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交差する想い

「んな可愛いこと言われたら、行く訳にはいかねぇな」

「く、くろまさま………!?」


 私の上に覆い被さる黒馬様は、どこか悪戯っぽく笑いながらも、真剣な眼差しをしていた。しかし私の方はそれどころじゃなくて、この怪しい体勢、怪しい状況に動揺するばかりであった。何故私は押し倒されているのか。そしてこの後どうなってしまうのか。はしたない妄想ばかりが並んで、顔がどんどん熱を帯びる。


「………俺も、行きたくねぇ」

「………っ!」

「お前と離れたくねぇ」


 そして黒馬様は、切なげな声音でそう吐き捨てた後、私の首元に顔を埋めた。かかる吐息がくすぐったくて身を捩るが、腕を畳に押さえつけられているせいでビクともしない。黒馬様はしばらくその体勢のままで、すんすんと私の首元の匂いを堪能した後、その柔らかい唇を軽く押し当てた。


「だ、だめです、くろまさま………っ!」

「………っ」


 何とか絞り出した声に、やっと黒馬様が顔を上げる。しかし私の顔を見るなり、何故か一瞬面食らったように固まって、眉間に皺を寄せながらぎこちなく目を逸らされた。こんな大胆なことをしているのは黒馬様なのに、何故か彼の耳が少し赤くなった。


「お前………、なんて顔してんだよ………」

「え?」

「………悪かった。変なことして」


 そして黒馬様は呆気なく私を解放し、横たわる体を優しく起こしてくれた。別にこの先を期待していた訳ではないが、あまりにも簡単に離されたので少し拍子抜けして、キョトンと黒馬様を見つめる。そんな私の気持ちを知ってか知らずか、居住いを直すこちらをチラリと横目で見て、何だか気まずそうにする黒馬様。


「………これ以上は歯止めが効かなくなりそうだから、やめとく」

「…………っ!」


 恋愛の経験は無いが、その言葉の意味が分からない程、私も無知ではない。黒馬様は、まだ自制が効く内に私を解放したのだ。そしてそれはつまり、これ以上何かあれば、彼は本当に私を………。


「とにかく、俺もお前と同じ気持ちだから安心しろ。親父のことは何とかする。軍に戻る気はねぇ」

「はい。それが聞けて安心しました」

「………なら、部屋に戻って寝ろ」


 一線を超えないようにと、黒馬様なりに抑え込んでいるのだろうか。こちらに背を向けて、ぶっきらぼうに戻れと言った黒馬様の耳はまだ真っ赤だ。黒馬様のその気遣いを無駄にしてはならないと、私も大人しくその言葉に従うことにした。おやすみなさい、と去り際に言い残すと、しっかり「おやすみ」と返ってきて、その声音がとても優しいものだから、安心しながら襖を閉める。大丈夫、ちゃんと黒馬様も私と同じ気持ちでいてくれた。きっと今回のことも、黒馬様なら何とかできる。そんな根拠のない自信が込み上げてくる。


 寝よう、そう思い、自分の部屋へ向かって廊下を歩く。他のみんなも既に自分の部屋に入っていて、寝支度をしているか、もう寝ているかなので、なるべく物音を立てぬように、忍足で歩いた。黒馬様の気持ちを再確認できたので、これで安心して眠れそうだ。


 そして、ある一室の前を通り過ぎようとした時、事は起こる。急に開かれた襖から、ヌッと出てきた腕が私の腕を掴む。声を上げる間もなくその部屋に引き摺り込まれて、廊下には再び一切の人気が無くなった。引っ張られて倒れ込むように部屋に入ったが、私の体は畳に打つようなことはなく、誰かの温もりに抱き止められていた。


「また黒馬のところに行ってたの?菖蒲ちゃん」

「は………、白鹿様………!?」


 その部屋は、白鹿様の部屋であり、私を引き摺り込んだのも、紛れも無い、白鹿様本人であった。何故こんな事をするのか分からなくて、私はただただ状況が飲み込めずに混乱する。そんな私を、白鹿様は面白いものを見るかのように見下ろしていた。


「何となく予感がして、菖蒲ちゃんの部屋を訪ねたら既にもぬけの殻だったからさ。どこ行ったのかなーって探してみたら、黒馬の部屋から声が聞こえてくるんだもん」

「そ、それは…………」

「何してたの?黒馬と」


 答えるまで離さない。そんな白鹿様の気持ちが、私の手を掴むその手に伝わってくる。抵抗できないままの私に対し、白鹿様はまるで恋人のように、指と指を絡めてぎゅっと握りしめてきた。普段の甘い爽やかな顔に似つかない、その妖艶な雰囲気は、初めて見る白鹿様の一面だった。


「そういえば、民宿でも黒馬と何してたのか、聞けずじまいだったね」

「な、なにもしてませんっ!」

「声が裏返ってるけど」


 嘘が下手だねー、と笑われて、何も言い返せずに押し黙る。もう、バレてるんだ。私と黒馬様の間に、何かがあったこと。今までの距離感を壊すような出来事があったことに、白鹿様は気付いている。そして何故かそれに触発されて、白鹿様もこんな行動を起こしている。………どうして、こんな………。


「こんな…………」

「ん?」

「こんな事されたら、心臓保ちません………っ!」


 きっとまた、私の顔は茹で蛸のように真っ赤なのだろう。何とか必死の思いで吐き出した言葉は、まるで先程の一瞬だけ固まっていた黒馬様の時と同様に、白鹿様を驚かせていた。そして白鹿様は目を細めて、


「可愛い、菖蒲」

「…………っ!?!?」

「俺のせいで、心臓保たないんでしょ?」


 するすると、頬から首にかけて優しく撫でていく白鹿様の温かい手は、あろうことか止まることなく降り続け、やがて私の左胸………、心臓がある部分で止まった。さ、触られている。私は間違いなく、男性に胸を触られている!!!!と頭では分かっていても、何故か体が動かない。石のように、鉛のように、ちっとも言う事を聞いてくれない。


「すごいバクバク言ってるよ、ここ」

「…………っ!!」

「………他の奴に見せたくないなぁ、そんな顔」

「な、なにいって…………」

「勿論、黒馬にも」


 やけに黒馬様の存在を意識する白鹿様。民宿での出来事から、どこか様子のおかしい白鹿様への違和感が、今はっきりと私の中で確証に変わる。やっぱり、白鹿様、なんか変だ。いつもと違う。黒馬様のことばかり気にしていて、何かに焦っているような、そんな印象だ。


「白鹿様、一体どうしたんですか………。なんか様子がいつもと違います」


 私にそう突っ込まれて、白鹿様の顔から表情が消えた。パッと手を離されて解放されるも、違和感だらけの白鹿様を置いてこの部屋から立ち去るなんて、私にはできない。白鹿様の様子の原因を知りたい。どうして急に、ずっと一緒に生活してきた仲間でもある黒馬様を敵視し、私にこんな事を………。


「僕だって知りたい」

「え………?」

「すごく嫌なんだ。他の誰かが、アンタに触れるの」

「白鹿様…………」

「渡したくない。赤熊みたいなよく分からないぽっと出の男も勿論だけど………。黒馬や、紫狐や、青兎にも」


 静かな空間で、ぽつり、ぽつりと響く白鹿様の言葉に、私の心臓は再びバクバクと騒ぎ始める。だって、だって白鹿様。それはまるで…………。


「こんなつもりじゃなかった。女とか恋愛とか、興味なかったし。そもそも儀式に特別な感情を持ち込むのは禁止だし。なのに………」

「わ、私を揶揄わないでください………」

「菖蒲」


 そんな真っ直ぐな目で見つめられたら、もう冗談だとか、私の勘違いだとか、そんな風には思えなくなってしまう。白鹿様、あなたは………本当に………。


「好きだよ、菖蒲」

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