動き出す関係と絡み合う糸
白鹿様は、確かにはっきりと言った。
………私の事を、好き、だと。
その言葉を聞いた時、単純に「嘘だ」と思った。唐突な告白に、信じられない気持ちが大きいのが正直なところだ。白鹿様の言う好きは、恐らくだが、仲間や友情に向けて言った言葉ではない。多分、恋愛として、女として、好きだと言ってくれている。そこまで私も鈍感じゃない。けど、けど………。
分かっている。目の前の白鹿様の表情、目を見れば、とても嘘や冗談を言っているようには思えない。そんな彼の言葉を、易々と「嘘だ」と疑うなんて、そんな失礼なことは出来なかった。「冗談ですよね?」と笑ってはぐらかす事も、出来なかった。
「は………、白鹿様………」
「………ごめん。困らせたかったわけじゃないよ」
「わ、分かっています。ごめんなさい、動揺してしまって………」
例えばこれが、お互い好き同士の男女であれば、「私も好きです」と返して、晴れて恋人同士になるのだろうか。何度もくどく説明するようだが、私は恋愛経験が皆無だ。こういう時にどういう言葉を返せばいいとか、どういう反応を取ればいいのかとか、全くもって分からない。そのせいで、告白した側の白鹿様に気を遣わせてしまうという申し訳ない状況に陥っている。
「わたし、は…………」
絞り出した声は、思っていた以上に震えていた。どうしたらいいか分からない、と私をより悩ませている原因として、もう1つ、私は白鹿様に対して恋愛的な感情を抱いているのかどうかが分からないというのもある。勿論、白鹿様は私にとって大切な人で、かけがえのない存在だ。けどそれが、恋愛的な意味かどうかと聞かれると、正直………分からない。ここで結論は、出せなかった。
「ごめんなさい………。私、こういった経験が無くて」
「知ってる」
「…………………」
知ってる、ときっぱり言い返されたことはちょっと不本意だが、まあ本当の事なので何も言い返せない。ぐっ、と一瞬押し黙ったが、込み上げてきた感情を飲み込んで、続きを話す。
「白鹿様は私にとって大切な方ですが、恋愛としてどう思っているのかは………、自分でも分からないんです」
「………………」
「だから………、この場で答えを出すのは………難しい、かも…………」
黙ったままの白鹿様の沈黙に萎縮して、私の語尾はどんどん小さく弱々しくなっていく。せっかく気持ちを伝えたのに、私からの反応がこんな何とも言えない曖昧なもので、ガッカリさせてしまっているかもしれない。それでも、私の今の気持ちに嘘をつくことはできなかった。ありのままを伝えるしかない。しかし、そんな私に返ってきた白鹿様の言葉は、予想を反したものだった。
「………良かった」
「え………」
「他に気になる人がいるとか、そういう訳じゃないんでしょ?」
「は、はい。それは無いです………」
「じゃあ、僕にも機会があるって事だ」
私の返事を前向きに捉えている白鹿様は、どこか嬉しそうとすら思えた。こんな1番ハッキリしない返事だったというのに、「今はそれだけ分かればいいよ」と笑う白鹿様。私はそんな彼に、ただポカンと固まるしかなかった。
「もう、遠慮はしない」
「白鹿様………」
「儀式に特別な感情は禁止だとか、軍での立場だとか、巫女の事情だとか………、そんなものに遠慮してたら、いつの間にか他の男に連れて行かれる。そうなったら、後悔してももう遅い」
その言葉は、まるで白鹿様自身に言い聞かせているようにも思えた。そしてその言葉を聞いて、私は改めて感じる。やはり、白鹿様は焦っているのではないか、と。私への好きという気持ちは、本当に、彼の本心から生まれた言葉なのか。それとも、黒馬様や赤熊様といった存在に焦っての、言葉なのか。
「覚悟してよね、菖蒲ちゃん」
絶対好きにさせるから、と自信満々な白鹿様は、いつもの白鹿様だった。私はそれに対してただただ顔を赤くさせてオドオドするだけで、気の利いた言葉1つも返せない。黒馬様から続けて騒ぎっぱなしの心臓は、今晩とても休まりそうにない。
複雑に動き出す、私たちの関係。それはあまりにも突然に、急速に、動き出していた。私の指先から伸びる糸は、絡みに絡み合って、その先に誰と繋がっているのか。それは私も、黒馬様も白鹿様も、勿論紫狐様も青兎様も、誰1人分かる者はいない。
「黒馬」
「…………白鹿か」
いつもと変わらぬ朝。軍から離れてこの田舎町へ出張に来て、もうしばらく経つが、体に染み付いた習慣はそう簡単には消えることはなく、いつも同じ時間に目が覚める。菖蒲が台所でみんなの朝食を準備する中、黒馬はまず顔を洗うのがお決まりの流れだった。
そんな背中に、声をかける男が1人。黒馬と同じ役目を持って、この町にやってきた男、白鹿だ。白鹿は意味深な笑みを浮かべてそこに立っていて、顔を拭く黒馬が訝しげにその顔を見つめ返す。とても「おはよう」と朝の挨拶をしに来ただけとは思えない雰囲気だ。
「お前も顔洗いに来たのか」
「ううん、ちょっと黒馬に言いたいことがあってさ」
敢えて意味深な間を置いた後、白鹿は再び口を開いた。一瞬も視線を逸らさずに絡み合うお互いの瞳は、まるで相手の腹を探るように。
「菖蒲のことが好きみたい」
「は………?」
「もう、遠慮はしないから」
見開かれた黒馬の切長の瞳に映る白鹿は、決意を固めた男の顔をしている。迷いはない、冗談でもない。そんな意思の固さが伝わってくるようだ。黒馬はそんな彼の発言に明らかに動揺しながらも、何とか返事をする。
「………なんで俺に言うんだよ」
「さあ。なんでだろうね」
「菖蒲に言えばいいだろ」
「いいの?菖蒲ちゃんに言っても」
「はあ?どういう………」
どういう意味だ、と聞こうとして、黒馬は口を噤んだ。白鹿はまるで何かを悟っているかのように黒馬を見ていて、その目を見つめ返すと、黒馬の奥底の何かを引き摺り出されそうな、そんな気がしたのだ。ぱっと目を逸らした黒馬を見て、白鹿は何を感じたのだろう。白鹿はそれ以上は特に深く追求することはなく、そのまま踵を返した。
「それを伝えたかっただけだから。じゃ、お邪魔しましたー」
「……………」
「今日の朝ごはん何かなー」
残された黒馬はその場でただ、手に握られた手拭いを見下ろして突っ立っていた。白鹿の言葉に翻弄され、何かを突き動かされるような、そんな思いに駆られたのは菖蒲だけではない。この黒馬もまた、白鹿によって掻き乱され、何か言いようのない焦りと感情が込み上げていた。
そして黒馬もまた、自覚するのだ。薄々気付いていた自分の気持ち。それをはっきりと、認めていく。
嗚呼、俺は、菖蒲のことが好きだ。




