殻を破る
「そこ!!触るな!!」
「近付くなって言ってんだろ!」
「いいから離れろ!」
次々と飛び交う静止の言葉と、それに文句を垂らす声。ぼんやりとする思考を何とか働かせて、その喧騒を見回す。私を取り囲む男性たちと、それを必死に抑えようとしている黒馬様、白鹿様、紫狐様の姿。でもこの人数を3人で見張るのはなかなか大変なようで、少し目を離した隙に勝手なことをしようとする人には、すかさず黒馬様たちの怒号が飛んだ。
「菖蒲様!大丈夫ですか!」
「………青兎様………」
そんな中、人混みを掻き分けて私の元へとやって来た、青兎様。酷く心配そうな顔をして私を見ているが、当の本人である私は、お酒のせいで上手く頭が働かず、この状況をイマイチ理解できずにいた。何故このような騒ぎになっているのか、自分が置かれている状況すら、正しく判断できていなかった。
「どうしたのですか、そんなに慌てて………」
「どうしたって………、こっちの台詞だよ。菖蒲様、何かされてませんか」
私の身を案ずる言葉に促され、私は己の体を見下ろす。多少衣服ははだけているが、何か乱暴されたような形跡はない。多分大丈夫、だと、思う。「多分………」と答えた私の自信なさげな声に、青兎様が呆れたような溜息をつく。そして赤くなった私の顔と、ほんのり漂うお酒の香りで、全てを察したようだった。
「菖蒲様、飲まされたのですね」
「少し、だけ………」
「こんなに弱いとは知りませんでした。目を離した隙に………」
チッ、と小さく聞こえた舌打ちは、気のせいだろうか?青兎様の爽やかな印象とは対照的な、苛立ちを含んだ舌打ち。しかし今の私はそんな事を気に留める余裕など無かった。相変わらず周囲は騒がしくて、黒馬様たちがそれぞれと揉めている。収拾つかない状況に、青兎様が私を避難させようと、手を引いて立ちあがろうとした瞬間だった。
「いい女だよね、巫女様。俺も野球拳やりたーい」
ヌッと現れたのは、黄鳥曹長、その人であった。彼もまた、酔いによって顔を赤らめ、お酒の匂いをぷんぷんと漂わせていたが、私ほど泥酔しているという訳ではなく、ちゃんと意識は保っているようだった。見ていた感じだと、私より何倍も飲んでいる筈なのに、どうやらお酒に強いのだろう。気持ちよく酔っている黄鳥曹長は、私の側へ歩み寄ると、サラリと髪を1束手に取った。
「美人だし、控え目だし、大和撫子?って感じでさぁ。何なら俺が儀式の相手役になりたいくらい」
「………黄鳥曹長」
私がちゃんと機能していないせいか、青兎様はすぐさま私と黄鳥曹長の間に入ってくれた。ちゃんと抵抗する力も頭もない私を、これ以上の危険に晒さないようにしてくれているのだろう。しかし黄鳥曹長も曹長で、簡単には引き下がらなかった。まるで探るような目を青兎様に向けている。2人の間に流れる空気が、何処となくピリッと凍てついているような気がした。
「………珍しいな青兎。お前がこんな風に間に入ってくるなんて」
「…………………」
「お前は先輩や上官には楯突かない、聞き分けのいい良い子だろ?」
にっこりと微笑んだ後、黄鳥曹長は言う。「巫女様と話させてよ」と。そしてそれを言えば、青兎は素直に退いてくれるだろうと、黄鳥曹長は考えていた。いつも自分のことは二の次で、本当の想いや意見を押し殺す、優しい青兎様。だからこそ、次に取った青兎様の行動には、私も黄鳥曹長も驚きを隠せなかった。
青兎様は、黄鳥曹長の瞳を真っ直ぐ見つめたまま、言い放ったのだ。
「………お断りします、曹長」
「……………」
「あ………青兎様………?」
目を見開く私の瞳に映るのは、ピンと伸びた青兎様の背中。揺るがない、強い決意を背負った大きな背中だった。
「菖蒲様を渡したくありません」
「青兎様…………」
「貴方にも………、黒馬たちにも」
「………………」
「例え上司命令だとしても」
そしてそれだけ言うと、黄鳥曹長の返事も待たずに、私の腕を掴んで部屋を飛び出した。ずかずかと早歩きで歩いていく青兎様に引きずられるようにして、私はその後ろを一生懸命追い掛ける。やがて適当な空き部屋に引き込まれると、肩を掴まれてドンと壁に押さえ付けられた。
「無防備過ぎなんだよ、アンタ………っ」
「……………!」
間近で私を見下ろす青兎様の表情は、どこか切羽詰まったような、余裕の無さそうな顔をしている。その顔が妙に官能的で、情熱的で………私は急に心拍数が上がっていくのを感じていた。きっとこの胸のトキメキは………お酒に酔っているからじゃ、ない。なんならとっくに、酔いなんて醒めてしまった。
「男の前であんなに酔って、簡単に言い寄られたり触れさせたりして」
「ち、ちょっと、青兎様………っ!」
落ち着いてください、という私の制止も聞かずに、青兎様は私の頬、首筋、胸元、耳元………、色んな所にその柔らかくて整った唇を押し当ててくる。明らかにいつもの青兎様じゃなくて、私はどうしたらいいのか半ばパニックだ。青兎様のサラサラな髪が首元を掠める度に、そして耳元にその生温かい吐息がかかる度に、変な気持ちになって上擦った声が漏れそうになるのを必死に我慢した。
「こんなつもりじゃなかった………っ」
「ぁ………っ、あおとさま………っ!」
「自我を出すつもりなんか…………。こんなの俺らしくない………」
「ん………っ、は…………」
やだ、駄目だ。どんどん体が熱くなってくる。心臓は口から吐きそうで、無限に降り注ぐ青兎様の唇に頭がおかしくなりそうだ。溺れそうになる思いで、必死にそれを受け止めて。
「………好きだよ、菖蒲様」
「…………っ!!!」
私の心を大きく揺さぶる、その言葉に時が止まったかのようだった。何も抵抗しない私に、青兎様はいよいよ唇同士を重ねようとしてくる。揺らめく灯籠によって、戸に浮かび上がる影が、ゆっくり、着実に、1つに重なろうとして………。
寸前の所で、何故か青兎様はぴたりと動きを止めた。そして、スッと私から距離を取る。ポカンとする私の耳には、次第に廊下の奥の方からドタバタとこちらに駆け寄ってくる足音が聞こえてきて、そのまま私たちのいる部屋の前で止まった。
すぱん!と勢いよく開かれた戸の先には、黒馬様、白鹿様、紫狐様が立っていて、
「………何をしてる、青兎。まさか抜け駆けか?」
「まさか。菖蒲様がだいぶ酔ってるみたいだったから、酔い覚ましに連れ出してただけだよ」
そこには、いつもの柔らかな笑みを浮かべた青兎様がいて、まるで先程までの彼が幻のようだった。夢でも見ていたのだろうか、と呆然としていたが、しかし頰を抓ってみてもちゃんと痛みを感じていて、そんな私を紫狐様が不審そうに覗き込んでいる。
「何してんだよ」
「い、いえ、なんでも…………」
ちら、と青兎様を見ると、私にだけ見えるようにそっと悪戯げな笑みを浮かべて、口元に人差し指を立てており、「秘密」と伝えているようだった。その妖艶な笑みがまた先程のことを思い出してしまいそうで、私は彼から慌てて目を逸らすのだった。
…………もしかして青兎様って、本当はすごく大胆で意地悪な方なのだろうか。




