本当に信じていいのでしょうか
町を歩いていると、ただそれだけで恨みを買うという、信じられないような事が、実際にある。
商店街を歩いていると、どこからか突然掛けられた水。その光景が目に入ってきた時には既に遅く、もう掛かるしか無いと固く目を瞑る。けど、その冷たさは一向に襲って来ない。あれ?とゆっくり目を開くと、
「黒馬様…………」
私を庇って水を被った黒馬様がいて、慌てて手拭いを取り出すのだ。彼は申し訳なさそうな私を見て笑う。「ちょうど暑くて水を被りたかった気分だった」んだと。そんな訳ないのに。そんな筈ないのに。私を守ろうと、バレバレな嘘を吐く。
またある時は、商店街で買い物をしているだけで、ヒソヒソと陰口を叩かれた。酷い時は、巫女に物を売ったら店が呪われると言って、売ってくれない時すらある。でも私には、それが日常であった。
「確かに。人を選ぶ様な店の商品なんて、呪われて当然だね。買わずに済んで良かったよ」
けど、隣にいる白鹿様は、そんな私の固く蓋をした心の奥に眠る感情、鬱憤を、代わりに清々しく吐き捨てた。そんな白鹿様の姿を見ていると、私の枯れた地獄の様な日常は、少しずつ変わり始めているのかもしれないと。殻を破ってもいいのかもしれないと、そう思える様になっていた。
子供ですら、その純粋な悪意と言うのか。まだ善悪がはっきり自分で判断できない年齢だからこそ、直球な嫌がらせをしてくる事がある。でも相手は子供。何も出来ず、言えずに立ち竦む私に石を投げる子供を、
「クソガキゴルァ!!待ちやがれ!!!」
私の代わりに怒り、追いかけ回し、説教をする紫狐様がいる。私の為に行動してくれる人がいる事を目の当たりにすると、冷え切っていた心は少しずつ熱を思い出し始めていた。「お前もボーッと突っ立ってんじゃねぇよ」と悪態を吐きながら、私の頭に乗った土の様な、砂利の様な物を手で払う紫狐様を、少し前までの孤独だった私が見たら驚いてひっくり返っていたかもしれない。
「重たい物を持つ時は、俺たちを使ってよ菖蒲様」
仕事の依頼と言って、誰もやりたく無いような汚い仕事や力仕事を、嫌がらせの様に、私にタダ働き同然で押し付けてくる町の人。でも町に尽くすのが巫女の役目。断れずに1人でやり切ろうとすると、必ず青兎様が来てくれる。いつだって優しい笑顔で、どんなに嫌な仕事でも、私に他愛無い話を聞かせながら雰囲気を和ませてくれる。
ーーー彼らが来てから、数日。数週間。ひと月。変わったのは、私の生活、周りの環境だけではない。私の心も、大きな変化を見せようとしていた。それを感じていたのは、私だけでは無い。
「菖蒲様、最近少しだけど笑う様になったよね」
「………そうだな」
黒馬様たちの間でも、私に少しずつ変化が訪れていることに、気付いていた。それを良い兆候だとも思ってくれていた。
ーーーしかし。
「和尚様!!」
スパン、と勢いよく開かれた戸に、驚き目を丸くする和尚様。珍しく声を荒げながら姿を現した私に、和尚様は読んでいた本を置いてこちらを見つめた。一体何事だと言わんばかりの和尚様が、その疑問を口にするよりも早く、私が矢継ぎ早に問い詰める。
「黒馬様たちは、一体何者なのです」
「菖蒲、急に何を………」
「この痣は、一体何なのですか!」
和尚様の前で見せる、胸元の痣。どこか彼岸花のような、何かの花を象った、痣のような紋章のようなもの。決して消えることなく刻まれているそれを和尚様に見せて、私は必死に問いかけた。この痣の意味。そして、黒馬様たちが私の目の前に現れた意味を。
「………あの軍人たちが………、その痣について何か言ったのか」
そして私のその問いかけに、みるみる焦ったように顔を青くする和尚様を見て、私は確信する。やはりこの痣は、ただの巫女の紋なのではなく、何か特別な意味があるものなのだと。そして、黒馬様たちがここへやってきたのも、何か理由があるのだと。
霞様が働くあのカフェで、黒馬様たちとひと悶着あったあの日。共に帰路に着く私と黒馬様たちの間には、1つも会話は無かった。シンと静まり返ったまま、張り詰めた空気の夜を歩く、5つの人影。私の気持ちは複雑で、やっとの思いで開きかけていた心の蓋は、再び固く閉ざされようとすらしていた。
………信じて、いいのだろうか。黒馬様たちを。
私の中に浮かび上がる、そんな疑問。何かを知っているのに答えてくれない彼ら。裏に何か大きなものを隠されている気がする、この世継ぎの儀式。私には何が真実で、何が偽りなのか。到底分からない。だって、私は何も知らないから。そして私本人が知らないことを、何故か周りだけが知っている。この不快感は、きっと誰しも共感してもらえるものなのではないだろうか。
「皆さん、今日はお騒がせしました。ゆっくり寝てください」
「菖蒲、お前」
「おやすみなさい」
家に着いた後、私は黒馬様が何かを言う前にそっと自分の部屋へと引きこもった。今は彼らに何を言われても、嫌な感情が浮かんできてしまうような気がして、それが嫌だったからだ。残された彼ら4人が顔を見合わせる中、私は一睡もできない夜を過ごした。何度も何度も、手鏡で自分の痣を映し眺めた。歴代の巫女、全員が同じもの、同じ場所に背負ってきたこの痣。きっと私の母の胸元にも、同じものがあった筈だ。
(お母さん………)
顔も知らぬ、母親を想いながら。私はそっと痣に手を置いて目を閉じた。
お母さん、教えてください。私の運命に隠された真実とは、一体何なのですか。
そして、今。翌朝になってすぐ、私は和尚様の元を訪れたのだった。全てを知りたくて、いや、本当はそんな裏の意味だとか、痣の意味なんて何もないということを、確認したかっただけなのかもしれない。けれど、和尚様の反応を見て悟る。嗚呼、やはり私は何も知らないのだと。そしてその瞬間、体が強張り、心が闇に覆われていくのを感じる。
「彼らはどれだけ問いただしても、結局教えてはくれませんでした」
「………そうか。ならお前も忘れなさい。お前が考えているようなことは何もないのだから」
「ならば、全てを教えてください!何もないのなら、躊躇なく言えるでしょう!」
怒りと悲しみが混ざったような私の声音に、和尚様は居心地が悪そうに眼を逸らす。どうして………、私自身のことを私は知ることができず、私以外の人間だけが知っているのか。それが怖くて、悲しくて、頭に来て、どうしようもないのだ。
「………無駄だ、菖蒲」
「…………!」
「私から伝えることは出来ないのだ」
「どうして………!!私は………、ただ自分のことが知りたいだけなのに………!」
「分かってくれ、菖蒲………」
悲痛な声を絞り出した和尚様の肩が、小さく震えていることに今気が付いた。ハッとして息を止める。その姿は、まるで何かに怯えているような、そんな風にも映る。
「………言ったら、殺される………」
私の体は鉛のように重く、足は床に縫い付けられたように、ただそこに立ち尽くしていた。私が考える以上に、何か大きな力や思惑が裏で働いていることを実感したからだ。そして同時に、脱力感も感じていた。そんな大きな何かが裏で動いているというのなら、私はきっと自分の運命から逃れられない。一生呪われた巫女として制限されながら生き、普通の人ならば自分で選択、決断できるようなことも、巫女の仕来りに従って、人形のように生きるしかないのだ。
もしかしたら、私の運命が少しずつ変わるかもしれない。そう淡い希望を持った矢先に突き付けられた、真実の影。希望を見出していたからこそ、それは私の心に更に大きな傷をつける。
週末には、月に1回の恒例行事、巫女神楽の奉納が、迫っていた。




