彼の本気と思惑
今日の町の様子は、昨日までのお祭り騒ぎとは打って変わって、静かだ。それはいつも以上に、異様な程に静まり返っている。それもその筈だ。あんな人目の付くところに、謎の惨殺遺体が無造作に捨てられていたのだから。人々はすっかり怖がって家の中に篭っている。現場には駆け付けた警察の連中と、騒ぎを聞き付けた俺たち4人、そして、菖蒲だ。
「………………」
「菖蒲様、あんまり見てはいけません」
普段なかなか肝が据わっている菖蒲も、流石にこの光景には言葉を失い、青ざめていた。察した青兎が、遺体を隠すように菖蒲の前に立ち塞がると、彼女の肩を優しく引き寄せながら、俺に目線を寄越した。
「俺は菖蒲様と一緒に戻るよ」
「ああ」
菖蒲をこの場に居させるのはあまり良くないと判断した青兎の気遣いだ。菖蒲はそれでも、脳裏に焼き付いたこの遺体が離れないらしく、震えた声でポツリと漏らす。
「この人………、覚えてる………。昨日お酌した人だ………」
昨晩。昼間の巫女神楽の奉納が終わった後、寺で神酒を飲み交わしていた男。菖蒲に対し、馴れ馴れしく声を掛けてセクハラ紛いの言葉を発しては、ゲラゲラと下品に笑っていた男だ。見ていた俺でも、強く印象に残っている。あの時はあれだけ酒で顔を真っ赤にして、楽しそうに笑っていた顔は、今や真っ白に冷たくなり、殺された時の苦痛でか表情は苦しげに歪んでいた。大きく見開かれたままの瞳は、今にもギョロリと此方を睨みそうな不気味さがある。
「こりゃあひでぇ………。見てくれよ」
遺体を調べていた警察が、ウッと声を詰まらせて俺たちを呼んだ。言われた部分に目を遣ると、言いづらいが股間の、男性なら誰もが持っているであろうその部分が抉り取られ、無くなっていたのだ。ただの殺人じゃない、俺はそう確信した。何か理由か、強い恨みがあっての犯行。
そして同時に俺の脳裏には、ある人物の姿が思い出されていた。
(………そんな筈はねぇ………、まさか、そんな筈は………)
赤熊。昨日菖蒲がお酌して回る姿を見て、激しく怒りの感情を露わにしていた、あの男だ。何故俺は、今この時に赤熊のことを思い出している。確かにアイツは昨日、酷く取り乱していた。それこそ俺が引いてしまうくらいには、様子がおかしかった。しかし、だからといって殺しなんてする筈がない。普通の人間なら、殺しなんて………。
「とりあえず遺体を運びましょう。ここでは人の目に付いてしまう」
警察によってその遺体は運ばれ、今後殺人事件として調査を進めていくとの事で、軍人である俺たちにも協力要請がきた。とはいえ、大部分は本業の警察が務めるだろう。あくまでも俺たちに出来る事は、何か不審なことや気になることがあれば伝える程度だ。
「何だか気持ち悪い事件だね。ちょっと前の畑荒らし事件が可愛く思えるよ」
「まさかこんな町でこんな物騒な事件が起こるとはな」
「………………………」
白鹿も紫狐も気持ち悪そうに眉を顰める。この不気味な事件が、後々俺たちや菖蒲の身に迫ることが無ければいいのだが、と思いながら、それを口に出すのはやめた。口に出したら言霊となって、現実になってしまいそうだったからだ。いや、そうやって無理矢理にでも現実逃避したかったのかもしれない。この事件は、きっとすぐに解決する。警察だって動くんだ。大丈夫だ、と。そう思い込みたかった。
「恐ろしい事件があったようですね」
帰ってきた菖蒲と青兎を呼び止める、1つの声。振り返れば、どこからか現れた笑顔の赤熊が、おはようございます、と呑気に挨拶をしてきた。恐ろしい事件、と口にはしているものの、その態度や様子は決して怖がったり警戒しているようには見えず、いつもの飄々とした態度のままである。
「菖蒲様、顔色が優れないようですが」
あの遺体を見てからすっかり意気消沈し、気分を悪くしてしまった菖蒲は、赤熊の問い掛けにすらろくに返事をせず、俯いたままであった。青兎としては、あの事件から意識を離れさせる為にここへ連れ帰ってきたというのに、無神経な赤熊が再び掘り返すものだから、眉間に皺を寄せてその背中に菖蒲を隠そうとした。しかし、それを許さなかったのは赤熊だ。凄い速さで菖蒲の腕を掴み、自分の前に引き摺り出した赤熊は、笑顔のまま菖蒲の顔を覗き込む。
「…………っ!?」
「菖蒲様。僕は菖蒲様に話しかけているんです。無視するなんて、傷付きますよ」
「な…………お前、何して………!」
あまりの速さと思いもしなかった展開に、青兎も咄嗟に反応することができなかった。流石に菖蒲も赤熊の様子が昨日初めて会った時とは違うこと、そして今彼が纏う異様な空気感を警戒して、一気に表情を引き締めた。流石は巫女様と言うべきか、ただのか弱い女性ではない肝が据わった人だ。
「………赤熊様。失礼しました。少し取り乱していて。おはようございます」
「……………うん。おはよう。いい朝だね」
菖蒲からの返事に満足した赤熊は、掴んでいた細い腕を離し、改めてニッコリと微笑んだ。青兎の中に募る、不信感。元々信用できない男だとは思っていたが、やはり気に食わない。
「菖蒲様。僕はね、貴女のことが本当に愛しいのです」
「何ですか急に」
「僕って、とても諦めが悪い男なのですよ。それに、今まで1度だって、欲しいと思ったものを逃した事はない。何でも自分のものに出来たんです。何故だか分かります?自分ものにする為ならば、時間と努力と金を惜しまないからですよ」
「そうですか。では」
「待ちたまえ」
歩き去ろうとする菖蒲と青兎を引き止め、フン、と鼻を鳴らしながら前髪を払う赤熊。きっと親が軍で出世しているから、何の苦労もなく脛を齧って生きてきたのだろうなぁ、ということは、この感じからして手に取るように分かる。菖蒲も青兎も、全く同じ表情で、まるで蔑むような、憐れむような目を彼に向けた。
「君たち、今僕のことを、きっと親が軍で出世しているから、何の苦労もなく脛を齧って生きてきたのだろうなぁ、と思ったのでは?」
「………………………」
「心外ですねぇ………。そりゃあ確かに、父は立派な人で、子供の頃は何の苦労も無く育てて頂きました。ですが、僕ももう良い大人です。いつまでも親に甘える訳にはいかないでしょう?」
「…………赤熊伍長。俺たちそろそろ」
また話が長くなりそうなのを察して、いよいよ青兎がそう遮った。菖蒲も気丈に振る舞っているとはいえ、きっと嫌なものを見た後だから気分が優れないだろう。早く中に入って休ませてあげたかったのだ。しかしそれは、赤熊の発言によってまたしても阻まれてしまうのだ。
「僕だって、もう1人で何だって出来ますよ。例えば、人を殺すこととか」
ピタリと動きが止まって、心臓が嫌にバクバクと脈を打ち始める。何故赤熊は、今この時にそんな意味深な発言をしたのか。菖蒲がゆっくりと、恐る恐る赤熊を見上げるが、やはり赤熊はニコニコと、爽やかな笑顔を浮かべているだけだった。
(どういうこと………。遠回しに、俺が殺したと言っているの………?)
掻き乱されるこの感情は、彼の思惑通りなのか。もしかして、という嫌な可能性を孕んだ彼は、一気に菖蒲の気を引くことに、ある意味成功したと言っても過言ではない。
「貴女の為なら、僕は何だって出来ますよ。僕の本気………、伝わりましたか?」




