離してください
ここでこうして隠れていられるのも、時間の問題であった。こんなことは、根本の解決にはならない。外からは絶えず軍の人たちの喧騒が響いていて、私と紫狐様を探していることが窺える。ただの時間稼ぎにしかならないことは、私も紫狐様も分かっていた。
それでも、そう簡単に捕まるわけにはいかない。紫狐様の様子を見ていれば分かる。何とか時間を稼ぎ続けば、事情を知った黒馬様たちが助けに来てくれるかもしれない。そんな小さな望みを抱えながら、私はそっと紫狐様から体を離した。近くをうろついていた軍人たちは、一旦傍から離れたようだ。とりあえずは危機的状況を脱したと言えるだろう。
「………紫狐様」
私がそう名を呼ぶと、紫狐様は私をゆっくりと見下ろした。きっと私が何を言おうとしているのか、何を聞こうとしているのか悟っているのだろう。こうなった以上、もう私に隠し事は通用しない。軍の人たちが私を狙っているというのなら、私にはその理由を知る必要がある。
「どういうことなのですか」
「………」
「ここ数日、この町に滞在している軍の方々が異様に多かったのも、こうして今追われているのも………全て私のせい、なのですか」
紫狐様や、黒馬様たちはきっともっと前の段階で分かっていた筈だ。何故なら彼らのここ数日の様子は、明らかにおかしかったから。近い内にこのような状況になってしまうことを、あの時既に分かっていたような素振りだった。それに、同じ軍に所属する彼らなら、何らかの情報を握っている可能性も無くはない。
「………お前のせいじゃない」
「ですが、軍の方たちは明らかに私を捕まえようとしている様子でした」
「お前のせいじゃない。軍の………、国の勝手な都合に、お前が巻き込まれてるだけだ」
紫狐様は、あくまでも私のせいではないと、何度もそう言い張った。それは、私を守る為の優しさでもあり、紫狐様が本心でそう思っている紛れもない気持ちでもあった。私はそれ以上何も言えずに押し黙る。仮に私が国の事情に巻き込まれているだけであったとしても、このような状況を生み出している原因であることには違いない。紫狐様だって、軍に逆らえばその立場は危うくなる。私のせいで、彼は危険な目に遭っている。そう感じずにはいられない。
「きゃああああっ!!!」
「軍人様、おやめください!」
私と紫狐様の間の空気を裂くように、突如響いてきた女性の叫び声。店が沢山立ち並ぶ大通りの方からだ。私と紫狐様はお互いに目を見合わせると、弾かれるように空き家から飛び出した。薄暗い路地裏から、悲鳴が聞こえた方へ目を凝らす。そこには、女性の髪を乱暴に掴む軍人たちの姿があった。
「巫女がどこに行ったか言え!!」
「し、知りません!私があんな巫女のことなんか匿う筈がありません!」
「巫女を庇う者は同罪だぞ!巫女の姿を見た者は出てこい!」
騒然とする商店街。私を捕えようとする軍人たちの乱暴な行為が、町の人たちにまで及んでいる。私はハッと息を飲んで、思わずそっちの方へ向かおうとした。私が出ていけば、町の人たちに危害が及ぶことは無くなる。私1人のせいで、罪のない人たちが巻き込まれていくのは、我慢がならなかった。
「菖蒲!!」
「………っ!?」
しかし、そうはさせてくれなかったのが、紫狐様だった。駈け出そうとする私の腕を掴む紫狐様を振り返ると、彼は怒ったような顔をして私を見つめている。手首を掴む力は痛い程に込められていて、私は足を止めざるを得なかった。しかし、そうしている間にも、軍の人たちはついに町の人たちに手を上げ始めていた。殴る蹴るの暴行。それが例え、相手が女性であろうと容赦はなかった。巫女を匿っている・軍人に逆らっていると適当なことを言って、体罰を与えている。悲鳴と泣き叫ぶ悲痛の声が聞こえてくる。
「離してください!!町の人たちが………!!」
「町の連中を庇うために、お前が犠牲になるっていうのか!」
「そうです!軍の狙いは私でしょう!私が行けば町の人たちは助かります!」
「行かせねえ!!」
思わず声を荒げる私に、紫狐様はそれ以上に大きな声で怒鳴った。私の要求をぴしゃりと跳ね除けた紫狐様を、私は信じられないものを見るような目で見上げた。何故紫狐様が私を止めるのか、理解ができない。だってそれはつまり………、紫狐様は町の人たちを………。
「俺は………、この町の連中より、お前を選ぶ」
「そんな…………」
「お前さえ助かれば、それでいい!!」
その言葉は、最早軍人としての紫狐様ではなく、1人の男としての………、選択であった。紫狐様にとっては何も知らない、赤の他人である町の人たちよりも、私のことを優先しようとしているのだ。つまり、町の人たちを見捨てようとしている。私には、そんな紫狐様の言葉が信じられなかった。どうして、どうしてそんな酷いことを、とすら、思っていた。
「お願いです紫狐様、離してください………!!」
「来い!黒馬たちと合流する!」
「やめて!紫狐様!!どうして分かってくれないのですか!」
「分かりたくもねえ!」
半ば引きずるように私を引っ張る紫狐様は、その表情を軍帽の奥に隠しながら、ぐっと歯を噛み締めて吐き捨てた。その横顔に、私はまたしても言葉を飲み込む。きっと今の紫狐様には、私が何を言おうと首を縦には振ってはくれないだろうと、察したから。
「………菖蒲はずっと、この町の犠牲になってきた。お前を救おうとする奴は、ここには1人もいなかった」
「………紫狐様………」
「なのに………、なんでお前がまた、そんな町の為に犠牲にならなきゃならねえんだよ………!」
切なそうに、苦しそうにそう言葉を漏らした紫狐様。紫狐様はあくまでも、町の人たちが痛めつけられることを良しとはしていなかった。私と町の人たちを天秤にかけ、その心の内は葛藤に苦しんでいた。軍人としての正義感と、私と共に過ごしてきた今までの時間を比べて、紫狐様もまた、悩んでいる。そしてその上で、町の人を犠牲にし、私を守ろうとしている。全然平気なんかじゃないんだ………。
しかし、私たちには考えている時間も、迷っている時間もなかった。言い争う私たちの前に、無慈悲にも軍の手が伸びる。現れた無数の影は、紫狐様の前にも、私の前にもいつのまにか並んでいて、気づけば私たちは軍の人たちに、四方八方を囲まれてしまっていた。
「おやおや。こんな状況で痴話喧嘩ですか」
その内の1人………、軍人たちを束ねている統率者なのか何なのか、男が1歩前に出る。クイ、と眼鏡を指で押さえながら、不敵な笑みを浮かべて私と紫狐様を睨んでいた。その右手には、黒光りする拳銃が握られている。まさか銃まで取り出してくるなんて、と固まる私を、紫狐様が背に隠した。
「どうしても捕まらないのであれば、発砲も止む無し………、と上からお許しを得ていますので」
「………下衆が………」
「君は確か………。あの出来損ないの黄鳥隊の人間ですか。やれやれ………、上司がポンコツだと、部下ももれなくポンコツになるのですね」
紫狐様の神経を逆撫でするような、挑発的な言葉を並べる男。男の胸元には、確かに回りにいる軍人たちや、紫狐様より多くの勲章を付けている。見たところ………、黄鳥曹長と同じくらいの階級だろうか。その男は、従えている部下たちにこう呼ばれていた。
「藍原曹長!いかがいたしましょう」
「巫女の女は生け捕りに………。巫女を匿っているあの男の方は最悪どうなっても構いません。我々が巫女を捕え、成果を上げるのですよ」
上司の命令に、部下の面々は威勢のいい返事を返すと、改めて私と紫狐様に向き直った。まさしく絶体絶命………。その言葉がこれ以上似合う状況など、後にも先にもないのだろう。




