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少しだけ期待してもいいのでしょうか

 辿り着いたそこは、とても普段から人が住んでいる様には思えない見なりをしていた。所々剥がれたお粗末な屋根は、本当に雨風凌げるのか心配になってしまう程だ。通りかかった幼い子供たちならば、この家屋をきっとこう呼ぶだろう。『幽霊屋敷』と。実際にここに依頼人たちが住んでるかどうかは別として、確かにここならば幽霊の1つや2つ、出てもおかしくは無いかもしれない。雰囲気は満点花丸をあげたいくらいである。


「雰囲気出てんな……………」


 ポツリと呟く黒馬様の横で、しばらくその建物を見上げていたが、そんな私たちの背中を押す様に、依頼人の男たちが玄関を開けた。何度引いても滑りが悪いのか、なかなか開かない戸を無理矢理こじ開けると、パラパラと天井から砂埃が落ちて、依頼人が咽せている。思わず青兎様の口から「本当にここの住人なんだよね………?」と疑惑の声が漏れ、再度この町の男たちがいかに怪しいかを再確認した。怪しい。とにかく怪しい。見本となるくらいに怪しい。

 再度依頼人たちの様子に目を遣ると、舞ってきた埃に「なんだこれ!きったねぇ!」と声を荒げている。その埃の具合と、本人たちの反応からしても、どう見たってここに住んでいるとは思えなかった。よくもまあそんな不自然さ全開で、人を騙せると踏んだものだ。全てにおいて雑な計画に、むしろ同情してしまいそうになる。しかし、もし本当に、万が一、億が一、ここに悪い霊が住んでいると言うのなら、巫女として放ってはおけない。私は敢えてそこに関して深く考える事はやめて、依頼人たちに続いて中へと足を踏み入れた。


 むわりと鼻を付く、埃とカビの嫌な臭い。当然ながら床にも埃が積もって、白っぽくなっている。先に上がり込んだ依頼人たちの足跡がくっきりと残るくらいには、ここに人が上がり込んだのは久々な様だ。その有様にチッと背後から盛大な舌打ちが聞こえて振り返ると、眉間に深く皺を刻んだ紫狐様。


「コイツ潔癖入ってんだよ」


 庇う様に説明する黒馬様の言葉に、『あー………、っぽいな』と思ってしまったのは秘密にしておこう。どうやら紫狐様は、この汚い家………、いや最早廃屋と表現した方が早いだろうか。とにかくここに上がり込む事にかなりの抵抗があるようだ。私とて、とてもじゃないが良い気分ではない。行かなくて済むなら行きたくない。しかし仕事である以上、そんな我儘は言ってられない。何なら私だけでもいいのでサクッと終わらせてくるか、という位の気持ちで、私は汚いボロ家屋へ一歩上がり込んだのだった。


「ささ、巫女様は此方へ」


 ヘコヘコと無駄に頭を下げる依頼人が指す先は、更に階段を上った奥の方。その先は日の光も入らず真っ暗で、何があるのかはここからでは確認出来ない。


「2階に霊が出るのですか?」

「そうなんですよー!もう困っちゃって困っちゃって…………」


 体をくねくねとしならせながら笑う男の笑顔が胡散臭いことには、もう触れない方がいいだろうか。怪しむのに飽きた、なんて、普通の人が日常生活の中で、なかなか抱くことのない感情である。これが最後、もう一度だけ警戒する様に上を覗き込んだが、やはりカビ臭い匂いがするだけで、何も確認することはできなかった。しかしその中で漸く1つだけ、私ははっきりしない、気持ち悪い違和感を抱いていた。階段に、既に幾つかの足跡が残されているのだ。依頼人である男3人は私の背後に立っているし、足跡の数からして、どう見ても3人以上の数が刻まれている。………何かが2階にいる。それが人間か、霊か。怪奇現象の1つとして、覚えの無い足跡が残っている、という事も有り得なくはないが、依頼人たちはこの足跡を見ても特に怖がる様子も無く平然としている。つまりは………。


 とりあえずここで怪しんでいても仕方ないし、2階へ上がるしかないか。促されるままに私が階段を一段上がると、すかさず依頼人の男が逃げ場を奪う様に背後を塞いだ。


「軍人さんは居間の方へ。お祓いは巫女様にしか出来ないでしょうし、待って頂く間にお茶でも………」

「は………?」


 その動きは、明らかに私と黒馬様たちを分断させようとしている魂胆にも見えた。思わず眉間に皺を寄せた黒馬様が、どういう事だと言わんばかりに男たちに詰め寄る。そしてそれに私が慌てて口を挟んだ。まだだ。まだ、彼らの計画が何なのか、私たちが本当に騙されているのかが証明できない。


「黒馬様、私なら1人でも平気です。お祓いは初めてではないので」

「………………」

「下で待っていて下さい」


 怪しさはあるが、実際にまだ何かをされた訳ではないのだ。私に言われて、4人はだいぶ渋々ではあったが、無言で引き下がった。依頼人に案内されるがまま、ゾロゾロと居間に入っていく背中を見送る。通り過ぎ様にそれぞれが依頼人にしっかりとガンを飛ばしている姿を見て、何だかまるで国の為に働く軍人というよりかは、どこかの柄の悪いゴロツキのように思えた。


「ケッ…………。国の飼い犬風情が………」


 そして、小さくボソリと吐き捨てられた男の言葉も、私は聞き逃さなかった。恐らく、黒馬様たちの警戒心は正しいものであり、きっとこの階段を上がり切った先に何かがあるのだろう。私も馬鹿ではない。それを分かった上で、敢えて男たちの策に乗っているのでだ。気付いていないのは、この依頼人たちの方。


「では、案内して頂けますか」


 私の声に弾かれたように笑顔を取り戻した男は、先導して階段を上がっていく。


(この先にいるのが、ただの霊なら良いのに)


 悪い人間よりも悪い霊の方が、私にとってはよっぽど簡単だった。そうだったらいいのに、なんて思いながら。でもきっとそうじゃないんだろうな、と理解しながら。その真っ暗闇の先を目指して、階段を上る。

 一段一段階段を上がる毎に、光が奪われていく。周りはどんどん暗くなり、軋む階段の音がいやに不気味に聞こえて、胸騒ぎが大きくなって………。そしてその嫌な予感と共についに2階へ上がると、すぐさま背後から無骨な手が伸びてきて、私の口を塞ぐように覆った。すかさず羽交締めにされて身動きが取れなくなると、そこでようやく真っ暗だった2階に明かりが付く。ぼんやりと灯された蝋燭。その揺らめく炎を囲う様にして、見知らぬ男が5人。伸びた無精髭を指で撫でながら、品定めするような視線を私に向ける。


「よぉ巫女様。わざわざご苦労様」

「悪い霊が体に取り憑いちまってよぉ………。"お祓い"、頼みますわ」

「……………っ」


 ゲラゲラと響く笑い声と共に、私の腕は硬く太い縄で縛られ、口には布を押し込まれた。そして背中を突き飛ばされ、勢い良く床に倒れ込む。

 ………嗚呼、やっぱり。悲しさ、怒り、憎しみ、そういった激しい感情よりも、やはり私はここでも、諦めに似た感情の方が大きいのだった。町の人たちの為に依頼をこなしても、向けられる視線は疎ましさをぷんぷんに含んだもの。依頼の対価として払う金を、嫌そうに差し出す町の人たちの態度に、いつしか私の心は少しずつ死んでいった。嫌がらせの様な嫌な依頼も、いちいち数えてられない程にこなして来たし、こうして自分の身に危険が迫る様な危ない場面だって、初めてでは無い。


『菖蒲様が心配なんだよ』


 だが何故かこの時、私は頭の中でぽつんと、先程言われた聞き慣れない言葉を思い出していた。この依頼を受けるのかと、ついさっきまで依頼人に警戒心を剥き出しにしていた黒馬様たちの心配げな様子と、青兎様の言葉。それらはどれも私にとって、あまり受け取ったことのない態度と言葉である。そしてその言葉に、彼らに、淡い小さな期待をしている自分がいることに、驚きを隠せないでいた。


 ーーー助けに来てくれるかもしれない。


 町の荒くれ者など、きちんとした訓練を詰む軍人の前では、恐らく一切歯が立たないだろう。彼らならば、このような状況でも打開できる。ただ、それを素直に信じて待てる程、私も真っ直ぐではないし、馬鹿にもなれない部分もあった。………期待するのが、怖いから。期待して裏切られた時、絶望するのが怖い。つい昨日、彼らと出会うまで。私を助けてくれる人なんてこの世にいないと考えて一人で生きてきた私にとって、人を信じる、誰かに期待するというのはとても難しいことだった。


「こんな状況なのに表情1つ変えねぇなんて………、可愛げのねぇ女だ。噂には聞いてたが、本当に人形なんじゃねぇのか?」

「少しは 助けてー って泣いてくれたって良いのになぁ。こっちも雰囲気が出ねぇんだよ」

「騒がれたら面倒なだけだ、黙っててくれるならそれに越した事はねぇじゃねぇか」


 さて、いよいよ余計な事を考える暇がなくなってきたようだ。まずは何とかこの状況から脱出しなければならない。


 こちらに伸びてくる無数の手を見回しながら、私はただ静かに思考を張り巡らせていた。














 一方で、黒馬たちは通された居間に座り、静かに事を待っていた。お茶でも、なんて言っていた割には、依頼人がそれを持ってくる気配は無く、ずっとソワソワと2階の方を気にしている様である。まるで『俺も早く2階に行きたい』と言わんばかりに、しきりに階段を覗き込んでいた。一体何がその男の落ち着きを奪っているのか。この時点で、この依頼人たちが本当に"お祓いをして欲しい"という理由で菖蒲をここに呼んだのではない事を、確信していた。黒馬はその男に声を掛ける。


「何か気になる事でも?」

「えっ!?」

「しきりに2階の方を気にしてるみたいなんで」


 黒馬の言葉に、分かり易く焦ったような反応をする男。同時に何故か天井から、ドスドスと誰かが荒く歩き回るような足音と、それに揺られてパラパラと埃が舞ってくるのを感じた。お祓いの事に関して、黒馬たちは全く詳しくはないが、それでもとてもお祓いをしている様子では無さそうなことは分かる。白鹿が薄ら笑いを浮かべる。


「僕もお祓いは見た事ないんだけど、随分と激しいみたいだね。それとも幽霊の足音か何か?」

「え、あー………、いや、どうだろうな。俺もお祓いは見た事ねぇし………」

「やっぱり俺たちも2階に………」


 菖蒲には大丈夫だと言われたが、何かあってからでは遅い。いよいよ動き出そうかと立ち上がる青兎の前に、焦った男が立ち塞がる。その瞬間、黒馬も白鹿も紫狐も青兎も、全員の表情が険しく殺気立った。菖蒲の身に何かが起きているのはこれで確実だ。男は、最早隠し通すのは無理だと考えたのか、へへ、と震える様に薄ら笑いを浮かべながら、懐にそっと手を忍ばせるのを、黒馬は見逃さなかった。


「お前ら、もう分かってんだろ?」

「………どういう意味だ」

「俺たちが、本当はお祓いなんかして貰う為にここにあの女を呼んだ訳じゃねぇってこと」

「2階で何をしてる?」


 確信を迫る様に捲し立てると、男はその口角を上げた。


「野暮な事聞くなよ、男なら分かるだろ」

「…………………」

「お前らだけ独り占めなんて狡いじゃねぇか………。俺らの楽しみを邪魔すんなよ」




 なぁ、どうだった?お前らももう抱いたんだろ?狡いよなぁ、儀式の為だってタダで抱き放題なんてよォ。何なら俺たちの後にお前らに回してやってもいいが、どうする?なぁ、お互いに良いこと尽くしだろ?黙っててくれよ、同じ男ならよ。お前らだってーーー、




 永遠に続くのでは無いかと思われた汚い言葉の数々は、遂には途中でプツリと途絶えた。男の体は無様にも一瞬で宙を舞い、そのまま勢い良く床に叩き付けられる。彼が密かに懐の中で握りしめられていた銀色のナイフは、弧を描きながら少し離れた所に突き刺さった。

 聞くに耐えない言葉の数々に、黒馬は慣れた手付きで、男を綺麗に背負い投げして見せたのだった。状況を理解できないままポカンとする男に、続けて関節技を決めると、痛い痛いと叫ぶ悲痛の声が響き渡る。


 よくもまあここまで下衆な事が言えたな、最早と感心してしまう。そして同時に、自分たちを同類かのように扱われて、虫唾が走った。こんな下衆な男たちの考えなど、到底理解なんかしたく無い。幸いにも、自分たちは軍に所属しており、あらゆる場面の為に武術を叩き込まれている。それを披露するには十分すぎるくらい、舞台は整っていた。結局儀式の為にと軍を離れても、荒っぽい仕事をする羽目になってしまったのは、どうか今回限りだと願いたいものだ。


 黒馬は男を冷たく見下ろしたまま、後ろにいる白鹿たちに、2階に行けと顎で指した。階段を駆け上がり、半開きにされた戸を叩く様に開く。するとそこには、胸元がぱっくり開けた菖蒲の姿と、それを取り囲む男たち。想像通り過ぎる、お約束の展開だ。慌ただしく現れた白鹿たちを、菖蒲は驚いた様に見つめている。

 ………どうやら、嫌われ者だという自覚があるらしい巫女様には、もう少し危機管理能力を身に付けて貰う必要がありそうだ。


「全く………、タチの悪い霊がいたもんだね」


 白鹿の吐き捨てた言葉には、明らかに怒気と軽蔑が含まれていた。

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