この先不安しかありません
「おはよう、どうだったかね、昨日は」
ガラリと開けられた戸から姿を現したのは、ニコニコといつもの柔らかい笑みを浮かべる和尚様。それとは対照的に、無言でただカチカチと食器の音だけを響かせながら、仏頂面で朝ご飯を食べる5人。私と、黒馬様たちである。
お陰様で何事も無く迎えた翌朝。私は誰にも抱かれる事なく、その朝日を浴びた。いつもの巫女服を身に纏い、何事にも動じない、見えない仮面を被り、誰よりも早く起きて顔を洗う。身支度を済ませて、みんなの朝ご飯の用意が出来た頃、漸く黒馬様たちは、続々と眠たげな顔で姿を現したのだった。
「………その様子から見るに………、なんだお前たち、もう喧嘩でもしたのか」
会話一つない朝食に、全てを察して呆れた様に溜息を漏らした和尚様に対し、私は静かに詰め寄る。ずい、と顔を近付ける私に、和尚様は少したじろいで一歩下がった。
「和尚様」
「あ、菖蒲、おはよう。どうかな、彼らは」
「儀式の相手を変えてください」
私の言葉に、和尚様は早くも2度目の溜息を付く。あまり我儘を言って来なかった私が、儀式の人選に文句を付けるのが珍しかったのか。和尚様はじっとりとした目を男4人衆に向け、一体何をやらかしたんだと責め立てた。
「お前たち………。菖蒲の気を損ねるような事をしたのかね」
「いいえ、とんでもございません」
「身に覚えがありませんね」
「文句言いたいのはこっちの方だ」
青兎様以外が、綺麗に口を揃えて否定する。その息ぴったり具合が余計に腹立たしいのは、ぐっと堪えて我慢しよう。こうして和尚様に詰められているというのに、3人は相変わらず食事の手を止めず、唯一青兎様だけが苦笑いを浮かべてその場を取り繕っていた。
「まあまだ1日しか経ってないし………。まだ時間はたっぷりあるでしょ。ね、菖蒲様」
「……………」
「とは言っても………、期限は2年間だ。まだ時間はあると言ってのんびりしていると、あっという間だぞ」
世継ぎの儀式には、一応期限が設けられていた。………2年間。2年という月日を、短いと思うか長いと思うかは、人それぞれかもしれない。何故この儀式に期間が設けられているのか、詳しい理由は分からないが、とにかく私は、この2年の間に、彼らの内の誰かとの子を身籠らなければならなかった。まあまだ昨日初めて会ったばかりだし、焦るには早いだろうという青兎様の意見は、最もだった。まだお互いのことを知る時間はある。
因みに、2年経っても誰とも子供ができなかった場合………、どうなるのかは知らない。少し前に興味本位で和尚様に聞いたことがあったけど、過去歴代の巫女様たちの間でそんな人はいなかった、と前例が無いことを告げられた。
「いいか、お前たち。今までの巫女様と世継ぎの男衆は、この儀式をしっかりこなしてきたんだ。お前たちも必ず果たさねばならん」
「それは、昔の巫女が抱きたいと思える様な可愛い女だったからじゃねぇの」
ピキッと血管が切れるような音が、思ったよりもこの部屋に大きく響き渡って、全員が驚いたようにこちらを見上げた。言った本人である紫狐様ですら、「え、そんなに?」と言っているかのような、バツが悪そうな顔で私を見ている。しかし私はいつもの如く無表情で、虚空を見つめるだけであった。この20年で鍛えられた、鉄仮面。そう簡単には剥がれない。
「………これは苦労しそうだな」
そのやり取りを見て、和尚様、本日3度目の溜息。1年分の溜息を今日ここで使い切ってしまうのではないかという位の勢いであった。
こうして始まった私たちの1日は、そんなに暇ではない。ここで過ごす2年もの間、私は前と変わらず巫女業をこなし、彼らはその補佐を務めなければならない。また、自分たちが過ごすこの御堂の掃除やら手入れやらも、基本的には自分たちでしなくてはならない。家事は当番制にし、全員が毎日何かしらの仕事があるよう、分担することとなった。
そして肝心の巫女業の方はと言うと、だ。こういった職に就いていない人間からすると謎に包まれているかと思うが、実際、その寺や神社によっても内容は大きく異なる。その中で、あくまでも私が請け負っている仕事は、まず月に一度の巫女神楽。これは、昼間は、霊や神を鎮めるとされている舞をしながら町を練り歩き、夜はお寺で町の人総出で祈祷をする。と言っても、いつしかこの行事もお祭りの様な感覚に近くなり、町の人たち、特に男性にとっては無礼講でお酒が飲める、位の感覚になっている。他にも、冠婚葬祭を執り行うのも、巫女の仕事だ。これは、主は和尚様が担当しているが、私もその補佐を努めなければならない。ただそれら2つは、そんなに毎日毎日あるものでもないので、主な仕事かと言われると、そうではない。ならば、大体を占める業務が一体何なのか。
「町の人からの依頼を解決する?」
「はい」
町の人たちから受ける依頼。それは、雑用的なものから、お祓い的なものまで、様々だ。それらを私が解決する。それが1番の主な仕事だと言えるだろう。当然ながら、今後は黒馬様たちにも手伝ってもらう事となる。
「例えばどんな」
「家に住み着いた幽霊を祓うとか」
「急にインチキ臭くなってきたな………」
「信じる信じないは個人の自由ですが、お祓いによって心救われる人がいる事も事実です」
「そういうもんかねぇ………」
彼らはあまり霊的なものは信じていないようで、私の説明を受けてもいまいちピンと来ていないようだ。まあこれに関しては、実際にその目で見てもらうまでは、そんな反応になるのも無理はないだろう。
「他にも、害獣を追い払ってくれ、とか………」
「最早巫女とか関係ないじゃん」
「まあ………私たちも暇なので………」
最近は便利屋と化してないか?と自分でも思う時があるのは否めない。しかし、時代の変化に伴い、神職が仕事を失いつつある今、こういった事にも手をつけていかないと苦しいのは、隠す事ができない事実でもあった。とにかく、内容がどうであれ、彼らには仕事としてしっかりこなして貰わなければならない。
「で、夜は子作りでしょ?体力足んないなー」
「っ………!」
「………菖蒲様って、何だかんだ初だよね」
白鹿様の揶揄うような言葉にいちいち反応していてはキリがない。そう思っていても、どうしてもその単語一つ一つに動揺を隠せない。そして、一瞬でもそんな反応をしようものなら、見逃すかと言わんばかりに青兎様のツッコミが入る。私はその場を誤魔化すように小さく咳払いをした。
「とにかく。働かざる者食うべからず。貴方たちにはしっかり働いて貰います」
「へーへー」
「まあどうせ暇だしな」
「せいぜい俺たちの足引っ張らないでくれよ巫女様。俺たちは力仕事も女だからって甘やかしたりしないからな」
それはこっちの台詞………っ、いや、落ち着け。乱されるな。いちいち反応しては相手の思う壺。私は今一度、深く呼吸して自身を落ち着けると、そのまま無言で立ち去った。必要なことは伝えた。今日は今の所まだ町の人からの依頼も無いし、和尚様と共に祈祷をしよう。こういう時は無心で祈祷をするに限る。
「お祓いねぇ…………」
「もしかして幽霊とか信じてるの、黒馬」
「まさか」
「でも面白そう、幽霊と友達になれたりするのかな」
「はぁ?何言ってんだお前」
後ろから聞こえる馬鹿そー………な会話には、何も返事してやらないんだから。