やっと会えました
ドカッとその場に腰を下ろし、乱れた呼吸と、流れる汗を整える。物陰に隠れてはいるものの、見つかるのはあっという間だろう。束の間の休息だ。
紫狐は、数々の追手を交わし、何とか逃げ続けていた。自分を追う奴らはどんどんと人数を増していき、面白いように紫狐に陽動されていく。紫狐は、黒馬と白鹿が潜入する場所から反対方向へと敵を惹きつけ、わざと目立つような行動を取っていた。反対側では青兎も同様に、数々の追手を相手にしているのだろう。
ジクジクと痛む脚の包帯には、既に真っ赤な液体が染みついている。こんなに激しく動けば、治っていない傷なんて簡単に開くだろう。体力的にも限界が近づいている。そろそろ撤収するべきかと考え、体を引きずるように持ち上げた。黒馬からは、潜入する時間さえ稼いでくれれば、その後は敷地外に逃げて姿を隠していろと言われている。
(もう十分時間は稼いだよな………)
すっかり大騒ぎになってしまった横浜駐屯地を振り返る。足を引っ張る訳にはいかないので、このまま大人しく退散し、後は黒馬たちが無事に菖蒲を救出することを信じて待とう。
そして紫狐、青兎はそれぞれのタイミングで戦線を離脱し、後を黒馬と白鹿に託すこととした。
一方で黒馬、白鹿は、紫狐たちが囮になっている間に、難なく建物の中へと潜入することに成功していた。お互い違う場所から潜入し、とにかく闇雲に菖蒲の居場所を探す。勿論、建物内にも見張りや見回りの軍人が行き交っているので、時には身を潜め、時にはそっと背後から手刀で気を失わせ、と臨機応変に進んでいく。
そして黒馬の目に移り込んできたのは、部下に囲まれる藍原の姿。咄嗟に身を潜め、彼らの動向を見つめる。もしかしたら菖蒲に関しての手がかりも得られるかもしれない。
「藍原曹長!」
「状況はどうですか」
「侵入者2名の捕獲はまだ………。だいぶ手こずってまして………」
「どんな手を使っても捕えなさい。相手はもう2人いる筈です」
「はっ!」
沢山の部下たちに忙しなく命令を下しながら、藍原は黒馬の前を通り過ぎていく。そして藍原が元来た方に続く廊下は………、妙に鎮まり返っていて不気味な程だ。
「………まあ、お宝は1番奥に隠しておくのが、お決まりだよな」
藍原たちが立ち去ったのをしっかりと見届けてから、黒馬は物陰から姿を現し、廊下の奥を睨みつけた。なんの確信はない、ただの直感だが、この先に菖蒲がいる………そんな気がする。今は何の手がかりもないし、時間も残されていないのだ。外で囮になっている紫狐たちの為にも、早く目的を達成しなければならない。
そして黒馬は、自分の直感の通りに、廊下の奥へと歩みを進めた。やがて見えてきたのは、不自然に南京錠が掛けられた扉。まるで、何か大事なものを隠しているかのようだ。黒馬の直感は、確信へと変わっていく。その扉の先に、きっと………。
「ここまで来ると思っていましたよ、黒馬」
その扉に辿り着く前に、背後から響き渡った声は、黒馬の足を止めた。ゆっくりと振り返れば、月明かりに照らされて、同じ軍服を身に纏った男が1人、そこに立っている。紫狐を撃ち、菖蒲を連れ去った張本人だ。
「………さっきまで引き連れてた大勢の部下はどうした?藍原」
「1人を大勢で出迎えるのは野暮だと思いましてね。私だけでは物足りませんか?」
「………いや。丁度会いたかったところだ。誰よりも………、お前にな」
藍原曹長が立ち去ってから、もうどれくらいの時間が経ったのだろうか。実際にはそんなに時間は流れていないのだろうが、体感では恐ろしい程長い時が過ぎたような気がする。
この部屋に閉じ込められて、鍵までかけられてしまったら、もう菖蒲には何もできることはなかった。とにかくただ、静かな部屋の中で事が終わるのを待つだけ。次にこの扉を開けるのは、果たして黒馬様たちなのか、それとも、帰って来た藍原曹長なのか。1人でいると、色んな考えが巡る。
黒馬様たちに会いたい。一緒に帰りたい。その気持ちは嘘ではないし、ここにいる間、何度も願ったことだ。それが、今目前に迫ってきている。嬉しい筈なのに………。心の隅で、何かが引っかかる。きっと、藍原曹長のことだ。私がここを去ったら、彼はどうなるのか、それが気になって仕方ないのだ。
(最後の藍原曹長の顔が、頭にこびり付いて………)
静かに目を閉じると、この部屋を去った彼の微笑みと背中が浮かぶ。お人よしだと言われるかもしれないけど、私は彼にも、幸せでいて欲しい。たった数日共に過ごしただけなのに、私は藍原曹長に、敵としての憎悪ではなく、友人としての感情を抱いていた。
そして、そんな想いを抱える私の耳に、コンコン、と何かを叩くような音が聞こえる。ハッと目を開けて、その音を辿ると、
「あ…………!」
久しぶりに見たその姿に、私はもう既に鼻の奥がツンと痛くなった。泣きそうになりながら急いで窓に駆け寄り、鍵を開ける。ガラリと開かれた窓から、1人の人影が部屋に入ってきて、そのまま搔き抱くように私の体を腕の中に閉じ込めた。変わらない温もり。何度も会いたいと願った温もり。
「よかった………、やっと会えた………」
「白鹿様………!」
私の目の前に1番最初に現れたのは、白鹿様だった。いつもならどんな時でも飄々とした態度の白鹿様も、この時ばかりは焦ったように、でもホッとしたように、私の体をいつまでも力強く抱きしめていて。その声も、心なしか震えているように感じた。どれだけ心配かけたのだろう。どれだけ迷惑をかけたのだろう。言いたいことはいっぱいあるが、私も白鹿様も、口数少なく、無言でしばらく抱きしめ合っていた。
白鹿様の後ろ………、窓の外は相変わらず喧騒に包まれていたが、この部屋だけは、まるでたった2人しかいないように、ただ月の光だけが静かに私たちの再会を見下ろしていた。




