第三十六話 『ケーニッヒ・ブッシュボーン』④
古びた木製の机に向かい、ひとりの少女が真剣な表情で何かを作業している。隣には、二十歳前後の青年が、柔らかな笑顔を浮かべながら手を差し伸べ、丁寧に何かを教えている。
少女は集中した眼差しで、手のひらで小さな人形を慎重に扱っている。その動きはまだぎこちないが、必死にそれを克服しようとする気持ちが伝わってくる。
青年は少しハラハラしながらも、焦らずに冷静に言葉をかける。
「ああ、そこの魔法陣はこう――」
「こう?」
「そうそう。それでいい。そうすると、こっちの小さい図に反応して、この足の膝が動く。そして、次にそっちの図を足すと時間差で足首が動いて、で、次が逆の足が動く。あとは右足と同じように組み込めば、連続して足が動いて前進する。そうっ! よく出来たね」
「うわぁ……これ、ボクが直したの?」
「うんうん、そうだよ。嬉しいよね。自分の手で直せたのって。うんうん」
「うんっ! うれしいっ! もっと、もっと、おしえてっ! ハッサンさんっ!」
「ああ、いいぞ……って、悪い、もう行かないと人を待たせてるんだ」
「ええっ! もう……」
もうちょっと……そう言いかけて辞めた。
折角、教えてもらってるのに、そんなわがままは言えない。
別に、また教えてくれるんだし、それまでに何度も自分でやり直して慣れればいい。
それで、いつかは自分でなんでもできるようにならないとっ!
「うん、教えてくれてありがとうございました……その……」
「……そんな悲しそうな顔するなよ。またくるよ。はは。それまで、オレの予想を超えたケーニッヒちゃんになっててくれよな。あはは。じゃあな」
「うん、また」
ボクは手を振ってハッサンさんを見送った。
楽しい!
ハッサンさんに教えてもらいながら理解できていくのが、すごく楽しい!
壊れていた人形が直せた!
そのことがボクには嬉しかった。
もっといろんなことを知りたい。
そして、その思いをハッサンさんは叶えてくれている。
最初は何も分からなかった。
けれど、道具や素材の使い方を覚えるたびに、分かることが増えていって――楽しくなった。
そして、そんな日々が二年続いた。
昨日も、今日も、そしてきっと明日も。
そんなふうに、当たり前のように思っていた。
だけど……そんな当たり前は儚く消えてしまう……
――ハッサンさんが故郷に帰る。
そう知らされたのは、たった一週間前のことだった。
両親が病に伏せっているのだという。
ハッサンさんの故郷は、西のトワラキア地方にある湖の街『ドラゴニックレイク』だ。
名前の由来は、ドラゴンもこの湖の水を飲みに来るほどに綺麗な湖、という意味らしい。
なんとも仰々しい名前だが、今はそんなことを気にしている場合じゃない。
そこへ行くには、ここから馬車で一ヶ月はかかる。
一度戻れば、もう気軽には帰ってこられない。
だから、彼は決めたのだという。
そのまま、故郷に帰ることを。
こんな日々が永遠に続くなんて――そんなわけがないのに。
でも、あの時のボクは、本気で信じていたんだ。
なんで……どうして……
行かないでよ……
もっと、おしえてよ……
そう……言いたかった。けれど、それを口にすれば、ハッサンさんを困らせてしまう。
だから――言えなかった。
でも……ここにいてよ……
そう願っても、時間は残酷だった。
刻一刻と、別れの時が近づいてくる。
どちらとも、何も言わないまま、ボクの部屋での指導が続く……。
ボクも言わない。
ハッサンさんも言わない。
だけど、その眼差しも、その仕草も――すべてが、別れを告げているようで。
いやだ……いやだ……いやだよ……!
でも……ボクがそう願っても無駄なんだ……
――ならせめて、ボクを覚えていてほしい。
でも……どうすれば?
何か、記憶に残るものを渡せばいい? 手元にあるのは、普段使っている魔道具の材料ばかり。
何か作るべきか?
……いや、時間がない。そんな急ごしらえの魔道具なんて、雑な作りになるだけだ。
それに、ハッサンさんはきっと、ボクが作る程度の魔道具なんて見飽きている。
でも……
ボクは考えながら、部屋の中をふらふらと歩いた。
気がつけば、足が机の前で止まっていた。
机の上には、キラキラと輝く綺麗な破片があった。
――これは! ……このパールホワイトの美しい欠片は!?
そうだっ!
これは、あの倉庫前で拾ったものだっ!
ハッサンさんに聞くと、それは『グリムヘッド』の外装の破片だそうだ。
返さないと……そう思ったボクに、ハッサンさんは言ってくれた。
「別にこれくらいならいいよ。ケーニッヒちゃんが持っておきな」
それから、この破片はボクのお気に入りになり、いつも机の上に置いていたんだ。
「これだっ!」
ボクはすぐさま作業に取り掛かった。
外装の破片を慎重に削り、丸みを持たせる。
それを細い金属の枠で包み込み、チェーンを通す。
ペンダントにすることで、肌身離さず持ち歩いてもらえるように。
これなら――ハッサンさんも、きっと気に入ってくれる。
ボクとの時間を、ほんの少しでも思い出してくれるはずだ。
そう信じて、ボクはペンダントを握りしめた。




