間一髪でした
「きゃあああっ!」
自分でも聞いたことのない甲高い悲鳴が、民宿中に響き渡っていた。悲鳴の後には、「だれか………っ!」と更に救いを求めるか細い声。外での乱闘騒ぎを片付けた白鹿様、紫狐様、青兎様は、その悲鳴を聞いて慌てて階段を駆け上った。騒ぎに驚き恐怖する民宿の店主夫婦に一度会釈をしてから、目的の部屋へと向かう。赤熊の部屋は、2階の奥。黒馬を先に行かせた筈だが、まさか………と白鹿様の脳裏に嫌な予感が過っていた。
「菖蒲ちゃん!!」
勢いよく姿を現した白鹿様たちが見たのは、部屋の隅で座り込み、何故か漏らした状態で放心している赤熊と、そんな赤熊を他所に、黒馬様に壁に追い詰められている私の姿だった。黒馬様と壁に挟まれている私は、身動きが取れない状況の中で必死に黒馬様の体を押し返していた。まるで迫られているかのような体勢に、白鹿様たち3人は言葉を失う。そしてそんな白鹿様たちを鬱陶しそうに横目で睨んだ黒馬様は、あろうことかチッと舌打ちを漏らした。
「………邪魔が入ったか」
「何してんだ黒馬!!!」
すっ飛んできた紫狐様が、顔を真っ青にしながら黒馬様の襟首を掴み、私から引き剥がす。ようやく解放された私は、手遅れになる前にみんなが来てくれてよかった………と胸を撫で下ろしながら座り込んだ。駆け寄ってきた白鹿様と青兎様に挟まれて、何とか事の発端を思い出す。
私がまたしても赤熊様の元に行こうとしたことで、怒りを露わにした黒馬様。鮮やかな手付きで赤熊様を成敗したのは良いものの、その怒りの矛先はしっかりと私にも向いていた。お仕置き、と称した黒馬様の強引過ぎる行為は、先程の口付けをきっかけに、タガが外れてしまったように思える。
「く、くろまさま………っ、ちょ………!」
私が何度も名前を呼んでも、いくら力を込めて抵抗しても、彼は一言も発しなかった。それが逆に怖かったのと、黒馬様が本気だということをヒシヒシと感じる。彼は冷静じゃない。何としても止めなければ、黒馬様自身も後で後悔するのではないだろうか。
「黒馬様!落ち着いて!」
「ならもう余計なことは考えないって約束してくれ」
黒馬様は説得の間もグイグイと私の体を壁に押し付け、再び口付けようとしてきた。顔を背けて、必死に訴えかけると、彼から約束を持ちかけられる。もう、他の誰かの元へは行かないと。2度と自己犠牲なんて考えないと。そう約束して欲しい。それが、黒馬様からの要望だ。
「考えない………っ!約束するから!」
今回の件で十分分かった。私が自分を犠牲にしたりとか、私が彼らを守るとか、そんな事を考える事自体烏滸がましかったのだ。黒馬様たちは非常に頭が切れるし、強いし、自分たちで状況を打破できる力がある。それに、ここまでされたらもう易々とは「別の人と共に行きます」なんて言えまい。
何よりも1番の理由は、私が彼らと離れたくない。その気持ちは、黒馬様と一緒だ。本心から、赤熊様と行きたいだなんて微塵も思ってない。だから、そんな約束をすることくらい簡単で、私も望んでいることだった。
しかし黒馬様は言っていることとやっている事が違った。私が約束すると言ったにも関わらず、彼は私を解放せず、逆に更に力を込めて私を壁に押さえ付けたのだ。これ以上は交わせない。また黒馬様と接吻してしまう、そんな距離まで追い詰められていた。
そんな状況で辛うじて搾り出した悲鳴は、何とか白鹿様たちの元に届いて、間一髪、事なきを得た。3人の手によって引き離された私と黒馬様だったが、それでも黒馬様は私を真っ直ぐ、真剣な瞳で見つめていた。まるで何かを訴えるかのように、熱を帯びた瞳で。
(ど………、どうしてそんな目で見るのよ………!)
心臓はバクバクと、爆発しそうな程に騒ぎ、顔は真っ赤に熱を帯びる。こんな風に心を掻き乱されるのは初めてで、この気持ち、感情が一体何なのか、自分でも分からない。紫狐様と青兎様に説教されて、ツン、と反抗的な態度を取る黒馬様を他所に、白鹿様だけはやけに静かに、私と黒馬様の様子を観察していた。まるで全てを見透かすような、探りをいれるようなその鋭い瞳で。
「………で、コイツはどうする訳。このまま帰しても、偉大なお父様に泣きついて、自分の罪を帳消しにするんじゃないの」
「それどころか、俺たちが逆に処分されるぜ」
みんなで囲って見下ろす先には、未だ放心状態の赤熊様の姿。気絶はしていないが、意識は完全にどこかへ飛んでいるらしい。私たちがこんな風に取り囲んでも、特に抵抗したり逃げようとする素振りはない。
さてこの人をどうするか、という問題に、私たちはウーンと唸った。軍での立場、権力を持つ赤熊………、というよりは、赤熊の父親に対して、何か対策はあるのだろうか。黒馬様たちは私にとっては立派な軍人様だが、軍ではあくまでも上等兵という階級らしい。黒馬様たちの言葉を借りれば、下っ端、と言われる立場だ。とても赤熊大佐に逆らえる立場ではないだろうし、逆らったところで、その声は圧力によって掻き消されるだけだろう。
「皆さん………」
いい策が浮かばないまま静まり返るみんなに、私の頭にはまた「私のせいで」という感情が浮かび上がってくる。そもそもは赤熊様が私の力を利用しようとした事が発端だ。私にこんな力が無ければ、と自分を責めそうになったところで、青兎様がそれを制する。
「菖蒲様。悪いのは赤熊ですよ。彼が貴女を使って悪い事を考えてたのがいけないんです」
「青兎様………」
「しかもコイツは、お前に怪我させやがったんだ」
それが1番許せねぇ、と吐き捨てる紫狐様が、痛々しそうに腫れた私の頬を見つめる。頭に血が昇って感覚が鈍っていたが、そういえばと思い出したかのように色んな所が痛み出してくる。腫れた頬は勿論、受け身を取った体の色んな部分が悲鳴を上げている。ズキズキと鈍い痛みのような熱を帯びていて、これは処置が必要になりそうだと自分の体を見つめた。
「帰ったら手当てしようね」
「白鹿様………。はい」
「菖蒲が貰った分、ここで返してやっても良いんだけどな」
バキボキとやる気満々の紫狐様を宥める中、ずっと無言だった黒馬様が大きな溜息を漏らした。何事だ、とそちらに集中する4人の視線を受け止めながら、黒馬様は何故だか嫌そうな表情を浮かべている。
「………赤熊をどうにかする方法が1つだけある」
「え、ほんと?」
「どうすんの」
「………使いたくねぇ方法だけど」
その声音からも、黒馬様にとっては本当に使いたくない方法で、最終手段であることが窺えた。果たしてその方法とは何なのか。黒馬様の言葉の先を待つ私の前で、黒馬様は付け足す。
「俺の父親に間に入ってもらう」
「ああ、なるほど」
「黒馬大佐に?」
くろまたいい………?と目を瞬かせる私。他のみんなは知っている存在のようで、大した驚きもせずに納得している。ただ1人、嫌そうな黒馬様だけを除いて。ぽかーんとする私に説明するように、白鹿様が衝撃の事実を説明してくれた。
「黒馬のお父さんも軍人なんだよ。しかもあの赤熊大佐と同じ階級」
「えぇ!?」
「親父の世話にだけはなりたくなかったんだが………」
いちいち説教くせぇんだよな、と漏らす黒馬様は、まるで親をうざったがるような、思春期の男子のような新たな一面を覗かせていた。




