第五十二話 宿りかけた、篝火……
――彼女が去ってほどなくして、オレはまだこの場所で呆けていた。
最後の方は何を喋っていたのか、あまり覚えていない。
あの獣人剣士の名前と、最後に別れ際に見せた笑顔だけが脳裏に残っている。
「……帰らなきゃ……」
力なく項垂れ、そう呟きながら足を踏み出す。
その時、足元にドロッとした滑る感覚が伝わった。
「…なんだ?」
視線を下げると、血だまりがまだ残っていた。
時間が経ち、ドス黒く変色した血が地面に広がっている。
オレはその上に、うっかり足を踏み込んでしまった。
その嫌な感触が、獣人が躊躇なく切り捨てた光景を脳裏に蘇らせる。
「……うわぁぁぁ!」
足が震え、膝が笑い、体の浮遊感に耐えられず尻餅をつく。
……死んだ……
あの「ラサラ」とかいう獣人が、男を切り殺したんだ……
その足から伝わる感触が、はっきりと思い出させる。
斬られた男は、驚愕と恐怖を滲ませたまま、何かを言いかけるような口の形で絶命していた。
あんな簡単に……人を殺せるのか?
命を奪えるのか?
少なくとも、オレには無理だ……
これは、一体何の違いなんだ?
道徳観? 倫理観? 環境か? 状況か?
分からない……
ただ、分かるのは「オレには無理だっ!」ということだけだ。
……そういえば、あの子も、まるで気にしていない様子だった。
こんなことに慣れているのか?
それとも……?
いや、そもそも、オレと大して歳が変わらない。
それなのに、こんな修羅場に慣れれるものなのか?
少なくともオレにはできそうにない。
それでも、追い詰められれば、オレも殺してしまうのだろうか?
さっきも、オレに相手を殺す機会はあった。
でも、出来なかった。
それが、答えじゃないのか?
たしかに、倒そうと思えば簡単だ。
このアーマーを全開にすればいい。
それだけで、相手を簡単に殺せる。
でも、出来なかった。
心の中で、殺すのに怯えていたからだ。
殺してしまうと、オレがオレじゃなくなる気がした。
だから、怖かったんだ……
けど――あの子は、最初から殺すことに躊躇がなかった。
初めから、躊躇なく男を切った。
それは浅く、命までとはいかなかった。
けど、初めから殺しても問題ない感じの剣筋だった。
それに、あの獣人も人を殺しても、眉一つ動かさなかった。
相当慣れているんだろう。
その手の修羅場を。
迷えば、自分が死ぬ――それを知っているのだろう。
それほどの経験を積めば、平然とできるのだろうな……
あの子もそうだった。
人が死んでも、平然と……
「あ………そういえば、名前、聞き忘れたな」
……よく考えたら、オレも名乗ってなかったな。
「………」
まぁ、いいさ。
縁があれば、また会うだろう。
その時は、どっちのオレなのだろうか?
――慣れられなかったオレか……それとも……
オレの思考は、屋敷へと続く道の上で、終わることなく巡り続けていた。
――屋敷に戻る。
フィルは夕刻、誰にも告げず屋敷を抜け出した。
気づかれないよう慎重に行動し、塀を越える際、アーマーの能力を開放する。
軽々と飛び越えて自室へと向かった。
二階の自室の窓は、あらかじめ少し開けておいた。
そっとベランダから忍び込む。
部屋に戻ると、ひとまず安堵のため息をつき、そのままベッドに身を横たえた。
次の日の夕刻、フィルは急いでストライカーの元へと向かう。
街を歩きながら、無意識のうちに昨日の少女を探していた。
フィルは、賑やかな街並みを見渡した。
だが、あの獣人の剣士と一緒にいた少女の姿はどこにも見当たらない。
――まぁ、さすがに今日はいないか。
そもそも貴族の娘だろう。
そうそう一人で歩き回るはずがない。
そう思いながらも、どこか気にしつつ、ストライカーの元に急いだ。
グリムヘッドが設置されている場所に到着する。
警備の隙を掻い潜りながら、なんとかストライカーに乗り込む。
慎重に機体を動かす――そのとき。
「……問:なにか、お探しでしょうか?」
突然の問いかけに、フィルは一瞬動きを止める。
「いや……べつに……」
「そうですか……なにか、そわそわして、キョロキョロしてましたので、私の勘違いでしょうか?」
オレ、そんな挙動してたのか?
「……なぁ、そんなにオレ、おかしかったか?」
「ええ、『心ここにあらず』、くらいには」
「そうなのか……」
知らず知らずのうちに探していたのか……
そんなに気にしていたのか?
……わからない。
けど、何かに惹かれているのだろうか?
あの無邪気さの中にある、人の生死を簡単に断ち切れる覚悟。
非情さというか……ただの残酷さではなく、ある種の決意のようなもの。
それが気になって仕方ないのかもしれない。
それに、あの絶対に引かない気の強さ。
加えて、子供達への優しさ。
――そのすべてが、オレは気になっているのか?
……知りたい。
「……なぁ、おまえは気になる人がいるとして、その子の名前もなにもしらないとしたら、どうする?」
「……解答:そのような前提は無意味です。情報が不足しすぎです。これでは解答のしようがありません。ですが……そのような答えがお望みではないのでしょう?」
「……まぁ……な……」
「であるならば……推奨行動:『偶然の再会に期待する』『名前を知らないまま気持ちを育てる』『ロマンチックな運命を信じる』――いずれも非合理的ですが。このような解答がフィルにはいいのかもしれませんね。どのみち、今の段階では確実な答えなど出ませんよ」
「……なんか、ムカつくが……その通りだよ」
「そうです。フィルがその女性を気に入ったのならば、わたしも手伝いますよ」
「べ、別に……そ、そういうんじゃ……それに女性と決まったわけじゃ……」
「その手の悩みは得てして、女性関係ですよ。違うのですか?」
「……違わない……」
否定は出来ない……けど、それをストライカーに言われるとなんだかイラっとする。
なぜだろうか……?
「人とは摩訶不思議なものですね。素直に好意を持っているのならば、持っていると言えばいいんですよ」
「おまえは単純でいいよな」
「機械はシンプルな選択をしないとやっていけません。次々と押し寄せる問題にイエスかノー、その状況に応じた選択を迫られ続けるのですから」
「……たしかにな」
「わたしとしては、そのような不安定なフィルに陥るくらいなら、さっさと結びつき、繁殖の可能性を確保することで、精神的な安定を得るのが効率的では?」
「うおぉぉいぃぃ! なんてこと言ってるんだ、おまえ!」
「ですが、人は子をなし、育てていく種族ではないですか? ならば……」
「いやいやいやっ! まだ、そこまでは考えたことないってっ!」
「そうですか……残念です」
「……ったく。それより……」
フィルは顔を赤くしながら、あわてて話題を変えようとする。
ストライカーは無言のまま静かに操作を続けていた。
フィルは、未だに自分がなぜ彼女のことを気にしてしまうのか、答えを出せずにいた。




