みんなを守りたいのに
対峙する目の前の男は、今まで相手にしてきた人たちとは明らかに格が違った。ただの町のゴロツキとは訳が違う。仕事として武術や格闘術の訓練を積み、場数を踏んだ経験者。更には、力を持った男性。私が勝てる要素など無いようにも思える。
「菖蒲、よせ………!こっちに来い!」
窓の外から聞こえて来る、黒馬様の必死の訴えを聞くつもりはなかった。部屋の位置的に、外からでも室内の状況は窓から丸見えらしい。黒馬様たちも私が勝てるとは思っていないのだろう。こちらの身を案じて、窓から飛び降りて俺の元に来い、と説得してくる。
「聞き分けの悪いお嬢さんだ。僕に勝てるなんて、貴女も思っていないのでしょう?」
「………だから何」
「これは貴女のつまらない意地だ。分かっているくせに。僕に着いていくと一言言えば、全てが丸く収まるということを」
僕の言う通りにするのが嫌なのでしょう?僕の言う事を認めるみたいで、それが許せないから意地を張っているんでしょう?………放っておけば、一生1人で喋っているのではないか、と思う程に、ベラベラとよく喋る。黒馬様たちも身動きが取れない状況で、圧倒的に有利なのは間違いなく赤熊の方だ。その気持ちの余裕から、こんなにも饒舌になっているのだろう。しかし、私の気持ちは決して折れてはいない。
「貴方に着いていくくらいなら、軍に殺される方がマシよ」
「……………」
私が吐き捨てた言葉に、赤熊はようやくその口を閉じて、ピタリと動きを止めた。ずっと余裕綽々だった彼は、どうやらその言葉が癪に触ったようだ。ヒクヒクと怒りによってこめかみを震わせ、私を鋭く睨み付ける。
「………僕にそんな無礼な事を言う奴は、君が初めてだよ、菖蒲」
そして赤熊は遂に、私目掛けて拳を振り上げた。
「菖蒲様………っ」
「クソ………、なんとかなんねぇのか………!」
心配そうに見つめる青兎様や紫狐様の前で、私は何とか必死に赤熊に喰らい付いていた。次々と突き出される重い拳や蹴りは、まともに喰らったら1発でも動けなくなってしまうだろう。集中して赤熊の動き1つ1つを見定め、何とか必死に攻撃を交わしたり、受け身を取ったりする。しかし、とても反撃する余裕などない。避けるので精一杯で、それだけで少しずつ体力を削られていく。刻一刻と追い詰められているのは明白だった。
「僕は優しいから、菖蒲様に機会を与えましょう!」
「…………っ!」
「僕のモノになると、貴女の口から言ってくれれば、貴女を許し、そして黒馬たちも解放してあげましょう!」
攻撃の手を止める事なく、そんな条件を突き出してきた赤熊。彼の顔は楽しそうに笑っていて、私との実力の差を思い知らされるばかりだった。分かってはいたが、やはり軍人相手だとここまで差があるなんて。もう少しくらいやれると思っていたが、この赤熊という男は、軍人の中でもそれなりに出来る男みたいだ。やがて、少し疲れが出てこちらの動きが鈍った一瞬を狙われ、私は2発目のパンチを腹に食らって吹っ飛んだ。女性相手だろうと一切容赦はしない赤熊の冷酷な性格がよく出ている。
「ああ、そうだ、良い事を思い付いた」
「うぅ………、げほっ…………、ぐ…………」
倒れる私の髪を掴んで無理矢理起こした赤熊は、私を引き摺って窓側へと移動する。痛みに顔を歪める私を、赤熊はまるで黒馬様たちに見せつけるようにして突き出した。
「お前らにもよく見えるように、ここで痛め付けてやろうか!」
「菖蒲ちゃん!!!」
「赤熊………、テメェ…………」
「ほら、女性が苦しむ表情ってすごく美しいと思わない?嗚呼………、なんだか興奮してきたよ………!」
ほら見て、と抵抗できない私の顔の前に、自分の股間の部分を持ってきた赤熊。気持ち悪くて勢い良く顔を逸らすと、それが気に食わなかったのかまた1発私の頬に平手打ちを落とす。顎を掴まれ顔を近付けられ、目と鼻の先にいる赤熊を精一杯睨んだ。
「………これでもまだ屈しないとは………、菖蒲様は本当に強情なお方だ」
「………………」
なら、と一言溢した赤熊は、私から顔を離して再び黒馬様たちの方へと視線を向けた。彼らを囲む己の部下1人に何か目線で合図を送ると、あろうことかその部下は手にしていた銃を黒馬様に向け、何の躊躇いもなく発砲したのだった。
「黒馬!!!!」
白鹿様の声と同時に、肩を貫かれた黒馬様がそのまま静かにそこへ膝をついた。肩を押さえる手からは、じわりと血が滲んで地面に垂れる。私はその光景に頭が真っ白になる思いだった。
………黒馬様たちが、殺される………!
そう思った瞬間、今までは自分がどんな危険な目に遭おうとも恐怖心など感じなかったのに、急に怖くて堪らなくなった。私のせいで、大事な人が傷付けられる。しかも、私には赤熊に勝てる実力も、彼らを守る力もない。
「黒馬様!!!」
「………平気だ、心配しなくていい。少し掠っただけだ」
「でも、黒馬様………っ!!!」
「菖蒲様」
窓から身を乗り出して黒馬様を心配する私に、赤熊がそっと囁く。
「僕のモノになると、黒馬たちの前で言ってください。そうしたら彼らのことを解放してあげましょう」
悪魔のような、囁き。そして、私に唯一残された、大切なものを守る選択肢だった。昨日赤熊に連れて行かれた、あの巫女の墓場である御堂に張られていた蜘蛛の巣は、私を雁字搦めにして、二度と逃れられないように、しっかりと捕らえて離さなかった。
「…………………」
「菖蒲。馬鹿げたこと考えるな」
私の迷いは、恐らく顔にも出ていたのだろう。黒馬様が何かを察して、私に釘を刺す。赤熊の誘いに乗るな、俺のことは気にしなくていい、と、力強い瞳が私を射抜く。でも、みんなを守る方法なんて、もうこれしか………。私に出来ることなんてもうこれ以外………。
「わ………、わたし…………」
「菖蒲………、馬鹿な事言ったら許さねぇぞ」
「黒馬様………。私は…………」
「赤熊なんかに渡さねぇって言ったよな」
だって、ならこの状況をどう切り抜けるというのだ。未だに続く圧倒的に不利な状況で、黒馬様の目は何故か光を失っていなかった。自分が死ぬかもしれないのに、それでも私に行くなと伝えてくれている。
「菖蒲様。黒馬たちのことが大事なのでしょう?」
「…………っ」
「なら、僕のモノになって下さい。大丈夫、少し痛い思いをさせてしまいましたが、これからは大事にしますから」
そして赤熊が、私の顎に手を添えた。私を真っ直ぐ見つめる瞳は、ゆっくり閉じられる。徐々に近づいて来る顔。………口付け、される。黒馬様たちの前で、こんな………こんな男と…………。
「きゃあああっ!!アンタたち何してんの!?」
あと少しで唇が重なる、そんな時に突然響き渡ったのは、この場に不釣り合いな甲高い悲鳴。気が付けば外は少しずつ明るくなり始めていて、もうすぐ朝を迎えようとしている。そんな明け方に、偶然にもここを通り掛かった一般人が、軍人に取り囲まれる黒馬様たちを見て悲鳴をあげたのだ。
「お………、お前………」
「霞様!?」
「ど、どういう状況よこれ!!!」
偶然が呼び込んだチャンス。その一般人の正体とは、まさかの霞様であった。突然の霞様の乱入によってその場の全員の意識が逸れたその隙を狙い、黒馬様は自分を撃った男に関節技を決めると、その手にあった銃を奪い取った。そして、
パァン、と容赦なく撃たれた破裂音は、私に強引に口付けをしようとしていた赤熊の前髪を掠めた。時が止まったように赤熊の動きが止まる。
「…………黒馬。貴様…………」
「しつこい男は嫌われるぜ、赤熊」
「アイツ………、狙って撃ったのか………。そういえば射撃が得意だったな、黒馬………」
やっと赤熊の意識が黒馬様に逸れて解放された私は、体の力が抜けるような感覚だった。まだ完全に状況がひっくり返った訳ではないが、漸く訪れたチャンス。
反撃の狼煙を上げるなら、今しかない。




