初めまして、赤熊大佐
「これはこれは、巫女様。どうもおはようございます」
胡散臭い笑顔を顔に貼り付けて、私に頭を垂れるその大男こそ、赤熊大佐と名乗る人物だった。彼の胸元には、黒馬様たちとは比べ物にならない数の勲章が、ジャラジャラと動く度に音を立てて主張してくる。軍の階級制度はあまり詳しく無いが、その出立ちだけでも、相当偉いのだろうということは簡単に想像できた。あの黒馬様たちも、まるで下っ端のように赤熊様の後ろに並び、その背筋をピンと伸ばして無言で立っている。
「赤熊様。初めまして、菖蒲と申します。本日は遥々こんな田舎まで御足労頂き、有難うございます」
「いえいえそんな。畏まらないで下さい、巫女様。我々は唯のしがない軍人ですから」
はっはっは、と大きな体を揺らす大男だったが、その言葉が社交辞令であることは私にも分かる。そこにいるだけで感じるこの威圧感は、赤熊様が只ならぬ人物であることを物語っていた。例えていうなら、そう、自分に害を為す者であれば平気で殺せる様な………、そんな怖さすら感じる人だった。
「黒馬たちはどうですか。普段、巫女様に失礼を働いていませんか」
「いえ。皆さんとても良くしてくれています。何度も助けて頂いた事だってあります」
「そうですか。仲良くやっているようなら大変結構です。私も安心しましたよ」
そしてその笑顔のまま、赤熊様はこう付け足した。
「その様子ならば、儀式の方は何も問題ないですね?」
それは、確認というよりも、念押しのような、「必ず成功させろよ」という威圧の様な、そんな感じがした。思わず黙り込んで、赤熊様の目を見上げる。彼は、1秒たりとも私から目を逸らさぬまま、無言で何かを訴えかけてくるように私を見下ろしていた。その視線に居た堪れなくなって、パッと視線を逸らす。「は、はい………」と絞り出した返事は、何とも情け無く震えていた。
「赤熊大佐」
その様子を見兼ねたのか、ずっと黙っていた黒馬様が間に割り込んできて、まるで私を庇う様に立ち塞がった。ピクリと動く、赤熊大佐の眉。階級が上の者に何か楯突くことがどういう事か、軍人ではない私にだって分かる。黒馬様はそれでも尚、自分の上官である存在に、何かを言おうとしてくれていた。
「儀式に関しては、俺たちが責任を持って努めます。俺たちに任せてくれませんか」
「………口を挟むなと、そう言いたいのか?黒馬」
当然、余計な事を言うなと言わんばかりの黒馬様が面白く無い赤熊様は、その表情からみるみる作り笑顔が消えていった。私に注がれていた視線は黒馬様と、更に白鹿様、紫狐様、青兎様にも順に注がれる。私はただその光景をハラハラと見守ることしかできない。
「口を挟まれたくなければ、さっさと儀式を終わらせることだ、黒馬。いつまでここでのんびり田舎暮らしを満喫するつもりだ?軍には1人でも人手が欲しいというのに」
「それは…………」
「そうは思わんか、青兎」
黒馬様から急に変わって青兎様に話を振った赤熊様。呼ばれた青兎様は、一瞬目を丸くして驚いた様な表情を浮かべたが、すぐさまいつもの微笑みを携えた。緊迫したこの場に不釣り合いな物腰柔らかい声音が、鼓膜を撫でる。
「……………、仰る通りです、赤熊大佐」
「フン………、黒馬。お前も青兎の聞き分けの良さを少しは見習ったらどうだ」
黒馬様は何も答えない。ただ黙って、まるで睨む様に赤熊様を見つめている。まさに一触即発といったところか。私が不甲斐無いばかりに、黒馬様たちが責められている。そう感じざるを得ない。だって黒馬様たちは、優しいから………。だから、きっと私をなかなか抱けずにいるのだ。私が本当は儀式に対して複雑な想いを抱えていることを、知っているから。
「あ、赤熊様。お待ち下さい。状況が思わしくないのは、私の責任でもあるのです」
いよいよ私もこの空気感に耐えられなくなり、思わず黒馬様の前に出る。赤熊様は先程までの外面を見せる事は一切無く、黒馬様を見つめるその目と同じ瞳で、私を見下ろした。完全に標的が黒馬様から私へと移った瞬間だった。
「それは困りますね、巫女様。まさか自分の役目をお忘れではないでしょう」
「忘れた事などありません。………巫女として産まれてから1度も」
忘れられたらどんなに幸せか。忘れたいと何度願ったことか。自分の役目、運命など、誰よりも私が分かっている。………筈だった。ふと、記憶を掠める、痣の謎。儀式の裏側に隠された何か。ここに来て逆に私は、このまま何も知らないままで儀式を進めてもいいとは思えなかった。それは、自分自身の為だけではなく、今まで同じ運命を辿っていった歴代の巫女様たち。自分の母親。そしてこれからも繰り返されるであろう、未来の巫女たちの為にも、知る必要があるのではないかと思い始めていた。
「赤熊様。僭越ですが」
「何でしょう」
「この儀式の本当の目的は、一体何なのですか?」
「………何を仰いますか巫女様。そんなもの、巫女様本人が1番よくご存知でしょう。巫女の後継者を………」
「そんなものは、表向きの理由です」
赤熊様が全てを言い終わる前に、私は失礼を承知で言葉を被せた。ピクリと釣り上がる太い眉は、正に赤熊大佐の苛立ちを顕著に現している。それでも私は、ちゃんと主張すべきだと、背筋を伸ばしていた。
「こんな田舎町に態々軍人を寄越し、儀式はどうだとお偉い方が定期的に様子を探る。どう見たって、ただの後継者作りには思えません」
「………………」
「私たち巫女には、知る権利がある筈です」
その瞬間。赤熊様の無骨な手が、私の胸倉を思い切り掴んだ。咄嗟の出来事に私も習った護身術で身を守ろうとしたが、やはり相手は軍人だった。叶わぬ力強さで簡単に捩じ伏せられ、壁に背中を叩き付けられた。背中から伝わる衝撃に、思わず苦しげな吐息が漏れる。突然のこの状況には、私だけでなく、見ていた黒馬様や白鹿様、紫狐様、青兎様を目を見開き動揺していた。
「貴女は確か、武術を心得ているそうですね。報告は受けていますよ」
「…………っ!」
「ですが………、ほら。軍人には敵わないでしょう」
言われた通り、胸倉を掴む手を握り返しても、その力はビクともしなかった。町中にいるようなゴロツキとは訳が違う。それもそうだ。彼ら軍人は、言ってしまえばそれが仕事。毎日鍛錬を積み、己を鍛える事が仕事なのだ。
「余計な事は考えず、貴女はただ儀式を遂行する事だけを考えていればいい。それが貴女の仕事なのですから」
「………っ、どうして………、どうしてみんな頑なに本当のことを教えてくれないの………!」
「必要ないからです」
態と力の差を見せて、淡々と語る赤熊大佐の言葉は、脅しと牽制でもあった。私がこれ以上何かを知ろうとしないように。お前はもう逃げられないのだとでも言うかの如く。
「儀式の進捗が思わしくないのは、もしかして貴女が、彼らの甘さに付け込んで、彼らとの同衾を拒んでいるからですか」
「は………?」
「我々軍が粗い手段に出ようと思えば、いつでも出られるのですよ。この様に」
赤熊様の手で、バッと開かれた胸元。例の痣も勿論、谷間も露わになって、儀式の為に整えた身なりが一瞬で乱れる。恥ずかしさと恐怖で、こんな事をされているというのに逆に体は氷のように固まり、顔から血の気が引いていくのを感じた。抵抗しなきゃと思っても、上手く力が入らない。
「や、やめ………っ!」
「人選を間違えたか。多少強引にでも儀式を…………」
そこまで言った赤熊大佐の言葉が止まったのは、その大きな肩を力強く掴む別の手があったからだった。赤熊様がゆっくりと振り返った先には、彼よりも一回り小柄な、同じ軍人………、紫狐様が怒りで目を光らせていて。
「やめろ」
「……………紫狐。どういうつもりだ。この汚い手を離せ」
「こっちの台詞だ。その手を離せ」
嗚呼、やはり、何かが起きると思っていた此度の巫女神楽の奉納は、その本番が始まる前に、何かが起きようとしていた。




