親子
「親父から文が届いた。明日の早朝、またここへ来るらしい」
夕飯時、黒馬様がそう重い口を開いた。私たちはそれを聞いて、返す言葉もなく押し黙る。ここへ来る、ということはつまり、明日は黒馬様を連れ戻しに来る日、という事だろう。結局、黒馬様を連れ戻されない為の確実な方法は思い付かないまま、思った以上に早くその日を迎えようとしていた。
「どうするの、黒馬」
重たい空気の中、神妙な面持ちでそう問い掛けた青兎様。まさか、何も作戦を思いつかなかったから、大人しく従って軍に戻るわ!なんて、そんな事を言い出さないかと少し心配になったが、いつも通りの表情を浮かべる黒馬様の瞳の奥は、確かにしっかりと光を宿していて。
「変な小細工をしたり、作戦を練っても、そういうのが通用する相手じゃないのは俺が1番よく分かってる。もう1度、真正面から話を付けてみる。それで駄目なら………」
「駄目、なら………?」
「親父ぶん殴って、除隊処分でも喰らうか」
最後のは冗談だと思うが(多分)、黒馬様は全くもって諦めている訳ではなさそうだ。その様子を見て安心しながら、確かにそれが1番の方法なのかもしれないと納得した。誤魔化したり、欺こうとしたりすれば、余計に不信感を抱かれるかもしれない。ちゃんと本心を真っ直ぐに伝えれば、想いは通じるのではないか。
「そうですね。私も、それが1番いい方法だと思います」
そう微笑みかけると、黒馬様も柔らかい微笑みを返してくれた。結果がどう転ぶかは分からない。だが、訴えるしかない。黒馬様と一緒にいたいということ。黒馬様も、同じ気持ちでいてくれているということ。理解してもらえなくても、伝えるということが何よりも大切で、それはきっと人の心を突き動かす力を持っている。私は、それを身をもって体感している。
明日。黒馬様とこれからも一緒にいられるかどうかが決まる。布団の中に潜り込みながら、私が変に緊張してしまって、なかなか寝付けなかった。………大丈夫、だよね。きっと分かってくれるよね………。次から次へと込み上げてくる不安から逃れるように、私は無理矢理目を閉じた。夜に考え事なんかするものじゃない。どう足掻いても、必ず明日は来る。ならば早く寝て、明日を迎えよう。
そして朝日が昇る頃。庶民ではとてもお目にかかれないような立派な自動車が、不釣り合いなこの田舎町に停まった。中から降りて来たのは、あの日見たあの方………、紛れも無く黒馬様のお父様で、そしてそれを迎えたのは、
「………腹を決めたか」
「親父」
息子である、黒馬様本人だった。黒馬様の希望で、私たちはお留守番で、そこにいるのは黒馬親子2人だけだった。ちゃんと父親と1対1で話したい、という黒馬様の意思を尊重し、私たちは敢えてそこには姿を現さなかったのだ。
「上の許可は取ってきた。荷物を纏めて来い。準備出来次第、すぐに帰るぞ」
「………親父」
多くを語らない黒馬大佐は、手短に、自分の要件だけを伝えてくるりと踵を返した。しかし黒馬様も、大人しく父親に従っているだけではない。はっきりと大佐を呼び止めて、その大きな背中を見つめた。その背筋はピンと伸びていて、覚悟を決めた者の背中をしていた。
「俺はまだ軍には戻らねぇ」
「お前はまたそんな甘いことを………」
「俺にもできたんだ。やりたい事、成し遂げたい事」
そこで漸く、大佐は振り向いたのだった。こちらを真っ直ぐ見つめる息子の視線を受けて、ハッと黙り込む。未だかつて、こんなにも息子が大きく見えたことがあっただろうか。
「確かに俺は、親父からしたら甘いかもしれねぇし、舐めた考えしてんのかもしれねぇ。軍人になったのだって、別に何か目標や夢があった訳じゃねぇ。親父が軍人だったから、何となくその後を追っただけだ」
「……………」
「でも、ここに来てやっと見つけたんだ。俺がやりたいこと。1人の軍人として、1人の男として」
「………やりたい事?」
「ああ」
意を決するように、息を吸う。黒馬様にもう迷いは無い。
「菖蒲を守りたい。このくだらない儀式から」
「……………」
「アイツの命を利用しようとする汚ねぇ軍から、国から、俺が守ってやりたいんだ」
それは明確な、軍への反逆の意。儀式をする為に、ここに残るのではない。その儀式に逆らう為に、ここに残りたい。そうはっきりと告げたのだ。
この世継ぎの儀式に関して特別な感情を抱けば、儀式の妨げになると見なされてしまう。そうなれば即刻その任を解かれ、軍への帰還を命令されるだろう。だから黒馬様たちは、その本心を軍には悟られないように隠していこうと、そう決めていた筈なのに。黒馬様は父親に、その心を偽ることなく全てを打ち明けた。これでもし、黒馬大佐が上に報告すれば、黒馬様は即刻帰還を命じられるだろう。それこそ今度こそ拒否権などなく、強制的にだ。
けど、黒馬様はそんな危険を犯してでも、嘘をつく事はできなかった。嘘をついて、適当に見繕った理由で父親を説得しても、きっと意味は無いと考えたのかもしれない。
「軍の命令に歯向かうと?」
「………ああ」
「それがどれだけの事か、理解しているのか?」
「分かってる。けどそれで諦めがつく程、俺も生半可な気持ちで言ってる訳じゃねぇ」
「好きなんだ、菖蒲のことが」
自分の息子が、また馬鹿げた考えを起こしていることに、大佐は呆れていた。軍や国からあの巫女を守るということは、どれだけ大変で、敵だらけの道のりなのか、コイツはきっとまだちゃんと理解していない。………でも。
何故だろうか。
黒馬大佐の脳裏に浮かぶのは、仕事ばかりで碌に帰れてない家で、1人、自分と息子の帰りを待つ嫁の姿。息子が産まれる前は、このたった1人の女を愛し、守り抜く為に軍でのし上がった。国を守りたいなんて大層な夢など無い。全てはただ1人の女の為。
そして、息子が産まれた。守るべきものが増えて、彼は一層仕事に明け暮れた。大佐にとっての何よりの原動力、生きる理由は、自分の嫁と息子なのだ。
「………………」
「親父………?」
息子の姿を見て、自分がまだ若かった頃の青臭い姿を思い出し、大佐はフと笑みを溢した。まだまだ未熟者の息子は、誰よりも己に似ていたのだ。
「ならば現を抜かさぬ事だ」
「え」
「敵は多いぞ」
「親父………!」
「軍や国だけじゃない。もっと強力で、手強い相手はすぐそばにいる」
巫女は1人しかいないからな、と言われて、黒馬様の脳裏に浮かぶ、自分以外の3人の男。この気持ちを自覚したからには、のんびりしてはいられない。
「黒馬の名を背負う男ならば、不甲斐ない結果だけは残すなよ」
「黒馬大佐!息子さんは良いのですか」
颯爽と車に乗り込もうとする大佐に、部下の男が戸惑ったように問いかける。親子の会話までは聞いていなかったのだろう。連れて帰る予定の息子を1人置いて車に戻ってきたものだから、動揺している。
「いい。あんな出来の悪い息子を連れ帰ったら、俺の仕事が増える」
「は、はぁ………」
「車を出せ。仕事が山程溜まっているんだ」
「ま、待ってください!黒馬大佐!!」
相変わらず忙しない人だ、と黒馬様が溜息を吐く。そのタイミングで、私が名を叫びながら慌ててその場に姿を現した。心配で居ても立っても居られず、こうして駆け付けてしまったのだ。
「黒馬大佐!!」
「巫女様…………」
大佐は私の姿に気付くと、運転手に何か合図を送り、窓を開けてくれた。私はそこへ駆け寄り、無礼を承知で、乱れた呼吸も整えないままに言いたい事を伝える。
「く、くろまさまは………!?」
「置いていくことにしました。あんな男でも、巫女様の役に立っているみたいですから」
「よ、よかった………!わたし、くろまさまがいなくなったら………!」
「巫女様」
息も絶え絶えな私に、大佐は改めて表情を険しくした。それに釣られて、私も何となく背筋が伸びる。
「あんな息子ですが、どうぞこれからも宜しくお願いします」
「…………!こ、こちらこそっ!!」
そうして車は、走り出した。その姿が小さくなるまでずっと見送り続ける私の横に、黒馬様が並ぶ。あんなに心配していたお父様の説得を、割と呆気なく成し遂げたものだから、一体何を言ったのだろうと少し気になる。
「何て説得したのですか?」
「………秘密」
私のこの疑問には答えて貰えないまま、グッと伸びをする黒馬様は、「腹減ったー!」と言いながらそそくさと歩き出した。やはり聞くのは野暮だったか、と思いつつも、でもやっぱり興味が湧いて、私はその背中を追いかけながら何度も何度も問いかけるのだった。




