第四話
優希視点。
「思いもよらない出会いがあるものだね?」
くるりと振り返って岳人に告げる。真剣な顔で頷く彼が少しだけおかしかった。
吉田堂を出て、今度は中学の通学路を歩き、昔からあるスーパーでお昼を買って、用水路の脇にあるベンチに並んで座ってお昼ご飯を食べた。それからカラオケに行って一時間ほど歌って、さびれた商店街を見て回った。そこでも、予想外の出会いがあった。まさか小学校の時の同級生が後を継いで店を開いているとは思わなかった。同い年で一城の主だなんてすごい。何より、小学生時代にはあれだけとがっていた彼が驚くほど丸くなっていることに驚いた。
粗野で横暴な同級生は頭を丸め、小さな雑貨店の店主に収まっていた。頭を丸めたというのは、文字通り坊主頭になっていたということだ。あれ、昔からあんな髪型だったっけ。
「ねぇ、神谷くんって昔から坊主頭だった?」
「え、どうだったっけ……?」
眉間に深いしわを寄せながら岳人が必死で記憶をたどる。でも、私は知っている。岳人は、興味のないことは全く覚えていない。あまり友人の輪が広くなくて、親しい人が数人いればいいというタイプだった。私も、どちらかといえばそういうタイプだと思っていたんだけれどね。
「だめだ。思い出せない」
「だと思った」
「え?どういうこと?僕がすごく忘れっぽいってこと?」
「んーん、そういことじゃなくてさ。……岳人って、懐に入れた人はすごく大事にするでしょ。その代わりに、大切な人以外はおろそかになるの。無関心で、たとえ陰口をたたかれたところでまったく気にしない」
「……そう?」
そうだよ。そんなところが、心配だったんだ。昔の神谷くんに色々と言われていても、岳人はなんてことないように聞き流していた。多分、耳にも入っていなかった。でも、それを見聞きしている周りは岳人みたいに平静でいられるわけじゃないんだよ。正直、つかみかかっていきそうだったんだ。
それでも止まれなくて岳人の代わりに怒ったことは一度や二度じゃない。
ねぇ、岳人。私がいなくて大丈夫?私がいなくても、理不尽にはきちんと怒れる?興味がない相手だからって、言われっぱなしになって、周りにいる大切な人たちを人知れず不快にさせずにいられる?
「そう、か。そういえば神谷はそういう人だったか」
あ、これは神谷くんのこと自体をほとんど覚えていなかった感じだね。ご愁傷様、神谷くん。
心の中で祈りながら、私はよぎる一抹の不安に歩みを遅くする。
もしも、だ。もしも、岳人の中で私が興味のない相手になったとしたら。多分岳人は、私のことをあっさりと忘れるんじゃないかと思う。そう危惧できるし、実際にそうなる予感がしてならない。
それは、岳人の中から私との日常の記憶が消え去るということを意味している。この楽しい日々が、私の中にしか残らないということだ。
それは、すごく寂しい。そんな風にはしたくない。だから、岳人との関係をはっきりさせておきたいんだ。岳人の中に、私という存在を確かに確立しておきたいんだ。
横顔を見上げる。こうして歩くペースを遅くしたら、岳人は無言のうちにペースを合わせてくれる。多分、無意識だ。そして、岳人はほかの人相手にはこうしてペースを合わせたい利しない。
つまり、私は岳人の特別だった。特別と、そう思っていいんだろうか。うぬぼれていいんだろうか。
「ねぇ、岳人」
「……何?」
「ううん、何でもない」
こうして名前を呼ぶのはあと何回あるのかな、なんて、そんな別れを告げるようなことを言えるはずがない。
よく物語で幼馴染という関係は脆いだとか、幼馴染キャラはラブコメで敗れる運命にある。それはきっと、こうして互いを大切だと思いながら、恋人関係になることを想像できないからじゃないだろうか。
隣に岳人がいる――それは想像できる。岳人がいなくなる、それを思うと寂しくて仕方がない。
それだけでいいんだろうか。それだけで、関係を恋人に変えてしまっていいんだろうか。
私たちの関係はあいまいだ。幼馴染、腐れ縁、そんな言葉でしか表せない。私たちの関係を友人だとか親友だとか呼ぶのは、少し違う気がするのだ。だって、ほかの親友や友人と、岳人は比較できないから。
岳人の中でも、私はそういう存在なのだろうか。幼馴染というあいまいな言葉でしか語れない関係なのだろうか。
ああ、語彙力が足りない。言葉が足りない。世界中のどんな言葉をかき集めたって、私と岳人の関係を正しく表現できる単語は見つからない。
ふと、足を止める。その店が目に付いたのは多分、その看板のロゴに見覚えがあったから。これまで入ったことのない花屋。レンガ調の壁がすごく素敵なお店に、私の目は吸い寄せられて離れなかった。
岳人の顔を見上げる。頭一つほど上、見上げる岳人の後ろには、かなり空の低いところで輝く太陽の姿があった。もうずいぶんと歩き回っていたらしい。そういえばお腹がすいた。
「……ここが最後かな?」
「うん、最後だね」
これまで、私たちは私たちの軌跡を追ってきた。ここらで新しい店を開拓するのもいいかもしれない。
店の中はほのかな甘い匂いで満ちていた。岳人が少しだけ表情をゆがめる。そういえば、岳人はこういう甘い匂いが苦手だった。でも、これくらいなら耐えられるみたい。
咲き誇る花々を二人で見て回る。ふと足を止めた岳人が私に向かって笑いかける。
「それぞれ気に入った花を買って交換しないか?」
岳人ってそんなロマンチストだっただろうか。なんか無理してない?
「面白そうだね。でも勝負にはならないよね?」
「まったく、少年漫画じゃあるまいし、すべてを勝負ごとにつなげる必要もないよ。ただ、これと思った品を送る。それでどう?」
そういうことになった。
私は、岳人と離れて店内を見て回る。購入すると口にしたからか、女性店員さんはにこにことしながら私たちを見ていた。なんだか視線が生温かい気がするのは、きっと気のせいなはず。
並ぶ花々を見て回る。赤、青、黄、白。色とりどりの花とポップは見ているだけで楽しい。中には明らかに花じゃないものもあって、レモンとかサクランボとか、果樹もあった。ところで、このお値打ち品のところに並んでいるチェッカーベリーっていうど派手な色合いをしたサクランボは食用なんだろうか。説明がない。
ふと、そのど派手サクランボの影にひっそりと存在する鉢に目が留まった。すでに花が枯れてしまった廉価品。哀愁を漂わせるそれから目を離すことができなかった。
土に刺さっている説明を見る。雪割草。厳しい寒さを耐え忍んで花を咲かせる、春を告げる花。なるほど、今はもう春先じゃない。
説明によると、青い花が咲くらしい。もう一度、青い葉を茂らせる鉢を見る。青なんてない。
けれど、これだという気がした。花も枯れて捨てられるのを待つこの雪割草に、私は自分を重ねていた。
時間の流れの中で、ひっそりと岳人の中から消えていく私。本当に消えてしまうかはわからない。その先に咲き誇る未来があったとしても、すれ違いに終わるかもしれない。そうして二人別々に歩く未来があるかもしれない。
少し目を向ければ、一緒に歩く未来を見ることができるかもしれない。今という時を、あるいは大学生という時間を耐え忍んで、一緒に過ごす未来があるかもしれない。
ああ、岳人に対して思った以上に、私の方がロマンチストだった。
私とこの花には、さしたる関係はない。私が勝手に自分の境遇を無理やりに重ねているだけ。でも、それでいいじゃないか。今日という日が、この贈り物がのちに黒歴史になってもいい。むしろあの時あんな恥ずかしいことがあったねと、そう笑いあえる日常を私は求めているんだから。
「決まった?」
「うん。岳人も決まったの?」
「それはもちろん」
そう言うけれど、岳人の手には何も握られていない。まだ買ったわけではないのだろうか。だったら、ちょうどいいかもしれない。
「……ねぇ、買った花を持って、もう一度あの公園に集まらない?」
「いいよ。つまりそれまで秘密ってことだね」
楽しそうに笑う岳人の笑顔がまぶしい。もう、目がつぶれたらどうしてくれるんだ。岳人って意外と顔もいいから、岳人を見慣れると同級生の男子がジャガイモに見えてしまうからいけない。
「じゃあ、私が先に買ってもいい?あのあたりで目を耳をふさいで待ってて」
「ずいぶん本気だね。やっぱり勝負なの?」
「勝負にならないって言ったのは岳人の方でしょ?」
それもそうだと言いながら、岳人は私に言われるまま、花が咲き乱れる奥まった場所に移動して、耳をふさいで壁とにらみ合う。すごく変な人だった。
そんな岳人の背中に笑いを漏らしながら、私は鉢植えを手にしてレジに向かう。
私の訪れをにこにこしながら待っていた店員さんは、けれど私の手の中を見て目が点になった。
「え……本当に、これを購入されるのですか?」
「はい。だめ、でしたか?」
「いえ、ただ、処分し忘れていたものといいますか……」
なるほど、処分し忘れ。道理で花が完全に枯れていても置いてあって、なおかつ葉っぱがしおれているわけだ。つまり私は、この鉢植えから意識をそらして見せた季節外れのチェッカーベリーに祝福をすればいいということだろうか。冬に実がなるど派手サクランボに?
「はい、これがいいです」
私がてこでも動かないと察したのか、店員さんは困ったように笑いながら、代わりにさらに値引きしてくれた。底値というか、もう完全に仕入れ値より低いんじゃないだろうか。でもまあ儲けものだと思っておこう。
女性店員さんの視線が少しばかり冷たいのは、プレゼント交換で安い鉢植えを選んだからではないはずだ。きっと……。
岳人に声を掛け、彼に見られる前に鉢植えを手にして公園へと向かった。一人で歩く道は、ひどく広く見えた。先ほども通ったはずのそこは、夜が近いからか驚くほどの冷たさをもって私を迎え入れていた。視界の際で輝く赤い太陽がまぶしい。
再びブランコに座って少しだけ漕ぐ。軋む金属音が、少しだけ私を落ち着かせてくれた。何となくスマホを手に取って検索する。
「雪割草、っと……ええと、花言葉は……なるほど」
岳人に告げるべき言葉は決まった。ついでにチェッカーベリーの方も調べておこう。ええと、生食には適さず、果実酒として楽しむのがおすすめ。確かにあの鮮やかな赤やピンクがお酒に入っていたらすごくテンションが上がりそう。
ビニール袋に入った鉢植えを手に、岳人を待つ。公園に備え付けられた時計が五分を刻んだあたりで岳人が公園にやってきた。
朝と同じだ。楽しかった今日ももう終わりだ。
少しずつ、空が闇に染まっていく。
岳人が、私のところへと歩いてくる。ラッピングされた花がすでに見えてしまっている。白い――なんだろう?
「お待たせ、待った?」
「待ったよ。それはもう、待ち遠しくて仕方なかったよ」
「そっか。それはよかった。……さて、交換しようか」
なんのロマンスもなく、私たちは手に持っていた花を交換する。爽やかで、少しだけ独特な香りがした。
白い、大きな花。ちょっと椿とかに似ているかもしれない。
「これ、何ていう花なの?」
「アネモネだよ」
「へぇ、これがアネモネなんだ」
名前は聞いたことがあるけれど、実際に意識してみたことはなかった。そもそも、私の中でアネモネっていう言葉が、赤とかピンクとか、派手なイメージだった。
「ほかの色と迷ったんだけどね。決め手は……当ててみて」
ふむ。そういうということは、私にもわかるということだろうか。花言葉とかではないと。白、白……ああ、安直な。
「私の服の色でしょ」
「正解!」
「もうちょっと他の選び方はなかったの?」
「別に白だから白って決めたわけじゃないよ。ただ、今日の服装の優希が、真っ白い大輪の花をもって香りを楽しんでいるところはきっとすごく絵になるだろうって思ってさ。それに、優希のイメージって華やかな赤とか青より、太陽みたいな温かさと力強さと、どこか芯を感じさせるもので、優希には白がぴったりだと思ったんだよ」
そういわれてしまっては何も言えない。そこで私の質問タイムが終わったみたいで、岳人は続いて自分の手の中にある鉢植を見て首をかしげる。それも仕方がない。花の交換だと思っていたのに、そこには花の一輪さえ咲いていないのだから。
「ええと、……これって花、だよね?」
「うん」
「じゃあ何ていう花なの?」
「秘密」
唇に指をあてて笑う。教えない。教えたらせっかく花の名前が分かるものをすべて取り除いてもらった意味がない。
「え……じゃあどんな色の花が咲くの?」
「それも秘密」
沈黙が満ちる。岳人の半目が痛い。でも仕方がない。花に関する質問にはこう答えるって決めていたから。だってすごく恥ずかしい花言葉が見えたんだから。花言葉って乙女チックなイメージがあったけれど、本当にそうなんだってすごく実感している。まあ、どの花言葉を選ぶかでメッセージ性もかなり変わってくると思うけれど。
それに、秘密であった方がいい気がするのだ。それが、私と岳人をつなぐか細くも強い糸になってくれるんじゃないかって、そんな気がする。
「……そっか、秘密か。それじゃあ、花が咲くまで大切に育てないとね。ちなみに、花はいつ咲くの?」
これは、話すべきだろうか。話してもいいかもしれない。
「春だよ。春」
正確に言うなら初春、あるいは晩冬といえるかもしれない。
雪の下でじっと耐え忍び、春を告げる青い花。名前からしても私が送るのにぴったりな花だと思う。
「春、か。もう、これは咲き終わっているんだよね」
「そうだね。だって今はもう夏前じゃない?」
かみしめるように、春と告げる。その言葉にこもる重さを感じながら、私は岳人から視線をそらした。すでに西に太陽はなく、けれどその残光が世界を照らしていた。
薄暮の中、私と岳人は並んで公園の先に広がる薄闇の世界を見つめていた。
「来年が楽しみだね」
「そう、だね」
ちらりと岳人の顔を盗み見る。雪割草の入ったビニール袋を抱える岳人は、不安なんて無いように、ただまっすぐ先を見据えていた。
ああ、岳人はいつだって強くて格好いい。私とは違う。
つまるところ、私には自信がないのだ。今の関係を変えて、進んでいける自信がない。
ねぇ、岳人、あなたは今、何を考えているの?何を思って、太陽の消えた空を、薄暗い街を見ているの?
「ねぇ、優希」
「どうしたの、岳人」
「……何でもない」
「そっか」
「そうだよ」
言いたいことがあった。言うべきことがあった。けれどそれは形になることなく、言葉にならない思いとしてあふれた。
目じりからこぼれた一筋の涙を、岳人に気付かれないようにそっとぬぐった。