いよいよ作戦決行です
消灯時間はとっくに過ぎ、横浜駐屯地は闇の中で静寂に包まれている。その中でも、当番制で回ってくる見張り番に従事する軍人だけは、各所に立ち、周囲を見回している。その数は相当なもので、余程侵入者を警戒していると見えた。
「すごい数だね。こっちの計画がバレてるのかな」
物陰でその光景を目の当たりにした白鹿が、感心したような声を漏らした。赤熊が東京に呼び出された時点で、きっとこちらの計画は向こうも予想しているのだろう。いつも以上の厳戒態勢に、黒馬、白鹿、紫狐、青兎も表情が険しくなる。
こんな人気のない時間に、横浜駐屯地の外れに姿を現した4人。その目的は勿論、そこに捕らわれているであろう、菖蒲を救い出す為だ。
「まあ、こうなるだろうとは思っていたが………、予想以上だな」
「どうするの黒馬」
4人で円を囲うように顔を合わせる面々は、黙り込む黒馬の返事を待った。真昼間に堂々と乗り込むよりは、と思ってのこの時間なのだが、どうやらそう簡単にはいかないらしい。どうしたものかと考え込む黒馬より先に、沈黙を破ったのは紫狐だった。
「俺が囮になる」
その言葉に、他3人の視線が一斉に紫狐に集まった。囮なんて、1番危険な役だ。それを自ら買って出るなんて、と3人が言いたいことは同じである。
「無茶だよ。脚の怪我だって治ってないんだし。俺たちの中で1番重傷なんだから」
青兎の指摘は尤もで、紫狐の太腿には、銃弾に貫かれた痛々しい傷跡が残っていた。処置はしてもらっているものの、完治してはおらず、動かせば鈍い痛みが走る。この傷は、赤熊に捕らわれた後の暴行によってできたものではなく、菖蒲を連れ去られた時に藍原に銃で撃たれた時の傷だ。敵の注意を引き付けて、逃げ続けなければならない役が、脚に怪我を負っているなんて不確実だろう。
紫狐は、その傷を忌々しそうに見下ろした。彼が自ら囮なんて役を買って出たのは、まさにその傷が理由の1つでもあった。
「菖蒲が連れていかれたのは、俺の責任だ」
今でも鮮明に蘇る。銃で撃たれた紫狐を庇って、自ら藍原の元へと去っていった菖蒲の背中を。俺がもっと強ければ。俺がもっとしっかりしていれば。そんな後悔を、紫狐はずっと頭の中で繰り返していた。思えば紫狐は、黒馬の父親に助け出してもらってから、こうして全員が合流した後もずっと口数が少なく、何かを考え込んでいるような様子だった。きっと、菖蒲のことを1人で背負い込み、自分を責め続けていたのだろう。
「あの時菖蒲の傍にいたのは俺だ。菖蒲を守れなかった。危険な目に遭わせた」
「誰の責任とかじゃないでしょ。めちゃくちゃなことしてるのは赤熊の方なんだし」
白鹿の言葉を受けても、紫狐は納得することはなかった。囮になることで、自分の中のその感情を消化しようとしているのだろう。きっと何を言っても引き下がることはないだろうと、黒馬は察していた。紫狐はそういう男だ。
「お前のせいなんて誰も思ってないけどな。むしろ、俺の責任だ。菖蒲に関してのことは、俺が統率者として任命されてるしな」
「黒馬………」
「菖蒲に危険が迫っていたのに、何もできなかった。その場しのぎの現実逃避しかできなかった」
もっと何かできることがあったのかもしれない。そう考えているのは、紫狐だけではない。そして、事は起こってしまった。1番最悪な形で。
「だが、ここで反省会をしてても時間の無駄だ。今は一刻も早く菖蒲を連れ戻す」
「そうだね」
「紫狐、本当にできるんだな。囮」
黒馬の視線を真っ直ぐに受けて、紫狐はただ無言で頷いた。その瞳には、決意が滲み出ている。覚悟は決まっているようだ。自分がどうなっても、菖蒲を助け出す、覚悟が。
「ただこの人数、この広い駐屯地で囮役1人は無理があるな。もう1人、反対側で陽動する役が必要だ」
「なら、俺がやるよ」
続けて名乗り出たのは、青兎である。その表情は、緊迫したこの場を和らげるような、いつもの優しい微笑みを携えている。
「紫狐とは1番長いし、連携が取りやすいでしょ」
「………分かった。紫狐と青兎に任せる。悪い、危険な役目を押し付けて」
「今回は、王子様の役は2人に譲るよ」
悪戯げに笑う青兎。紫狐と青兎があえて目立った行動を取って、連中の意識を逸らしている間、菖蒲を探し出して奪還するのは、黒馬と白鹿の役目となった。
「俺と白鹿は、紫狐たちが囮になっている間に中に潜入して、菖蒲を探し出す」
「どっちが先に見つけ出すか、勝負だね黒馬」
白鹿も白鹿で、こんな状況においてもその態度は普段と変わらなかった。むしろ、黒馬を挑発するような、そんな言葉を口にして余裕を醸し出している。効率的に探し出す為にも、黒馬と白鹿はそれぞれ反対側から潜入して、別行動で菖蒲を探す手段を取ることに決定した。
こうして4人それぞれの役割がはっきりと決まり、いよいよ決行の瞬間が近づく。駐屯地の敷地の外からぐるりと各場所へ待機し、お互いに合図を待つ。開始の合図は、囮役である紫狐の、拳銃の発砲音だ。その音で、見張りの連中の注意も引き付けつつ、作戦が開始となる。
「………きっちり落とし前をつけてもらうぞ、藍原」
黒馬の静かな怒りの籠った一言が夜に溶け、やがてパン!と軽い発砲音が静寂を突き破った。黒馬、白鹿、紫狐、青兎は地面を蹴り、その場から勢いよく飛び出す。この作戦がうまくいくのか、どう転がるのかなんて、4人にも分からない。ただ思うのは、自分はどうなってもいいから、菖蒲だけは守りたい。それだけだ。
「………?何でしょうか、今の音………」
何かが破裂するような音は、菖蒲の耳にも入っていた。藍原の自室にいた菖蒲は、その音に気を取られて窓の外へ視線を投げる。机に向かって仕事をしていた藍原も同じく、その音を聞き逃さなかった。
菖蒲はあまり深く考えていないようで、きょとんとした表情で首を傾げているが、藍原には分かっていた。それが、狼煙であることを。彼は勢いよく椅子から立ち上がると、ずかずかと窓を覗き込む菖蒲の背後に歩み寄り、肩を掴む。
「………藍原曹長………?」
「来なさい」
どこか焦ったような表情の藍原曹長。急にどうしたんだ、と相変わらず菖蒲1人だけ呑気な顔であったが、来なさい、という命令に背く理由もない。何が何だか分からないまま、菖蒲は藍原に腕を引かれて、まるで何かから逃げるように、その部屋を飛び出したのである。




