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第六話 『慟哭』

 父がオレに下した裁定は、独居房にて三日間の反省だった。


 ――三日間。


 長い。


 身動きは取れず、扉が開くのは一日三度の食事のときだけ。


 だが、その食事すらもまともなものではなかった。


 狭く、冷え切った独居房の中で、オレはただ、静かに座っていた。


 壁は粗雑な石造りで、隙間風が入り込む。

 湿った空気が肌を刺し、薄暗い蝋燭の灯りが頼りない影を作る。


 音はない。

 あるのは、自分の呼吸と、時折響く見張りの足音だけ。


 時間の感覚がなくなる。


 ただ、何も考えずに座る。


 ――やがて、扉が開く音がした。


「おい、オマエがアルトメイア様に無礼をはたらいた三男坊か」


 見張り番の男が、意地の悪い笑みを浮かべながら入ってくる。

 手には食事が乗った盆。


 ……それを見た瞬間、オレの胃が鳴った。


 しかし――


「なら、こんな上等なものは要らないよな」


 男は盆の上のパンをひょいとつまみ上げると、もう片方の見張りと顔を見合わせ、くつくつと笑いながら食べ始めた。


「はは、うまいな。三男坊にはもったいねぇや」


 そう言いながら、残った食事を無造作に床へと投げ捨てる。


 ――ぐしゃっ。


 皿が転がり、冷え切ったスープが石畳に広がった。

 かじられたパンの欠片が無惨に散らばる。

 皿にこびりついた豆すら、すでに乾いて硬くなっていた。


 ――腹が減る。


 だが、拒めばどうなるか分かっている。


 オレは無言で膝をつき、こぼれたスープをすすった。


 苔臭く冷たくなった液体が喉を通る。

 パンは固く、飲み込むたびに喉を擦る。

 口の中に広がるのは、鉄臭さと埃っぽさが混じった、苦い味。


 味はしない――いや、しない方がマシだった。


 喉奥に絡みつく苔の匂いと、微かに漂うカビ臭さ。

 吐き気を堪えながら、無理やり飲み込んだ。


 見張りの男たちはそれを見ながら、鼻で笑った。



 そして、三日後――


 扉が開かれる。


 光が差し込むが、まぶしさすら感じない。


 身体は重く、関節が軋むようだった。


 それでも、オレは膝をつき、静かに顔を上げた。


 父の前に立つ。


 彼は冷たい目でオレを見下ろし、ただ問いかける。


「どうだ? 反省したか?」


 オレは、一瞬だけ口を開きかけた。


 けれど、何も考えることができなかった。

 頭が働かない。感情がない。ただ、言うべき言葉を言うだけ。


「……すべて私の責任です。申し訳ございませんでした」


 乾いた声だった。


 それを聞いた父が、ゆっくりと頷く。


「よかろう。フィルも反省したようだ。これにて、今回の件はここまでだ」


 その言葉を聞いても、オレは何も感じなかった。


 まるで、心が麻痺してしまったかのように。


 こうして、普段の生活に戻った。


 だが――待っていたのは、以前よりも冷たい周囲の態度だった。



 廊下を歩けば、使用人たちはオレを見るなり、さっと目を逸らし、足早に立ち去る。

 以前は「お疲れ様です」と声をかけてきた者たちも、今では何も言わない。


 目が合った瞬間、すぐに逸らされる。

 まるで、オレが「見てはいけない存在」にでもなったかのようだった。


 兄に謝罪しようとしても、会うことすら叶わない。

 屋敷の中で見かけても、護衛に遮られ、声をかけることすら許されなかった。


 チスタにも、一度だけ言葉をかけた。

 だが、彼女は冷たく言い放つ。


「あなたに謝ってもらう必要はありません」


 オレは、それ以上何も言えなかった。


 ――何をしても無駄。


 それでも、オレは剣の稽古を続けた。

 日々の体力作りをやめるわけにはいかない。


 身体を動かしていれば、余計なことを考えずに済むからだ。


 数日後――


「フィル……」


 兄アルトメイアが、突然 模擬戦を申し込んできた。


 (……どういうことだ?)


 許してもらえたのか?

 兄がオレに「チャンス」をくれたのか?


 今まで避けられていたのに、こうして自ら声をかけてきた。

 きっと、兄も考えるところがあったのだろう。


 やはり、兄はオレのことを分かってくれているんだ。


 また、以前のように仲良く出来る。


 ――そう思うと、ほんの少しだけ、心が軽くなった。


 だが――


 いざ向かい合った兄は、以前とは雰囲気が違っていた。


「やぁ、模擬戦の相手をありがとう」


 微笑みながら、兄は軽くワンドを構える。

 だが、その笑みはどこか冷たかった。


「……ああ、顔の傷が痛む。手加減してくれよ?」


 何気ない一言。だが、それは確実にフィルの胸を突いた。


 (……っ!)


 フィルの動きが一瞬止まる。


 ――関係ない。オレは本気でやるしかない!


 前は本気を出さなかったことで兄を怒らせたのだ。


 なら、今回は初めから本気で挑む。


 そうすれば――


「……フィルにつけられた顔の傷が痛むなぁ……」


 兄が静かに呟いた。


 その言葉が、心に鋭く突き刺さる。


 一瞬、迷いが生まれた。


 その刹那、時間が止まるように感じた――


 ――ドンッ!


 強烈な魔術の一撃が、フィルの身体を貫いた。


 視界が歪む。肺が苦しくなる。膝が揺れる。


「……あ~あ、これじゃあ、相手にもならないな」


「ま、私が勝ったのを僻んだくらいだ。所詮、この程度か……なぁ、フィル?」


 ――違う。


 でも、声が出ない。


 兄はもう、以前の兄じゃない。


 以前、オレに向けられていた優しかった兄の面影はなくなっていた……


「今日はこれくらいで。また頼むよ、フィル」


 兄は一度だけこちらを見て、静かに立ち去った。


 その背後には、当然のようにチスタが控えていた。

 彼女は歩調を合わせながら、どこか誇らしげに微笑む。


「さすがアルトメイア様。卑怯な真似をする者など、敵ではございませんね」


 嬉しそうに囁く声が、やけに耳にこびりついた。


 オレに向ける視線には、もはや敵意すらない。

 ただ、冷たい侮蔑だけが滲んでいた。


 エルフの血を引くからか、整った顔立ちのチスタ。

 けれど、その美しさは今、氷のように冷たく感じる……


 兄の態度も、彼女の視線も、すべてが突き刺さる。


 ――オレに向けられるチスタの冷酷な表情。

 そして、もはや別人となった兄の姿。


 オレはただ、呆然と立ち尽くすしかなかった。

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