4. イアン兄様の生誕祭 ① ワタシノナハノエル
今日はイアンお兄様の生誕祭。
お祝いという口実のもと、たくさんの貴族とその子息がやってくる日だ。
お目当てはもちろん、同じく生誕祭に出席するご令嬢たちね。
純粋にお兄様の誕生日を祝ってくださる方々もいるけれど、殿方というのは元来——不純な生き物でしょうから、令嬢目当てと仰る方のほうが正直だと思っている。
さて本日の私は、自室の窓から静かに見守るスタイルだけれど。
病み上がりだから、誰もおかしいとは思わないはず。
着飾って現れるであろう義妹のリディアとも、鉢合わせをせずに済むしね。
なかなか良い選択なんじゃない?
そう思って、自画自賛しているところだ。
私の部屋は、屋敷の正門を正面に見ることができる2階のど真ん中。
招待客を確認するには、とんでもなく便利なお部屋なの。
だから今日は、一度目の記憶を辿りながら楽しむつもり。
答え合わせを楽しみながら、皆様の様子を拝見することに致しましょう。
「ねぇ、リズ。今日は部屋からお祝いするわ。一歩も出ないから、お茶とお菓子を用意してくれる?」
———ノックの音に振り向くと、そこにはイアン兄様が立っていた。
「おはよう、ティナ。調子はどうだい?」
「お兄様!お誕生日おめでとうございます。もう元気になりました!ご心配をおかけして申し訳ありません」
イアン兄様という人は、どうしてこうも眩しいのだろう。
お父様譲りの銀髪と、お母様譲りのラヴェンダー色の瞳。
この儚げな色の組み合わせのせいだろうか。
繊細すぎる顔の造と相まって、目が眩んでしまうほどだ。
「それは良かった。今日は部屋で過ごすと聞いたから、クッキーを持ってきたよ。街で買ったんだ」
美しい水色の包みを掲げて見せると、兄様は嬉しそうに笑って。
それをリズに手渡しながら「お茶をいれてやってくれ」と言う。
「ありがとうございます。私からもプレゼントがあるんです!」
そう言ってはみたものの、私は露骨に躊躇った。
だって、美しい兄様に渡すには極めて不恰好なプレゼントなんだもの。
「どうしたの?……ティナ?」
兄様は促すように、早くプレゼントを見せろと言うような表情を見せている。
プレゼントがあると言ってしまったのだから、もう後には引けないわよね。
そうして私は躊躇いながらも、刺繍入りのハンカチを差し出した。
手を血だらけにして完成させた、決して美しくないハンカチを。
おそるおそる仰ぎ見た兄様のお顔は、私が思っていたのとは全く違って。
さすがは貴公子、驚くほど顔色ひとつ変えていなかった。
むしろ嬉しそうに受け取ると、満面の笑みまで見せてくださって。
見た目ばかりを気にする自分の根性を、私は初めて恥ずかしいと思った。
「ハンカチだね、嬉しいよ!刺繍はティナが自分で?」
「……はい。不器用で上手くできませんでしたけど、頑張りました」
私は前世『悪女』とは思えない、極めて消極的な仕草をしていて。これには自分でも驚いた——。
もじもじとお腹の辺りで動く自分の手に、しばらく釘付けになったくらい。
「上手にできてる。大切にするよ。それと、これは僕からティナへ」
もじもじする私を見てクスリと笑いながら、ハンカチを大切そうにポケットに収めて。兄様はそっと、足元から高そうなバスケットを持ち上げた。
底にしっかりと手を添えて、何やら繊細なものを扱うような様子で。
それは旅行鞄のような、前世でも見たことのないバスケット。
たくさんのお菓子でも入っているのかしら??
そう思うほど、大きなバスケットだ。
兄様は私の様子をしばし楽しんだ後、再び面白そうに笑って。
バスケットの蓋を大袈裟な身ぶりで開けた。
すると途端に、兄様の手からバスケットが転がり落ちていく。
何か毛玉のようなものが勢いよく飛び出したから、その衝撃で落ちたのかもしれない。
「キャッ!」
「ニィャーーーアッ」
私は思わず悲鳴を上げたのだけれど、それと重なるように、何とも言えない高音で神経質な鳴き声もまた、部屋中に響いた。
バスケットの淵に足を引っ掛けながら飛び出してきたのは、小さな毛玉さん、
怯えて全身の毛を逆立てて、まん丸になった仔猫だった。
小さな耳がちょこんと折れた、垂れ耳の三毛猫。
ぽっちゃりとした身体を丸めて、ソファの下に潜り込んでいる。
「まぁ!可愛い!!お顔の柄がなんて個性的なんでしょう」
「気に入ったかい? 庭園で鳴き声を聞いた時、ティナが心配そうに探していただろう? あの声の主は、おそらくこの子だ」
「ありがとうございます!!大切にしますわ。ほら、おいで!!怖くないよ」
私はカーペットに顔がついてしまうのも気にせず、ソファの下を覗き込んだ。
目も合うし、そんなに距離があるわけでもないのだけれど。
仔猫はまったくこちらに来ようとしない。
そうしてその猫と目を合わせている最中、私は唐突に——『今』を愛おしむ気持ちと、複雑に波立つ不安な気持ちに包まれていった。
ここのところ愛称で呼ばれることも増えて、『愛されている』という実感も持てるようになった。でもそれと同時に、一度目の辛さが蘇ってくるようになったのだ。
一度目の5歳は、こんなに幸せじゃなかったから。
お父様もお兄様も、ほとんど話しかけて下さらなかったものね。
今の態度とは全く違う、なぜだろう?
あまりにも幼少期に遡りすぎて、正直なところ——全く理由がわからなくて。
「それじゃあ、ティナ!私はもう行くよ」
「あ、はい!楽しんでくださいね」
まずは普通の可愛い5歳でいられるように努力しよう。
悪役扱いされる隙もないくらい、地味に生きよう。
兄様の声で我に返った私は、改めて決意を新たにするのだった。
「普通大好き!地味最高!普通大好き!地味最高!……それと、悪女皇后にならないためには、皇族との結婚はダメ、絶対!」
そう、関わらないのが一番よ——。
そもそも出会わないように、私の存在を意識されないように。
そんなふうにできるかしら?
一度目の婚約っていつだった?
第一皇子アレクシス殿下との婚約——。
あれはたしか、私が8歳の時よ。
ということは、まだ3年もある!
二度目は第一皇子だけじゃなく、第二皇子にも注意しないとね。
頭を整理してみたら、なんとなく行けそうな気がしてきた。3年の我慢なら、何とか逃げ切れそうな気がする。
「まずは3年間そっと引きこもって婚約回避。そこからまたメラヴィオ学園に入学するまで地味にして。皇室から発見されないようにする……と」
いくら公爵家の令嬢相手でも、さすがに引きこもりに縁談は持ちかけないはず。
社交性ゼロの皇后なんて、皇室はお嫌いでしょうからね——。
『ゴロゴロ……ゴロゴロ……フニャァ~』
「あらあら、私のこと好きになってくれたの?」
いつの間にか仔猫が、私の足元にゴロンと転がっていて。派手にお腹を見せている。
これはあれよ、撫でろと仰っているんだわ。
「キャーーー!お腹見せてくれるの!?可愛すぎる。
ノエル?——名前はノエルにしよう。
12月に出会ったんだから、ピッタリよね
ふいに頭に浮かんだ名前を、仔猫に向けて呼んでみた。パッと顔を上げたところを見ると、気に入ったのね?
——ゴロゴロゴロゴロ……ゴロゴロ……ゴロゴロ……
(私の名はノエル。クリスティナから賜った大切な名前。彼女が一生を終えるまで従い、守ることを誓う)
この時の私は信じていた。
頭に浮かんだ『ノエル』という名は、私が思いついたものだと。
何年もの時を経た遠い未来で、全ての真実を知るまでは。ずっと——ずっと——。