽く笑い、これから訪れる緊張をほぐした。
そして、意を決してドアを叩き、兄さんが声をあげる。
「アルトメイア、フィルレンシャル、入りますっ!」
「入れ」
威厳を帯びた声が部屋の奥から届く。
その響きに背筋を伸ばす。
そして、オレたちは扉を開けた。
室内へと足を踏み入れ、礼を尽くして父の前に進み出る。
それを見て、父は静かに。
そしてどこか柔らかな声音で口を開いた。
「さて、報告を聞こうか。アルトメイア、説明を」
「はいっ! 父上! まずは――」
兄の説明が始まる。
まずは襲われた経緯。
それに、その対処。
その対処の部分にストライカーのことも話すように事前に兄に伝えていた。
そして、出来うるだけの戦闘の経緯など。
細かく、父に報告した。
「――以上です」
兄の説明が終わる。
「理解した。ご苦労だったな。アルトメイア」
「はっ! 痛み入ります」
兄は敬礼を取り、返事をする。
「さて……フィル」
「……はい」
「詳しく聞かせてもらうが、構わないか?」
たぶん、ストライカーのことを言っているのだろう。
もう、見られてしまい、隠すことも無理だろう。
フィルは、そう思いながら話すことにした。




