見透かす瞳が苦手でした
悔しい。
部屋に戻った私が1番最初に抱いた感情は、それだった。………悔しい。
頭に蘇るのは、私の本音を探ろうとする黒馬様や、私の覚悟を試そうとする白鹿様。何かを見透かすような、青兎様、紫狐様の眼差し………。今日出会ったばかりの彼らにあんな事を言われたのも悔しさの1つではあるのだが、それよりも何よりも、自分自身がこの期に及んで半端な覚悟だったということが、1番悔しい。
この20年。私は、私自身の人生を犠牲にして、全てを巫女という運命に捧げてきたつもりだった。そして勿論、この世継ぎの儀式に関しても、身も心も全て捧げて、完璧にこなすつもりだった。その覚悟に、嘘なんて無かった筈なのに………。
(人の心に土足で踏み込んできて、挙げ句の果てには………っ)
私が壊れない為にと被ったこの仮面まで、無理矢理剥がそうとするなんて。半分意地になってきている事は私自身分かってはいたが、このままやられっ放しで引き下がるのも癪だった。
もう一度、もう一度、彼らに私の覚悟が本物である事を示したい。世継ぎの儀式がなんだ。別にどうって事はない。やってやろうではないか。
「………で、俺の部屋に来たのか」
はぁ、と大きな溜息と共にこちらを見る黒馬様は、机に向かって何か手紙を書いているようだったが、私の来訪によりその手を止めた。ぼんやりと灯る部屋の灯りが、ゆらゆらと黒馬様と私の顔を照らす。黒馬様はもうすぐ寝ようとしていたところのようで、先程までの軍服ではなく、寝巻きを簡単に羽織るだけの恰好をしていた。
「黒馬様」
「ん?」
「私を抱いて下さい」
呑みかけていたお茶をブーっと勢いよく吹き出し、改めて私を見る。その目は驚きと呆れと、色んな感情を含んでいた。
「落ち着け菖蒲。ちゃんと話をしよう」
「話をする事などありません。子を成せばこの儀式は終わります。貴方達も解放されて、お互い良いこと尽くしではないですか」
「あのなぁ………」
とりあえずこのままでは埒が開かないと判断したのか。黒馬様は、部屋の入り口で立ったまま話をする私に手招きをして、自分の寝室に招き入れた。呆れたように頬杖を付く黒馬様の前で、私は正座をする。様子を見るからに、私を抱くつもりなど毛頭無さそうだ。
「私のこと、抱けませんか」
「そういう話じゃねぇんだよ」
「でも貴方達だって、儀式のことを分かった上で、ここに来たのでしょう」
黒馬様たちだって、何も知らずにここに来た訳ではない。自分たちの役目。連れて来られた意味。それらは全て、選ばれた時に和尚様から説明があった筈。それらを知った上で、ここにいるのではないのか。そしてそれは即ち、了承したという事ではないのだろうか。
だが彼らは、儀式を行おうとしない。私を………抱こうとしない。その理由は何なのか。
「何故貴方達は、儀式に非協力的なのですか」
「……………」
「確かに私と黒馬様たちは、今日初めて会った他人です。お互いの事もよく知らない。ですが、だからこそ貴方たちが選ばれたのです。変な情や想いが湧けば、それこそこの儀式においては、大きな妨げとなります。それに………、私の気持ちや、巫女の事情など、他人の黒馬様たちには関係の無いこと」
もし仮に、私の事を気にして遠慮しているというのなら、それこそ必要のない事だ。現に私本人がこの儀式を受け入れ、抱いてくれと頼んでいる。こんな私に同情するほど、私と黒馬様たちは深い仲でもない。何度も言うが、今さっき出会った、見知らぬ他人。だからこそ、黒馬様たちはなんの責任も負い目も感じる事なく、責務を全うできる。そういった点も考慮しての人選の筈だ。
「子が出来ても、黒馬様たちに責任は発生致しません。寺で預かり、私の時と同様、神職の者が巫女として育てていく。儀式の後の黒馬様たちの人生には、何の影響もありません」
「そんな事を心配してるんじゃねぇ」
ツラツラと黒馬様を説き伏せる為の言葉を並べる私に、彼は我慢ならなくなったのか。ついに立ち上がると私の前に膝を付いて、乱暴に腕を掴んできた。正座していた私の姿勢は、勢い良く引っ張られた事で崩れ、黒馬様の方へ前のめりになった。眼前にあるのは、至近距離の黒馬様の顔。その金色の鋭い目が、真っ直ぐと私の目を見つめ返していた。
「生憎だがな。俺は好きでも何でもない女を抱くような趣味は持ち合わせてねぇんだよ。この儀式だって………、断れるなら断ってた」
「…………!」
その言葉に、私の時が一瞬ピタリと止まる。思い出したくない過去が、またしても脳裏に蘇る。
『あやめちゃん、きらーい!』
『ど、どうして…………』
『だって、お母さんが言ってたもの。あやめちゃんと遊ぶと、悪い鬼が付いてくるって!だからあやめちゃん嫌!』
『そんな…………』
『あっちで遊ぼ!』
好きでも何でもない、か。
嫌われるのは、慣れている。好かれていないことも、知っている。この町に、この世界に、私の味方などいないのだから。黒馬様たちもそうだ。儀式の為に、無理矢理連れて来られだけ。………ただ、それだけ。
「そうですか。それもそうですね………。失礼しました」
スッと引き下がった私に拍子抜けしたのか、緩んだ黒馬様の手から、掴まれていた腕を引き抜いた。音もなく立ち上がり、部屋を出て行こうとする私を、黒馬様が呼び止める。
「お、おい」
「別の方に頼んでみます」
「別のって………、誰に」
「白鹿様とか」
「やめとけ。1番優しくない男だぞ」
「はい?」
「私を抱いてー、なんて言ったら、本当にやる男だぞ、アイツは」
「は………?抱いて貰いたくて頼んでるんですけど………」
そんな私を、黒馬様は。また、あの目で。全てを見透かすような、あの目で見つめるのだ。
「………違うだろ」
「…………っ」
「お前、本当は俺が手を出してこなかったことに安心してるだろ」
何故だろう。私は、彼らの前ではいつもの私でいられなくなるような気がした。バクバクと心臓が大きく叫んでいる気がする。本音を言い当てられて、動揺しているのか?いや、そんな筈はない。私はもう決心してるんだから。惑わされるな。顔に出すな。動揺していることを、相手に見せるな。
「…………おやすみなさい、黒馬様」
「……………」
やっとのことで出た言葉は、我ながら平静を取り繕えていたと思う。いつも通りの声音で何とか挨拶を言い残すと、そのまま私は黒馬様の部屋を後にした。戸を閉じた後、黒馬様に掴まれた腕にそっと手を添える。男の力強さを感じた。ただ腕を掴まれただけだったのに、抵抗なんて敵わない、自分の無力さと、男女の力の差を感じていた。
(手………、震えてる………。なんで………)
黒馬様の、言う通りだ。
もしあの時、黒馬様が「分かった」と一つ返事で私の事を抱いていたら、私はどうしただろう。本当に、受け入れていたのだろうか。
(私………、安心してるの…………?)
無事何事も無く部屋を出て来れたことに、安堵している。そして、白鹿様の部屋に行く事が、怖いと感じている。そんな自分の本音と弱さを改めて実感させられて、ただただ私は、静かに自分の部屋へと帰ることしかできなかった。
白鹿様の部屋へ行く勇気など、もうその時の私には残っていなかった。