屈しない女
遠退く意識を叩き起そうと、ばしゃんと顔にかけられた冷水によって、私は再び感覚を取り戻す。冷たい床に横たわった体は、そもそも縄で腕を縛られて身動きが取れない上に、激しい痛みで動かすことができない。痛覚すら、若干麻痺しつつあることが怖い。
「………吐け。お前たち巫女は何を企んでいる」
赤熊大佐が管理しているという横浜駐屯地に到着してから、私はすぐさま独房のような小さな冷たい部屋に閉じ込められた。抵抗できないように縄で縛られた私の元へ、赤熊大佐の部下たちが代わる代わる訪れる。そして、身に覚えのない言葉を問い掛け続けられていた。
嘘の預言を詠んだのか。
お前の母親は何を企んでいる。
巫女は国を裏切るつもりか。
当然、私は何も知らないし、そんな事を言われても何も答えようがない。だから私はそのまま、「知らない」「何のことですか」と返事をするのだが、その回答が気に入らないのか、軍の人たちは容赦無く私に殴る蹴るの暴力を振るった。私が女であろうと関係ない。お陰で腕や足は力が入らずダラリと伸びていて、右目は腫れて視力が無い。
「………聞いているのか」
今も数人の下っ端たちが、私を取り囲んで尋問を続けている。意識が朦朧とし、受け答えもまともにできない私の髪を掴み、強引に顔を持ち上げられる。ボヤける視界にその男たちを捉えるだけで精一杯で、私は一言も発せられずにいた。
「強情な女だ。まだ躾が足りないようだな」
そんな私の態度に痺れを切らして、1人が木の棒を持ち出した。もう恐怖心は無く、楽にしてくれ、という切実な思いだけだ。特に抵抗することもなく、静かに倒れる私の上で、男は棒を振り上げる。高く掲げられたそれが、いよいよ振り下ろされようとした瞬間。
「待ちなさい」
制止する声が響いて、男の手がピタリと止まった。ゆっくりと視線を移すと、私と紫狐様を引き離した張本人である、藍原曹長が立っていた。眼鏡をクイ、と押し上げるいつもの癖をしながら、私の元まで歩み寄る。
「情報を聞き出しなさいとは言いましたが………、これは流石にやり過ぎですよ。話せなくなったら本末転倒です」
「も、申し訳ございません、藍原曹長」
「一度下がりなさい」
藍原曹長にそう言われて、部下の面々は元気良く敬礼すると、そのまま逃げるようにここを立ち去った。残された私と藍原曹長の間に、しばらく静寂が流れる。
「随分痛い思いをさせたようですね。私の部下は仕事熱心な者が多くてね。許してやって下さい」
そう言いながら、私の体を抱き上げる藍原曹長。そして、この部屋に備え付けられていた、簡素なベッドまで運ばれた。ボロボロな私を見かねて、医療班を連れて来ることも約束してくれた。
「さて………。いい加減、懲りたでしょう。そろそろ本当のことを吐いたらどうですか」
「……………」
藍原曹長は、黙ったままの私に、先程の部下たちと同じようなことを問いかけてきた。生憎だが、こんなにボロボロになっても、彼らが望む答えなど持ち合わせていない。
「………本当に何も知らないの」
「………………」
「それとも………、嘘でも、はいそうですと言えば、私を解放してくださるのですか?」
ただ望む答えが欲しいだけならば、嘘でもその言葉を言ってやったっていい。しかし、それを言った先に待ち受けるのが、更なる地獄だとするならば、私はここで死んだ方がマシだと思っていた。一体何があって、何がこんなにも彼らを………軍を焦らせているのか。こんなたかが一端の巫女に、と呆れに似た感情も大きかった。
「貴方たちの尋問を聞いていて、大体の予想はついています。大方、私の母の預言が外れたとか………そんなところでしょう?」
「………………」
「それで、大慌てで私をここへ連れて来て、拷問に似たような行為をして、何かを吐かせようとしている」
ふ、と力無く笑みを溢す私を見て、藍原曹長のこめかみがピクリと震えたのを、私は見逃さなかった。それでも私は、己の口から出る言葉を止められない。こんな事のために、紫狐様を傷付けたこと、関係ない町の人たちに暴力を振るったことが許せなかった。
「………滑稽ね」
「なに…………?」
「私たちの預言がないと、自分たちで何も決められないのかしら」
すると藍原曹長は、明らかに怒気を含んだ表情で私の上にのし掛かり、それ以上喋るなという意味を込めて、口に指を突っ込んできた。藍原曹長の指が私の逃げる舌を絡め取る。彼は口元こそ笑っているが、眼鏡の奥の瞳はこれっぽっちも笑っていなかった。
「随分と生意気なことを仰る巫女様だ。部下たちの可愛がりが足りませんでしたか?」
「ん………っ、ぐ………!」
「アイツらに………黒馬たちにそっくりだ。その生意気なところ………」
藍原曹長が、私の首筋に顔を埋める。吐息が掛かるとゾクゾクと背筋が震えて、言いようのない嫌悪感が体を駆け巡る。
「黒馬たちが貴女のことを随分と可愛がっていたようですね」
「…………っ!!」
「私が貴女にこんな事をしているとアイツらが知ったら………、どんな顔をするでしょうね」
楽しそうな声音。漸く引き抜かれた藍原曹長の指には、私の唾液が糸を引いていて、あろうことか彼は、私に見せつけるようにその指に舌を這わせた。
「方向性を変えましょうか。暴力に屈しないのなら、別の方法で貴女を手懐けてみましょう」
「何をするつもり………」
「ようやくいい顔になってきましたね。素晴らしい、その調子ですよ」
私の心はそれでも尚、屈することは無かった。上に覆い被さる藍原の目を、ただ真っ直ぐ睨む。
私にとっての地獄の日々が、この横浜駐屯地で始まったのだ。




