私を騙していたのですね
思えば、黒馬様がここに来ることすらも、赤熊様の計算だったのかもしれない。寺の裏の森の中に、こんな建物がある事なんて伝えたことなど無かったのに、彼はここへとやって来た。額に汗をかき、息を切らし、いつもは飄々としているその表情を、焦りと息苦しさで歪めながら。
黒馬様がここに辿り着いた時、私は1人だった。もうすぐ黒馬様が来ることを悟っていたのか、赤熊様はほんの少し前にここを立ち去っていたのだ。「2人でゆっくり話したいでしょう?僕はそういうところ、よく気が回るんです」と言いながら。私はそれを引き止める事すらせず、ただただ御堂の真ん中でポツンと佇んでいた。
「菖蒲………!無事だったか………」
「………黒馬様」
私の姿を一目見るなり、黒馬様は大きく息を吐いた。きっと私の身を案じて必死に探してくれたのだろう。聞けば、白鹿様や紫狐様、青兎様もみんなそれぞれ手分けして私を探してくれているらしい。心配をかけてしまった事、手を煩わせてしまった事を申し訳なく思いつつも、今の私はそれどころでは無かった。………彼らには、確認しなければならない事がある。
「どうして此処が分かったのですか」
「町で聞き込みしたら、赤熊が森の中に入っていくのを見たって奴がいたんだ」
黒馬様は黒馬様で、私を探し当てた経緯などどうでも良いとでもいうように、私の姿を上から下まで見渡した。どこにも怪我が無いかを確認したいようだ。赤熊に何かされなかったか、痛むところはないか、赤熊はどこにいった、と矢継ぎ早に質問を投げかけて来る黒馬様が、私の方へと一歩足を踏み出した。
「来ないで!」
咄嗟に私は、そんな黒馬様を拒絶した。ぴたり、と止まる黒馬様の足。そして私を、目を丸くしながら驚いたように見つめていた。折角助けに来てくれた人に対して、とんだ無礼であることは重々承知の上だ。それでも今の私は………。とても、黒馬様を信用し切ることはできなかった。例えそれが、赤熊様の策略であったとしても。
「………菖蒲、どうした。赤熊に何かされたのか」
「私に近寄らないで」
「分かった。これ以上は近寄らない。だが理由を教えてくれ。何で俺を拒む」
「…………私を………、騙していたんですね」
やっとの思いで紡いだ言葉は、想像以上に震えていた。そして気付く。私は、自分で自分の言葉に傷付き、悲しんでいる事を。信じていた。信じ始めていた、彼らに騙されていたという事実に、深く傷付いている。裏切られることなんて初めてではないのに、こんなにも悲しいだなんて。
私の中で黒馬様たちの存在は、それほどまでに大きく大切なものになっていたんだ。
「………ここが何の建物か、黒馬様は知っていますか」
「………いや」
「ここは、巫女が力を使う為に建てられた場所」
「…………!」
黒馬様の目が大きく見開かれたのを見て、私は確信した。やはり、赤熊様に伝えられた真実に嘘は無い。黒馬様のその表情が、「何故知っているんだ」と言いたげなその顔が、全てを物語っている。
「過去の巫女様たちは、子を産んだ後、ここに幽閉され、朝から晩まで国の未来を透視したのだそうです。ここに入れば最期。この小さな御堂から出る事は叶わない。国の為に力を使い続け、やがて最期は………ここで死ぬ」
「………赤熊に聞いたんだな」
否定しない黒馬様が、憎たらしかった。そんなの嘘だって、赤熊がついた出鱈目だって言ってくれたら、どれだけ幸せだっただろう。彼に当たったってどうしようもないことは分かっているのに、でもこのやり場の無い感情の吐き出し方が分からなくて、私は彼を鋭く睨み付ける。
「貴方たちは、私との世継ぎの儀式の相手となる任務の傍らで、もう1つの任を命じられていた。………そうですよね、黒馬様」
「……………」
「巫女が逃げ出さないように………。真実を知って、逃れようとしないように、貴方たちは私を監視する。それがもう1つの役目」
黒馬様は、否定も肯定もしなかった。けど、否定しないということは、それはつまり肯定しているという事だ。心のどこかで、まだもしかしたら、なんていうちっぽけな可能性を持っていた自分が惨めになる。彼らと共に過ごしてきて、私は確かに彼らに心を開き、信じようとしていた。黒馬様たちなら………、なんて、そんな風にすら思っていた。けど、それは私の一方通行な想いだったのだ。
「私を絆して、逃げ出さないようにしていたのですね」
「違う」
「この儀式が終われば、貴方たちには莫大な報酬が支払われることも聞きました。私たち巫女は、貴方たち軍にとって、ただの道具でしか無いんです」
「違う………」
「私を殺す為に、貴方たちは此処へ来たんです!」
「違う!」
近付かないって言ったくせに、黒馬様は怒った表情で一気に私との距離を詰めた。思わず後退りする私の背中が、冷たい壁に当たって逃げ場を失った。目の前には、強張った表情でこちらを見下ろす黒馬様。それでも私は何度も彼を、彼の言葉を拒み続けた。
「聞け、菖蒲、」
「嫌!何も聞きたくない!!今更何を言われたって、私の運命は変わらない!貴方たちの務めも変わらない!」
「菖蒲!」
「私は死んで、貴方たちは生き続ける。これからもずっと………、私たち巫女の屍の上で………」
聞く耳を持たない私の腕を掴む黒馬様の手も、震えていた。彼が今更何を私に伝えようとしているのか分からないが、何を言われた所で、この事実は変わらないのだ。私は、死ぬ。国がそれを望んでいるのだから、逃げ場なんて何処にもない。
「………全て、赤熊様が教えてくれました。貴方たちが頑なに私に真実を話したがらなかった理由も頷けます。言えませんよね、こんなこと」
「…………」
「………私………」
震える唇で、その先を紡ぐ。赤熊様がここを立ち去る時、言われた言葉だ。
「私、赤熊様と共に行きます」
「は………?」
「赤熊様は、共にどこか遠いところへ行こうと言ってくれたんです。私が死ななくて済むような世界へ、一緒に逃げようって」
「お前、何言ってんだ………」
「分かってます。そんなの夢物語だってこと。きっと現実は甘くない………。でも………、そんな言葉にすら…………」
縋りたいんです。
ずっと我慢していた雫が、ぽた、ぽた、と目から溢れ出る。黒馬様と話す間は泣くものかと決めていたのに、やはり我慢出来なかった。
死ぬのが、怖い。死にたくない。少しでもその望みを追う事ができるのなら、それに縋りたい。そうすればその間は、楽になれるから。
先程私は、黒馬様たちに騙していたのかと言ったが、黒馬様たちが本当に悪党だとは到底思っていなかった。軍からの命令としてここに来た事は事実だろうが、本心から私を監視し、日本の為に死んでくれなんて思ってはいないだろう。だからこそ、きっと私の気持ちを分かってくれるのではないか。私の望みを黙認し、行かせてくれるのではないかと、そう思っていた。
しかし、返ってきた言葉は。
「…………行かせねぇ」
「……………」
「他の奴らが許しても、俺は絶対に許さねぇ」
彼の瞳にも、何かの決意を固めた力強い光が宿っていた。私の手首を掴む黒馬様の手からは、強い力と温かい温もりが伝わってきたのだった。




