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お花、綺麗ですね

 私と藍原曹長による迷子探しは、思っていた以上に時間がかかり、時は既に夕暮れを迎えていた。通常の見回り隊務だけならば、とっくに駐屯地に帰還している頃だろう。


 だが、その時間は決して無駄ではなかった。男の子から得た母親に関する少ない情報を元に、色んなところを歩き回り、聞き込み、探し回り………。そうして漸く辿り着いた、目的の人物。


「本当に、本当にありがとうございました!!」


 私たちの前で深々と頭を下げる女性は、心底安堵したのか、目には涙を浮かべていた。男の子のお母様である。漸く見つけた彼女は、私が促しても、その頭を上げることはない。それだけ男の子のことを心配し、気が気じゃなかったのだろう。チラリ、と母親の足元を見ると、靴はボロボロに汚れていて、髪も乱れている。それだけでも、相当探し回っていたことが窺える。


「何度お礼を言っても足りません………!貴方たちのお陰です………!」

「お母様、もう本当に大丈夫ですから」


 無言のまま、威圧的に見下ろすだけの藍原曹長に代わって、私が言葉を返す。しかし、お母様はまだ気が済まないのか、ようやく頭を上げたかと思うと、手に持っていた花束を藍原曹長に押し付けた。


「うちは裕福ではないので碌なお礼はできませんが………、家に飾ろうと思って買ったこの花、せめてものお礼として受け取って下さい」


 突然花を渡されて、ポカンと固まる藍原曹長。その表情、男の子にチョコレートを貰った時と全く同じだ。しばらく迷うように視線を彷徨わせていた藍原曹長だったが、やがておずおずと花束を受け取った。口数は少ないし、相変わらずの仏頂面ではあるが、きっと藍原曹長も、男の子を無事送り届けることができて安堵しているだろう。私と気持ちは同じなのだ。


「では、私たちはこれで」


 母と子の感動の再会にもう少し立ち会っていたい気持ちはあるが、私たちもそろそろ帰らなければならない。私がそう切り出すと、お母様は再び頭を下げて見送ってくれた。くるりと踵を返し、スタスタと歩き出してしまう藍原曹長の背中を追いかける。


 すると、そんな私を追い抜くように走る、1つの小さな影。あ、と私が声を上げるよりも前に、その影は藍原曹長の足に抱き付いた。


「…………っ!?」

「………ありがとう」


 男の子が、藍原曹長を追い掛け、小さくお礼を告げたのだった。足を止めた藍原曹長の瞳を、男の子の純粋な瞳が見上げている。


「だいすき、あいはらそうちょう」

「!!??」


 多分、私が呼んでいたのを真似て、藍原曹長、と呼んだのだろう。口数が少ない男の子だったが、それでも破壊的な愛嬌と愛情表現に、あの鬼の藍原曹長もかなりの衝撃を受けているようだった。その微笑ましい光景に、思わず私も笑みが溢れる。


「ば、馬鹿なことを………!」

「さよなら、あいはらそうちょ」


 動揺する藍原曹長を他所に、男の子は母親の元へ戻っていく。今度はその手を離さないよう、固く手を繋ぎながら帰路に着く親子2人の背中を、私たちはずっと見守っていた。何だか言いようのない、若干の寂しさを抱えながら。






「………純粋な気持ちに触れたのは、いつ振りだろうな」


 駐屯地に帰る途中、前を歩く藍原曹長がふとそんな言葉を溢した。


 藍原曹長の過去にどんな事があったのか、私には分からないし、踏み入るつもりもないが、彼は常に人を疑い、好意を信用しようとしなかった。その気持ちの裏には下心がある。地位や金、そういった薄汚い人間の欲望が隠れていると、彼は考えているのだ。


 しかし、今日出会った男の子は違う。子供だからこそ、その言葉や気持ちは純粋で真っ直ぐで。嘘偽りなどない、本当の気持ち。


「………母親が見つかってよかった」

「はい。そうですね」

「この花………。帰ったら私の部屋に飾っておいてくれますか」

「分かりました」


 藍原曹長からぶっきらぼうに渡された花束は、生き生きと、眩しいくらいの輝きを放っているように感じた。












 久々に感じた温かいこの感情に、藍原は戸惑いを隠せなかった。何なんだ、この感覚は。忘れかけていた、否、完全に忘れていた感覚だ。ほかほかと胸が暖かいような………。だが、決して嫌な感覚ではない。そして何故か、藍原は自分が軍人になったばかりの、あの青臭い頃を思い出していた。世のため人の為に働くんだ、と妙に張り切っていた、あの頃のことを。


 だいぶ遅れての帰還にはなったが、藍原は駐屯地に着くなり、菖蒲に先に部屋に戻っておくよう告げて、自分はとある部屋へと向かった。上司である、赤熊大佐の元だ。隊務の報告と、菖蒲の監視についての報告をする為である。


「失礼します」

「………大分長い見回りだったようだな、藍原。巫女様との散歩はそんなに楽しかったか」


 規律に厳しい赤熊大佐には、既に藍原が見回りに予定以上の時間をかけていたことを知っていて、不機嫌そうに煙草を吹かしていた。ぴりぴりと背筋が伸びる、その威圧的な雰囲気の中、藍原は軍帽を取って頭を垂れる。


「申し訳ありません。迷子の子供がいたものですから………。母親を探しておりました」

「迷子………?ほう、それはそれは。殊勝な心掛けだな、藍原曹長」


 大きな革張りの椅子から立ち上がった赤熊は、突然藍原を殴り付けた。左頬に鋭い痛みを感じながら、藍原は床に倒れ込む。動揺するように見上げると、己を覆い尽くすその大きな影は、まるで獣のような、化け物のような………そんな恐怖すらあった。


「遊んでいる暇があるのなら、さっさと巫女から情報を聞き出せ」

「あ、赤熊大佐…………」

「わざわざあの田舎町から連れ出して、お前の元に付けたというのに、まだ1つも情報を聞き出していないらしいな」

「も………申し訳ありません」

「殺さない程度なら何をしてもいい。暴力に屈さないのなら、無理矢理にでも抱けば、女は口を開く」

「……………っ」


 ふと、藍原の視線の隅に、小さな銀紙の切れ端が落ちているのが映った。男の子に貰った、チョコレートの包み紙。ポケットにしまっていたそれが、殴られた衝撃で床に落ちたのだ。それを拾おうと手を伸ばした藍原より先に、大きな革靴が銀紙を踏み潰す。赤熊大佐の、ぴかぴかに磨かれた革靴だ。見開かれる藍原の瞳に、男の子の笑顔が過ぎる。


 唯一尊敬し、信じていた上司。それが今、藍原の瞳にはぐにゃりと歪んで映っていた。











「あ、おかえりなさい、藍原曹長」


 静かに開かれた扉に、菖蒲が振り返る。ひと足先に藍原の部屋に戻っていた菖蒲は、ちょうど今、藍原の机に花を飾っていたところであった。


 楽しそうに笑みを浮かべながら、花瓶に花を生ける彼女を、藍原はただ無言で見つめる。今日は色んな感情に振り回されて、あの藍原も珍しくクタクタだ。


「見てください、藍原曹長。お花とっても綺麗ですよ」

「……………」

「迷子探し、頑張ったお陰ですね」

「…………」

「………?藍原曹長?」


 ずっと黙ったままの藍原の様子に、ようやく異変を感じ取った菖蒲は、心配そうに彼の元へ駆け寄った。どうしたんですか?と聞きかけて、その左頬が赤く腫れているのに気付く。驚きながら、「手当てしないと………!」と慌てる菖蒲の手を掴んだ。


 そして藍原は、無言のまま、菖蒲を強く抱きしめた。それ以上のことをする訳でもなく、何かを言うわけでもなく。ただ静かに、菖蒲の体を抱きしめ、まるで子供が母親に甘えるように、髪に顔を埋めたのである。

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