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藍原という男

 翌日から、私は横浜駐屯地の規律に従って、生活を送ることになった。といっても、町にいた頃もそんなに堕落した生活を送っていた訳ではなく、むしろ寺の仕事は朝が早かったこともあり、そんなに苦痛ではなかった。決められた時間に起き、決められた時間に食事をし、決められた時間に寝る。それ以外の時間は全て藍原曹長の隊務に着いていく。そんな生活だ。


 ただ、1つ言うのであれば、ここでの私の扱いは、元いた町の時同様、そんなにいいものではなかった。


 食堂で食事をとる時、すれ違う人たちから受ける視線は敵意の籠った目。預言が外れた一件にて、私はすっかり国家・軍を欺く裏切り者のような扱いだ。隣に藍原曹長がいるからか、目立って何かをされる訳ではないが、ひそひそと声を潜めて私を噂する声、監視するような目………。居心地は悪い。


 私に食事を提供する調理場の女性たちも、まるで虫を見るような目で私を見下ろしていた。「どうしてあなたなんかに」という言葉がそのまま顔に貼り付けられている。


「曹長、毎日お勤めご苦労様です」

「…………」


 私の時とは打って変わり、キラキラと笑顔を浮かべて藍原曹長に配膳する調理班の女性。ここの人たちもまた、藍原曹長には特別な感情を抱いているらしい。しかし、当の本人である藍原曹長は、それに対して何か返事をすることもなく、ただ淡々と食事を受け取り、自分の席に着く。その冷たい態度に、私は思わず口を挟まずにはいられなかった。


「あの………、無視して良かったのですか?」

「なんの話ですか」

「先程の女性、藍原曹長に話しかけていましたけど………」


 藍原曹長の隣に腰かけて、そう問いかける。私の言葉に、彼はちらりと一瞬だけ女性たちの方へ視線を送ったが、すぐに手元に目線を戻してしまった。


「私に話しかけている者などいない」

「え?」

「ここにいる者たちはみんな、私ではなく、私の地位に話しかけている」


 淡々と述べられたその言葉を、私はしばらく飲み込めずにいた。しかし彼の発言の意味をゆっくり噛み砕いていくと、それはとても悲しい意味なのではないかと気付き、食事を口に運ぶ藍原曹長の横顔を見つめる。なんて返せばいいのか分からなくて押し黙る私に、藍原曹長は何の気にも留めずに言葉を続ける。


「誰も………、私自身を見る者などいない。私が曹長という階級だから、私の言葉に耳を傾け、尊敬の眼差しを向け、下らぬ感情を抱く」

「そんな………」

「人間とはそういう生き物だということを、私は何回も経験している」


 そしてそれ以上は、藍原曹長ももう口を開くことはなかった。食事の時間は決められている。何とも言いようのない雰囲気の中、私もおずおずとそれらを口に運んだ。彼はそれ以上、私に何か教えてはくれなかったが、彼にもまた、何か事情があるのだと、そんな一面が垣間見えた一瞬だった。


「午後は周辺の視回りです。勿論貴女にも着いてきてもらいますよ」

「はい」


 そうして私と藍原曹長は、気まずい昼食を終え、午後の視回りの為駐屯地を後にするのであった。










 午後の視回りは、文字通り、駐屯地付近の町や港を歩いて回り、何か問題事が起こっていないかを確認する仕事だった。地域の警察と連携して行う為、各エリアにそれぞれ担当が割り振られ、私と藍原曹長は貿易が盛んな港付近を見回ることとなった。


 初めて見る景色、匂い、そしてここにいる人たちみんなが、私のことを知らない。町を歩くだけで嫌なものを見るような目を向けられない。それどころか、みんな興味ないように、他人である私の横を通り過ぎていく。それがまた、私にとっては新鮮な経験であった。


「すごい立派な港ですね………。私の町にはないものなので、不思議です」

「私にとっては見慣れた景色です。特段何か言うことはありません」


 感嘆の声を漏らす私にも、藍原曹長は相変わらず素っ気ない。興味ない、とでも言うように、景色に見とれて足を止める私を無視し、すたすたと歩いて行ってしまう。その背中を小走りで慌てて追いかけた。私はめげずに彼に話しかける。


「それに、ここでは私は嫌われ者じゃない」

「…………」

「それが何だかとても新鮮で」


 すると、散々興味ないと言っていた藍原曹長が足を止め、私を振り返って来た。眼鏡の奥の瞳が、私を静かに見下ろしている。


「………貴女は、あの町で随分と嫌われていたようですね。あの町にいた時、小耳に挟みました」

「………はい。巫女の未来を見通す力が、町の人たちには災いを呼ぶ力と言われ、忌み嫌われているようです。巫女が”災害が来る”と言えば、その通りに災害が来るのですから、普通の人からすれば恐ろしいでしょう」

「………ですが貴女は、町の人たちの依頼や困りごとを聞いていたとか………。それは、何故です?」


 同じような疑問を、かつて紫狐様に投げられたことがあった。自分のことを嫌っている人の為に、どうしてそこまでするのか、と。1つは、それが私の仕事だから。難しい話ではない。仕事だから、やる。それは当然のことだ。


 そしてもう1つは。


「それが、人だからです」

「人………?」

「目の前に困っている人がいたら、誰でも、無意識に手を差し伸べてしまうものではありませんか。そして助けられた人は、また別の人を助ける。そうやって人は繋がっていくのだと、私は信じています」


 人との繋がり、連鎖する優しさ。綺麗事だと言われるかもしれないが、私はそれを信じている。私が誰かを助ければ、その人はきっとどこか別のところで、別の誰かを助ける。そういう優しい世界であればいいなと、私は思っている。


 しかし、藍原曹長は違ったようだ。私の言葉を静かに聞いていたかと思えば、その表情を不機嫌そうに歪め、まるで汚いものを見るかのような眼差しを向けてくる。


「綺麗ごとを」


 冷たく、短く吐き捨てられた言葉。しかしその言葉にはやはり、色々な意味と、彼の過去が含まれている気がする。藍原曹長がそういう考え方をするようなきっかけになった何かが、未だに藍原曹長の心を縛り付けている。そんな感じがするのだ。


「私は知っている。人間がいかに醜く、汚い人間かということを」

「…………」

「優しくすればするほど、相手はつけあがる。その優しさを利用しようとする。どんな善行をしたところで、それが結果や金に結びつかなければ、評価してもらえない。人間とはそういうものです」

「利用されるのなら、それでいいです。私も見返りを求めてやっていた訳ではありませんから。誰か1人でも、私を見てくれる人がいれば、それでいいのです」

「見ている人などいない。見るのは、みんな金や地位ばかり………」

「いえ」


 今度は私が、藍原曹長の言葉を強く否定する。最後まで聞く前に言葉を挟んだ私を、藍原曹長はまた苛立ったように見下ろす。


「少なくとも私にはいました。………4人も、いたんです」

「…………」

「私が誰かの為に何かをする理由………。もしかしたら、誰かに私を見てもらいたい、見てほしい、という思いが、1番大きかったのかもしれませんね」


 藍原曹長は、私のその言葉に瞳を揺らがせていた。もしかしたら私と藍原曹長は、似ているのかもしれない。町のみんなから嫌われ、居場所も信頼できる人もいなかった私。誰かに見てもらいたい、嫌われたくない、本当の自分を分かってほしい。常に私の心の中にくすぶっていたそんな感情が、もしかしたら、藍原曹長にも………眠っているのだろうか。

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