同じ女に惚れた者
静かに見つめあう、否、睨み合う2人は、誰もいない、月明かりだけが差し込む道場で向き合っていた。黒馬と藍原は、お互い何か言う訳でもなく、ここへ導かれるようにやって来た。お互い思っていることは同じ。今何を考えているかも、分かっていた。
「お前にはきっちりお礼がしたいと思ってたんだ。菖蒲のことも、紫狐のことも」
「お礼には及びませんよ」
「いやいや遠慮なさらず。だいぶ可愛がってくれたようで」
黒馬は元から、このつもりだった。菖蒲のことも勿論探していたが、白鹿もいるので彼に菖蒲を任せて、自分は絶対に藍原と会い、きっちり落とし前を付けてもらおうと。それが、世継ぎの儀式を取り纏めている自分の役割だとも感じていた。勿論、それだけの感情で動いてはいない。黒馬にとって大事な人を傷つけたことは、単純に許せない。
そうして、敵意を剥きだしにする黒馬とは対照的に、藍原はどこか冷静だった。そもそも、こんなところで黒馬を相手に油を売っていては、菖蒲を取り返されるかもしれない。そんなことはとっくに分かっている筈なのに、彼は焦りもしない。むしろ、それを受け入れているようにすら感じる。
「………不思議な方ですね、あの巫女は」
そして唐突に、藍原は菖蒲のことを口にしたのだった。拍子抜けする黒馬が、訝し気にその言葉の続きを待つ。一体何を言おうとしているのか。意図が掴めない。
「たった数日。彼女と共に過ごしたのはほんの数日ですが、それでもよく分かりましたよ。面倒くさい程にお人好しで、鬱陶しい程に芯が強い。イライラしてばかりでしたよ」
「じゃあようやく手放せてよかったな。明日からは巫女のお守りから解放されるだろ」
「そう、ですね。貴方たちがここに来ることは、とっくに分かっていました。菖蒲が、貴方たちの元へ帰ることも」
菖蒲の、黒馬たちに対する想い。それは藍原自身、何度も触れ、実感させられていた。遠く離れていても、菖蒲と彼らは固く結ばれている。信じ合っている。そしていつからか、それを羨ましいだなんて、くだらない感情が藍原の中に芽生える程度には、藍原もまた、菖蒲に対して情が沸いていたのだった。
「何度も言っていました。貴方たちに会いたい、貴方たちのところへ帰りたいと」
「……………」
「それを聞く度、何故でしょうね。不思議な気持ちが湧き上がってくるのです。貴方たちよりもっと早く。先に私が、菖蒲に出会っていれば。………いや、それ以前に、もっと前………。赤熊大佐と出会う前。人を信じられなくなる前に、菖蒲に出会っていれば。私はもっと違ったのかもしれないと」
藍原の言葉をそこまで聞いて、黒馬はやっと、藍原の気持ちを理解した。菖蒲の人を惹きつける部分は、黒馬自身がよく理解している。藍原もまた、菖蒲のその真っ直ぐさに惹かれている。だって自分も、同じなのだから。藍原の中で、菖蒲はとっくに、『大切な人』へと変わっていたのだ。
「ですから、無駄な足掻きと分かりつつも、貴方たちの侵入に対抗させていただきました。彼女を渡したくないという、あくまでも私の個人的な感情による些細な抵抗です。菖蒲は奥の小部屋にいます。連れて行きなさい」
「言われなくても、もう既に俺の仲間の内が見つけ出してる頃だ」
「そうですか。では、心置きなく貴方と決闘ができますね」
藍原はそう言いながら、軍帽を取って床に投げ捨てた。黒馬の前に立つ彼は、軍人、赤熊の部下としてではなく。1人の男として立ちはだかっている。その想いを、黒馬も受け止めない訳にはいかない。藍原は覚悟してそこに立っているのだ。赤熊の1番の部下、曹長という立場。それらを失う覚悟を。
「ここからは、曹長としてではなく、1人の男として、お前に決闘を申し込む。それが俺なりのけじめだ」
「………随分と潔いな。得意の拳銃は無しだぜ」
「勿論です」
同じく軍帽を取って放り投げた黒馬を、藍原は冷静に見据える。軍人は、柔道や空手などの武術は稽古で叩き込まれる。個人によってその実力や才能の差はあれど、軍に身を置く男であれば、全員がある程度は武術を身に着けている。黒馬は勿論のこと、藍原も同じだ。
そしてこの一戦で、藍原はけじめをつけるつもりである。菖蒲を連れ去り、危険な目に遭わせたこと。黒馬の同僚である紫狐に怪我を負わせたこと。そして、菖蒲に対するこの淡い想い。この決闘が終わった時。菖蒲へのこの想いはきっぱり忘れ、そして全ての責任を負う。藍原は、そう決めていたのだ。
「………悪いが、俺も手加減はしねえ。大事な仲間を傷つけた落とし前もあるが………」
藍原の覚悟を受け止めたからだろうか。黒馬もまた、少し間を置いて顔を上げると、藍原の想いに感化されたかのように、自分の覚悟や想いをぶつけた。
「惚れた女を渡す訳にはいかねえ。菖蒲は俺たちが連れて帰る」
世継ぎの儀式に個人的な感情を持ち込むことは禁止………、と確かなっていた筈だが、黒馬は何も隠す気もなく、そうはっきりと告げた。しかし藍原もそんな黒馬の想いなどとっくに見抜いていて、今更驚くことなどない。ふ、と笑って眼鏡を指で押し上げる。
「元より、手加減なんて余裕を与えるつもりは一切ありませんよ。伊達に曹長の階級は頂いていませんからね」
「俺なんて、稽古の時に優秀過ぎて、そっちの道に行った方がいいって言われてたんで」
何故か無駄に張り合おうとする黒馬はさておき。白鹿が菖蒲を救出している一方で、黒馬と藍原の決闘が、その夜、静かに繰り広げられようとしていた。




