第九十話 『チスタの献身』
――倉庫の中に、魔獣が入っていくのを見た。
倉庫の前でローダーに乗って戦っていた搭乗者の一人が、そう告げた。
オレは、不安と焦燥に駆られて倉庫へと急ぐ。
扉は、まるで波打つように大きく湾曲していた。
今にも崩れ落ちそうな扉は、もはや扉としての機能を果たしていなかった。
外壁も所々崩れており、瓦礫の崩れる音が耳に届く。
その隙間から、内部の構造がちらほらと見えた。
オレは、ストライカーとともに、扉の隙間から中へと入る。
倉庫内には、すでに息絶えた巨大な肉塊が横たわっていた。
一目見て、それがディノベイダーの死骸だと分かった。
「……倒したのか」
オレは、思わず安堵の息を吐く。
その直後、周囲を見渡した。
そこに、見慣れた二人が背中を合わせて座り込んでいるのが見えた。
肩が大きく揺れている。きっと息を整えているのだろう。
「生きてる……」
それだけで、肩の力が抜けていくのを感じた。
周囲では、ベルクボッグさんの声が響いていた。
「おい、大丈夫か!?」
救助を呼びかける声が響く。
彼もまた負傷者の救出に奔走していた。
彼だけではない。
無傷の整備士、兵士、姉さん――
そして、アマーリエ様までが救助に動いていた。
「……あの人、お偉いさんの貴族なのに……」
オレは内心で驚き、同時に敬意を抱く。
――あ、姉さんも同じくらいの身分だったな。
……いや、オレも兄さんもそうだったか。
なんか、ややこしいな……
それでも、今はそんなこと関係ない。
皆が一つになって命を救おうとしている。
そのことが、オレには何よりも嬉しかった。
回復魔術で治療しているのはチスタだった。
額には汗が滲み、顔にははっきりと疲労の色が見えた。
それでも、彼女は手を止めることなく治療を続けていた。
「ありがとう……お嬢ちゃん。ずいぶんと楽になったよ」
「い、いえ……わたしにもっと力があれば、もっと上手く……」
「いや、十分だ。お嬢ちゃんはよくやってくれた。心から感謝してる」
「そ、そんな……感謝だなんて……」
そのやり取りを、オレはそっと聞いていた。
「ストライカー。もう、魔獣はいないか?」
「了――半径五キロ圏内に生命体の反応はありません。脅威は去ったと推測します」
「……そうか」
安心したオレは、ストライカーから降り、救助活動に加わる。
外で戦っていた者たちも戻ってきて、互いに協力し合っていた。
現場は、徐々に希望を取り戻しつつあった。
――そのときだった。
倉庫の奥の通路から、姉さんとベルクボッグさんが、負傷者を支えるようにしてこちらへと歩いてきた。
二人とも表情は硬く、焦りと不安を隠しきれていない。
その男性の足元からは、ポタポタと血が滴っている。
服の下の傷は深く、明らかに骨まで達しているようだった。
「こいつ、背中をやられてる……骨が見えてた」
ベルクボッグさんの言葉に、空気がピンと張り詰めた。
その様子を見たチスタは、震える声で呟く。
「……ひどい……こんなに……」
オレは急いで駆け寄り、チスタに問う。
「チスタ、直せそうか?」
チスタは少しだけ目を見開いてから、すぐにうなずいた。
「……やってみます。けど……」
だが、そんなやりとりをよそに、負傷者が微かに笑った。
「……おい、お嬢ちゃん……オレならいい……そいつを先に見てやってくれ」
隣には、脚を負傷した別の兵士が横たわっていた。
彼は苦しそうな顔でありながらも、笑みを浮かべている。
「譲ってやらぁ……オレよりもひどいじゃないか……」
「……ありがとうございます」
チスタはお礼言って、重傷者に向き直る。
彼女は深呼吸し、額の汗を袖で拭う。
そして、傷ついた兵士の傍にひざまずいた。
両手をそっとかざし、静かに呪文を唱える。
「――彼が負った傷によって我らは癒された、彼の打たれた痛みは我らの平安となる。打ち砕かれた者の心を癒し、傷ついた者にその御手を伸ばされる。我が祈りと共に癒しの光よ、肉を結び、痛みを鎮めよ――アーヴェ・レスティアンテ!」
……少し思っていたのと違うが、ヒールのようなものか?
薄い光がチスタの手から漏れ、負傷者の背へと届く。
その様子を、ストライカーがじっと見つめていた。
「……不思議ですね。あの力は、いったいどんなメカニズムなのでしょうか?」
どこか機械的ながらも、興味深そうな声だった。
チスタの手のひらから、静かに震える光が漏れ出した。
それはまるで小さな星の粒が集まりだした。
そして、彼女の集中と共に、傷ついた男の背中へとふわりと降りていく。
やがて、光は傷口の縁に沿って集まり出した。
ぴり、と。
目には見えない何か――まるで引き寄せ合うように働いている――
そんな気がした。
深く割れた皮膚の端と端が、ほんの少しずつ引き寄せられていく。
その光に導かれ、ちぎれた筋肉や断裂した組織の隙間を埋めるようとしている。
のだが……かろうじて「つなぎとめて」いく。
その段階で止まってしまう……
「……くっ……!」
負傷者が歯を食いしばった。痛みはまだある。
これは完治ではない。
肉体の再生ではなく、あくまで“応急接合”だ。
だが、それだけでも――血の流れは確かに止まっていた。
深く開いた傷口は見た目だけなら塞がりつつあった。
「……やっぱり、わたしには……『くっつける』ことくらいしか……」
額に汗をにじませながら、チスタがぽつりとつぶやく。
だが、その言葉を聞いたベルクボッグさんが小さく首を振った。
「十分だよ。これだけでも、こいつは命を拾えた」
そして、男が苦笑いを浮かべながら、かすれた声で言った。
「……本当に……助かった……すげぇな……お嬢ちゃん……」
男は感謝を述べると、そのまま意識を失うのだった。




