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只者ではない男

「実に不愉快だな」


 開口1番にそう言った男の顔は、眉間に深く皺が刻まれ、その言葉通り『不愉快』と書いたような表情を浮かべていた。その男の隣に立つ黒馬は、男の視線の先を辿る。すっかり日が落ち星が瞬きだした月夜に、町の男たちに酒を配って歩く菖蒲の姿がある。男………赤熊はその姿を見てもう一度「不愉快だ」と念を押すように吐き捨てたのだった。


 昼間、初めて見た巫女神楽の奉納は圧巻だった。この町では1番と言っても過言ではない大きな行事で、菖蒲は見事にその仕事を全うしてみせた。今朝はこの赤熊の父親とひと悶着があったり、途中に赤熊の息子本人があらぬ発言で乱入してくるなど、ちょっとした問題事は起こったものの、それ以外に特にトラブルはなく平穏に終えることができたと思う。


 そして、今。巫女神楽の奉納が終わった後は、町で豊作と平穏を祈る祭りと称した、無礼講のどんちゃん騒ぎが始まっていた。寺へ続く1本の大通りには、とても夜とは思えないような眩しい光を放つ屋台が立ち並び、それこそ真昼間の商店街のような賑わいを保ち続けている。そして寺の敷地内では、普段働く稼ぎ頭の男たちが集まり、神酒を飲み交わしていた。そのお酌をして回っているのが、巫女である菖蒲だ。こんな事まで仕事としてやらされるとは、黒馬としても見ていてあまり気分のいいものではなかった。


「巫女様、どうだい、儀式の方は順調かい」

「い………、いえ………、まあ………」

「なんだよその歯切れの悪い返事は!何なら今晩俺が相手してやってもいいんだぜぇ!」

「ははは、そりゃあいい!お前の子供なら、随分と逞しい女の子ができそうだな!!」


 がはははは、と響き渡る笑い声と会話の内容は、とても神聖なる寺の敷地内でするような内容とは思えない程に下品である。そして菖蒲は、そんな会話を拒むことすらできず、ただひたすら苦笑を浮かべてぐっと堪えている。菖蒲にとってこの時間は、嫌で嫌で仕方ない地獄のような時間なのだろう。


「ああ、不愉快だ。不愉快」

「…………」


 隣に立つ赤熊は、何度目か分からない不愉快を連呼して、ギリギリと爪を噛んだ。その様子が正直あまりにも不気味で、黒馬は様子を探るようにちらりと横目で見る。黒馬たちが何と言おうとも、何が起ころうとも、ずっとその飄々とした態度を崩さなかった赤熊が、今はこれでもかという程に取り乱し、苛立っている。そんな彼の姿を見るのは、黒馬も初めてだった。


 ぎりぎりと噛まれた爪の先からは、血が滲んでいるようにも見える。その行為はまるで自傷行為だ。自分の中で抑えきれない怒りの感情を、爪を噛むという行動によって何とか鎮めているようにも見えた。


(何なんだ、コイツ………)


 それがまた、不気味だった。確かに菖蒲を取り巻く町の連中の会話内容は、下衆で不愉快で、とても苛々する。そこは同意する。しかし、そんなに取り乱す程なのだろうか。普通の人ならば、表情の下で上手く隠し通す感情を、コイツは隠しもせずに曝け出している。それこそ、黒馬が一歩引いたところで見てしまう程には。


「君もそうは思わないのか?黒馬」

「………っ」

「あの汚い男連中を………、殺したい、とは思わないのか?」

「………お前、何言ってんだ………」


 狂気に満ちた瞳が、今度は黒馬を捉える。まるでこのように怒り狂っていない黒馬の方が異常だとでも言うように。黒馬の額にじんわりと浮かんだ冷や汗は、きっと気のせいではない。………この男は狂っている。黒馬はそう確信した。


「おーい黒馬!」


 蛇に睨まれた蛙のように動けなくなった黒馬の意識を弾いたのは、緊張感漂うその場の空気を破る、白鹿の声だった。ハッとして振り返ると、両手に色んな料理を持った白鹿と、その後ろに続く紫狐、青兎の姿がある。そういえば彼らは、何か適当に晩御飯を買ってくると屋台の方へ行ったきりであった。やっとここへ帰ってきたのだ。


「………どうした」


 しかし白鹿たちの表情は、やっと飯にありつけるという明るい表情から一変、黒馬と赤熊を包む異様な空気感に気付いて引き締まった。紫狐が鋭く黒馬に問いかける。2人の間に何かあったということは、この3人も既に察しが付いているようだ。


「………僕は失礼するよ。食欲が無いんでね」


 しかし黒馬が何かを答える前に、赤熊は素っ気なくそう言い残して、その場を立ち去ってしまった。短い別れ際の言葉であったが、その言葉にも彼の苛立ちは十分に含まれていたらしい。昼間とは180度違うその雰囲気に、白鹿たちも違和感を感じずにはいられなかった。


「………喧嘩でもしたの」

「いや」


 白鹿にそう問いかけられたが、黒馬はただ短く否定の言葉を口にするだけであった。菖蒲に関わる男たちへのあの態度、様子。赤熊は何か危険な匂いがする。………ような気がする。黒馬にも、そうふんわりとしか言えないのだ。これは確信めいた何かがある訳ではなく、先程までの赤熊の様子を見て黒馬の直感がそう告げているのだけなのだから。


「菖蒲様は………、まだとても解放されそうには見えないね」


 青兎が、ちらりと菖蒲の方を見る。いまだに町の男たちにお酌をして回っている菖蒲は、まだまだしばらくはあそこから離れられなさそうだ。男たちの無骨な手は、気安く菖蒲の肩や腰に回り、触れている。普段は嫌い避けている癖に、酒に酔っていい気分になり女に飢えているのか、手短な菖蒲でそれを満たそうとしているのが透けて見える。赤熊の言葉を借りるとするならば、それがまた実に不愉快なのだ。


「ちっ………。1発ずつぶん殴ってやりたいよ」

「菖蒲の様子は俺が見張っておく。お前らは先に飯済ませてこい」


 黒馬がそう言うと、白鹿たちは町の男たちを軽蔑しながらも境内の方へと歩き去っていった。ここで黒馬たち全員が目を離したら、町の人たちによって菖蒲に危害が及ぶかもしれない。用心深いと思われるかもしれないが、ここは交代で食事をとって菖蒲からは目を離さないようにする他ない。


(ま………、俺も赤熊とは同じ気持ちだがな)


 赤熊のことを不気味と称したものの、菖蒲を取り巻くあの環境が腹立たしく、不愉快であることは黒馬も同意である。そして、ここで見張っているだけで実際に口出ししたり、間に入って庇ってやることもできない自分にも苛つく。それは和尚からきつく言いつけられているからだ。これが、この町の慣わしであり、これも含めて巫女神楽の奉納なのだと。菖蒲自身も既に何度も経験していて、納得しているのだから邪魔はするなと、そう言われているのだ。


(納得、ねえ………)


 必死に拒絶反応をかみ殺しているように見える菖蒲が、本当に納得してこれを受け入れているのか。黒馬には、とてもそうには見えなかった。しかし、だからと言って和尚のきつい言いつけを破り、あの場に割って入って菖蒲を連れ出す勇気も、今の黒馬には無かった。そんな自分自身にも苛立ちと不快感を感じていたのだ。


















 そして、黒馬の直感はまさに的中することとなる。巫女神楽の奉納を終えた次の日の朝。町の中心、人通りの激しい大通りの真ん中でこれ見よがしに晒された惨殺遺体が発見されたのだ。その遺体の身元は、前日の夜菖蒲に「俺が儀式の相手になってやろうか」と声を掛けていた、あの男であった。

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