第八十八話 『サラララサラ』
『サラララサラ』――過酷な砂漠の地で育った少女。
サァァァ――
乾いた風が、砂をさらってゆく。
ここは、西の砂漠地帯「ラカンネル」。
この地の言語で『死を呼ぶ地』と呼ばれる場所だ。
準備もなく足を踏み入れれば、確実に命を落とす――
その所以から、この砂漠の地名になった。
そのラカンネル砂漠の山脈近く。
ひっそりと小さなオアシスの村がある。
村の名は「リシア」。
この地にはわずかながら緑が息づく。
かつて流浪の民であったスナネコ族。
根を下ろしたのは、今から五百年前のことだという。
スナネコ族は、古来より一柱の神を信仰している。
その名は――『マスク・ド・ティーガー』。
偉大なる獣人の神。
いつか彼らを楽園へ導く存在だとされてきた。
そして、その神の力の片鱗を扱う術。
それこそが、彼らに伝わる詩――聖戦詩である。
それを詠えば、肉体は覚醒。
身体能力は爆発的に上昇する。
かつては、一人の戦士が人間の軍勢、数万を退けたという伝説も残るほどだ。
誰でも使えるものではない。
だが、サラララサラ――ラサラは、幼くしてその力を発現させた。
本人は、その力など欲しくなかったはずだ。
だが、あの時は――やるしかなかった。
***
彼女が初めて「聖戦詩」を使ったのは、まだ幼い少女だったころのことだ。
貧しい村を支えるため、スナネコ族の男たちは傭兵として各地へ出稼ぎに出ていた。
その間、村に残るのは、女たちと子ども、高齢者ばかり。
そんなある日、砂漠の果てから――盗賊が現れた。
悪名高き、残虐で名を馳せた一団。
追っ手から逃れて砂漠へ入り、飢えと渇きで倒れ、村の近くで力尽きていた。
本来なら、見捨てても誰も責めないだろう。
だが、スナネコ族には「砂に迷った者を見捨てるな」という掟がある。
それがこの地で生きる者の誇りであり、相互扶助の精神だった。
村人たちは、盗賊を助けてしまった。
――それが、すべての始まりだった。
回復した盗賊たちは、恩を仇で返した。
女たちを陵辱し、殺害し、金品を奪い、暴虐の限りを尽くす。
村人の半数が手にかけられ、その惨劇のなか――ラサラの母も巻き込まれた。
ラサラは、母によってタンスの中に隠された。
母は、わが子の命を守るため、時間を稼ごうとしたのだ。
だが――彼女の目の前で、母は陵辱され、殺された。
震える体でタンスを出たその瞬間、盗賊の一人がラサラに手を伸ばす。
そして――ラサラの中で、「何か」が音を立てて壊れた。
次に気がついたときには――すべての盗賊が、血の海に沈んでいた。
怒りと絶望の中で発動した、聖戦詩。
それは、幼い少女が持つにはあまりに強大すぎる力だった。
やがて村に戻った男たちは、凄惨な光景を目にし、
母の亡骸のそばで、ひとり打ちひしがれるラサラを見つけた。
助かった者たちから語られる、ラサラの戦いぶり。
だが、それはあまりにも異常で、恐ろしい内容だった。
――村人たちは、ラサラを恐れた。
命を救われたはずの彼女に、誰も近づこうとはしなかった。
ラサラの父も、傭兵として戦場に出たまま、すでに帰らぬ人となっていた。
母を喪い、父もいない――
ラサラは、その瞬間、天涯孤独となったのだ。
村長は、その事実を本人に伝えるべきか迷った。
だが、あまりに幼く、あまりに傷ついたラサラ。
その現実を告げるのは――あまりに酷すぎた。
事実を知れば、ラサラの小さな心が、完全に壊れてしまうかもしれない。
――そう思った村長は、ただ黙って彼女を見守るしかなかった。
結果、村人たちの間に漂う恐れと沈黙。
その中でラサラはひとり、耐え続けることになった。
その為、ただ一人、村長だけが、彼女の味方だった。
「どうするつもりです?」と問う者たちを、何度も黙らせながら。
その言葉を、ラサラは陰から聞いていた。
やがて半年が経ち、ラサラは自らの意思で決意する。
「ここには、もう――私の居場所はない」
だが、村を憎んではいなかった。
むしろ、愛していた。
母と過ごした、かけがえのない場所だったから。
十三歳の春。旅立ちの日。
村長が一人、見送りにやってきた。
「嫌な思い出も多いだろうが……ここは、おまえが生まれた場所だ……村の皆がどうであろうと――私は、いつでもおまえの帰りを待っている――我が娘よ――」
その言葉を胸に、ラサラは村をあとにした。
それから数年――
流浪の末に砂漠を離れたラサラは、ある日、街道沿いで一台の馬車に出くわす。
それはすでに襲撃を受けていた。
馬車の扉はこじ開けられ、少女が中から無理やり引きずり出されようとしている。
その外には、血に染まった少女の遺体が一つ――
倒れている姿は、襲われている少女と瓜二つだった。
ラサラの脳裏に、過去の記憶が走る。
助けられなかった母の姿。
ただ見ていることしかできなかった、あの夜。
気がつけば、ラサラの体は勝手に動いていた。
聖戦詩――
その詩が静かに、だが確かに胸の奥で再び燃え上がっていた。
数分後、襲撃者たちは沈黙し、少女はラサラの腕の中にいた。
「ありがとう……本当に、ありがとう」
少女――ヒュリエは、震える声でそう告げた。
そして遺体に向かって、静かに祈りを捧げる。
その亡骸こそ、ヒュリエの陰となって行動していた側近だった。
常に一緒にいた、姉のような存在。
ヒュリエは悔しさに拳を握る。
「……私には、力がない。だから、守れなかった」
ラサラは黙ってその言葉を聞いていた。
かつての自分と同じ――守れなかった痛み。
だからこそ、ラサラはこの手を差し伸べた。
「あなたに……お願いがあるの」
「私を、守って。もう、誰も死なせたくない」
こうして、ラサラはヒュリエに雇われることになる。
この出会いが、ふたりの運命を――大きく動かし始めるのだった。
そして今、あの詩が――再び詠われようとしている。




