第九十九話 『はじめての衝突』
――バシャバシャ。
「ねぇ、アンタ……?」
「な、なんだ? アイダ?」
「ほんとに、良かったのかねぇ……あんなことさせて……」
「し、仕方ないだろ……「働いて返します」って、あんな顔されて言われたらさ」
「けど……ご領主様の息子さんなんだろ……あたしゃ、後が怖いんだよ……何もなければいいけれど……」
「お、おどかすなよ……俺だって『お代は今度でも』って言ったんだぞ……すると「いえ、それではいけません」って、言われたら断れないだろう」
「ほんとに……気が休まらないねぇ……」
「だよな……」
「「はぁぁぁ……」」
――『ワイルドキャッツ』の夫婦は、深い溜息を吐いたのだった。
※※※
結局、オレの財布は見つからなかった。
仕方ないから、働いて返そうと切り盛りしている店の夫婦に事情を伝えようとした。
すると――
「いいじゃない。これくらい、あんた、領主の息子なんだから、目をつむってもらえば!」
「……っ!」
これくらい、だと……?
ヒュリエのその一言に、無性にイラついた。
たしかに、彼女に悪気はなかったのかもしれない。
――けれど、それが逆に腹が立つ。
領主の息子だから? 金額がしれているから?
そんなの、関係ないだろ!
力を振りかざして、無理やり押し通そうとする。
そんなやり方が――心底、気に入らない!
ヒュリエはお嬢様だ。
たいていのことは、権力をちらつかせれば片がつく。
けど、そうして生まれた"犠牲"はどうなる?
黙って耐える者がいる。
顔では笑っても、胸の奥にはやりきれない思いが渦巻いている。
それでも、相手が権力者なら何も言えない。
――言えないと分かってて、そうしてくる。
それが、なおさら許せない。
そして――
そんな「貴族らしい言い分」を平然と口にするヒュリエが、もっと許せなかった。
オレはヒュリエがそんなヤツラと同じ場所に立っている。
そう思うこと自体が腹立たしかった。
友達だと思っていたからこそ――
ヒュリエは“違う”と思っていたからこそ――
だからこそ、余計――
同じ場所にいること自体が――許せなかったんだっ!
だから、ついきつくヒュリエに言葉を吐き出してしまった……
「これくらい……って、言ったか?」
「な、なに? どうしたのよ、怖い顔して……」
この何も分かっていない顔……
さも、特別扱いされて当然だと思っている素振りに我慢できなくなった。
それとは別に冷静になっているオレもいる。
それはヒュリエのせいじゃない。
それは分かっている……
これは長年、そういう特権を振るってきた結果なんだ……
わかっているんだ……
けど、これではいけない。
これでは、ヒュリエのためにならない……
オレは、そう思ってしまった。
そうは思っているのだが……
「別にこれくらい普通でしょ! わたしはフィルのために言ってあげてるのよっ!」
――この一言が、オレの中で何かが決壊した。
「おまえ……それ本気で言ってるのか……?」
「そ、そうよっ! 何が不服なの!?」
「そうか……なぁ、一つ聞きたい」
「な、なに?」
「さっき、おまえは「これくらい」って言ってたよな?」
「そうねっ!」
「その、「これくらい」を作るために、どれだけの労力と人が携わっているか知っているのか?」
「し、しらないわよっ! そんなもの!」
「そうか……そうだよな。知らないよな。だから、おまえは平然とそういうことが言えるんだよ……」
「………」
「まぁ、知ならないなら、それでもいい……でもな、その「これくらい」のものを食べれない人もいるんだぞっ! おまえは、それでも平然と「これくらい」って言えるのか?」
「……うっ」
その言葉に、ヒュリエは一瞬たじろぎ、口をつぐんだ。
「「これくらい」の物に携わった人だけじゃないっ! みんな、その「これくらい」のものを食べようと努力し頑張っている。そして、頑張っても食べれない人もいるっ! おまえは、そういった人たちの気持ちすらも踏みにじったんぞ! それを、わかっているのか!?」
突きつけられた言葉にヒュリエは瞳に涙を溜めて、握った拳をキュッと力を込めた。
そして、キッとフィルを見つめて言葉を放つ。
「……なんで……なんで、そんなこと言うのよ……わたしはただ、フィルが困ってるから助けようとしただけなのにっ!」
「その助け方が、間違っているって言っているんだよ!」
「なにが、間違っているのっ! たしかに、フィルの言ってることが全部正しいのかもしれないけど……でも! でもっ! わたしだって……わたしなりに、精一杯だったんだからっ!」
その声には、怒りと悲しみ――
そして、子どものように拗ねた悔しさが、混じっていた。
「なんで……なんで分かってくれないのよっ! フィルなんて……フィルなんて、知らないっ! ばかぁぁぁ!!」
悔しそうに唇を噛みしめながら、立ち去るヒュリエにオレは何も言わなかった。
ヒュリエは一度考えを改めたほうがいい。
だから、オレは追わない。
それに、追わなくてもラサラさんがいるしな。
少し離れた場所にラサラさんがいたことに、オレは気づいていた。
向こうも、それを気づいているのかヒュリエとオレのやり取りを見守っていた。
それに、獣人は耳がいい。
オレたちの会話も聞こえていたはずだ。
その証拠に、ラサラさんはオレに一礼をするとヒュリエの後を追っていた。
最近、オレの感覚がするどくなったのが分かる。
だから、ラサラさんがいることを知り得た。
これは、なんなんだろう?
前にストライカーがオレに魔力があるといっていたことと関係してるのだろうか?
それとも、森での戦闘にシミュレーターと毎日の鍛錬、それに魔獣との戦い。
そういったものが、オレを研ぎ澄ませたのだろうか?
分からないが、間違いなく感覚が鋭くはなっている。
そう感じている。
そして、オレはそのまま働いて弁済することを提案した。
困った顔をしながらも、曲げなかったオレに渋々了承してくれた。
そして、今に至っている――
そして、オレは皿洗いをしている。
「………」
こう、無心に皿を洗っていると、少し冷静になってくるな。
そして、少し言いすぎたとオレも反省している……
あいつ……泣いてたな。
ちょっと、言いすぎたかな。
あの時は、オレも冷静になりきれなかったしな。
ヒュリエはいい娘だよ。
それは間違いない。
けど、ああいった貴族の悪い部分は見たくなかった。
「………」
あれ?
オレは自分の理想のヒュリエじゃないから、怒ったのか?
それじゃあ、オレのただのワガママじゃないか……
これじゃあ、ヒュリエのことも悪く言えないな。
――ジャブジャブ。
……帰ったら、オレも謝るか。
だけど、それでヒュリエが増長したらどうしようか……
いや、それでも一度謝るべきだな
――ジャブジャブ
――ジャブジャブ
「……ん?」
あれ?
隣に誰かいる。
いつの間に……
見ると緑色の短髪の女の子が一緒になって皿洗いをしていた。
そして、その娘がオレに話しかける。
「キミも逃げ切れずに捕まったの?」
と――




