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第三話

岳人視点。

 あっという間に土曜日がやってきた。すなわち、デートの日。

 朝の9時に近くの公園に集合。何となく早くに準備が済んでしまって、僕はまだ三十分以上前に家を出て、早めに公園に向かうことにした。

 土曜日の朝だというのに、行きかう人影の中には学生服に身を包んだ者もいる。部活動か、補講だろうか。土日まで学校に行かないといけないとはご苦労様なことだ。

 僕は部活に入っていないから土曜日に出かける用事はない。けれど今後は変わってくる。家から近いからと選んだ今の高校はそれなりの進学校だ。そのせいか、受験勉強に余念がない。一学期後半から夏休みにかけて、土曜日に補講が入る。なんでもPTA会費から教師にお金を支払って、土曜日にも授業をしてもらっているのだという。

 つまり、ひょっとするとこれがゆとりのある土曜日の終わりかもしれない。すでに友人の一部は完全に受験モードに入っている。切り替えないととそう思ってはいるけれど、何となく勉強に手がつかなかった。

 それは多分、その勉強がもたらすものが、優希との別れだからだろう。さすがに高校の先ともなれば、惰性で進路を選ぶわけにはいかない。僕と優希は、それぞれが求めるみたいのために進んでいく。二人とも進学だけれど、志望校は多分違う。

 じりじりと照り付ける梅雨の合間に顔をのぞかせた太陽をにらむ。いい天気なのはうれしいけれど、夏日に感じるほどの気温はいただけない。

「……はぁ」

 汗をぬぐって視線を戻す。もう公園は目と鼻の先だった。小学生時代、優希とよく学校帰りに遊んでいた公園だった。保育園のころから何となく馬が合って遊ぶようになってから、僕たちは小学生でも二人一緒に遊んでいた。

 男女二人で遊ぶとかおかしいと友人に言われても、仲がいいねと含みのある声で母さんに言われても、気になることはなかった。

 優希の隣にいることが、その時にはすでに当たり前になっていた。だから、思春期に距離ができることもなく、僕と優希は一緒だった。

 それが、駄目だったのかもしれない。僕たちは、互いが隣にいない生活を想像できない。だってこれまでは、当たり前のように優希が隣にいたのだ。それが、自然で、必然だった。

 そんな関係が変わる。変わらざるを得ない。さすがに大学選び、学部選びに妥協するつもりはない。優希と一緒に居たいから、そんな理由で同じ進路を選ぶつもりはない。

 僕には僕の人生があって、優希には優希の人生がある。

 ふと、気になった。この外出に、わざわざ「デート」という表現をして見せたのに、何か意図はあったのだろうかと。

 ――優希は、僕のことが好きなのだろうか。

 好き、好きか。正直、よくわからない。優希の感情も、ましてや自分の感情もさっぱりだ。

 独占欲がないとは言わない。ずっと優希と一緒に居られたらすごく楽しいだろうなと思うし、正直なところ優希のいない人生は考えられない。

 けれどそれは、恋とか愛とかとは少し違う気がするのだ。

 優希も、同じように思っているのだろうか。そしてこの幼馴染としてのあいまいな関係に、決着をつけようとしているのだろうか。

 答えは出ない。真意はわからない。思考が正解の糸を手繰り寄せるよりも早く、僕の足は公園の敷地に踏み入っていた。

 キィキィと軋みながらブランコが揺れる。色褪せた台に座って、優希が小さく漕ぐ。

 一瞬、視界が随分と昔に舞い戻った気がした。幼い優希の姿はすぐに掻き消え、そこには高校生になった優希の姿があった。

 水分不足だろうか。熱中症には気を付けないと。

「お待たせ。待った?」

「待った待った。おかげさまで七分も待ってしまったよ」

 やれやれと肩をすくめる優希がブランコから降りる。軽く音を立てるブランコが、少しずつその動きを小さくしていく。

「行こうか」

「ちょっと待たれい。その前に何か言うことはないかね、岳人くん?」

「……ああ、そうか。これはデートだっけ」

 うむ、とうなずく優希に合わせて気持ちを切り替える。お望みであれば、お姫様。

 ざっと優希の姿を確認する。長い黒髪は編み込まれ、真っ白なうなじをさらしている。僕がうなじフェチなのとは関係がないはずだ。うっすらと頬には紅が差してあり、目元はいつもよりもはっきりしている。アイシャドウ?

 服装は白のワンピース。首にモスグリーンのカーディガンを軽く縛っている。革製のサンダルを履く素足がなまめかしい。

「うん、すごくきれいだね。特にうなじが最高だよ」

「もう。いつもそればっかり。もうちょっと気の利いたセリフが聞けると思ったのに」

「じゃあ改めて。コホン……一瞬、天使が舞い降りたかと思ったよ。純白の羽衣に身をまとった優希を前に思わず赤面してしまったよ」

「……そういうよくわからない軽薄なセリフってどこから出てくるの?」

「ゲームかな?」

 優希の頬が赤い。それに目が潤んでいる。

 そして多分、僕の頬も赤い。

 暑いね、なんて言って優希がぱたぱたと手で仰ぐ。強く頷いて同意しながら、僕たちはどちらからともなく歩き出した。

 ぶらぶらと通りを歩く。何となく歩き出した足がなぞるのは、かつての小学校への通学路だった。通学路が長く、優希の家はその西の端あたりにある。その付近は小学生の数が少なくて、僕は途中で優希たちの分団に合流する形で登校していた。

 二人並んで、歩道のない細い道を歩く。昔はすごく大きくてお城のようにも見えた左右の住宅は、今ではすっかり色あせて見える。僕たちの背が伸びたせいか、迫るように見えていた外壁に恐ろしさを感じることはなかった。

「あ、ハナ!」

 優希が歓声を上げて走り出す。その先、門からじっとこちらを見る大型犬の姿があった。まるでアリクイのようにも見える、真っ白で鼻が前に突き出した犬の名前はハナ。ボランティアで通学路の旗当番をしてくれていたおばあさんの飼い犬だ。

「久しぶり、ハナ」

 のっそりと起き上がったハナは、鳴くこともせずにゆっくりと優希に顔を近づける。鉄門の隙間から突き出されたハナの頭部を、優希はもむようになでる。

「ハナはあったかいねぇ」

 フゥ、とあきれたような息を吐くハナと目があった。深い知性を感じさせる黒の瞳。じっと見つめるその目には、かつて存在した天真爛漫な光はなかった。公園で駆け回った、飼い主のおばあさんをひいひいと言わせていたハナはもう昔。

 大人になった、あるいは老いたハナがそこにいた。

「元気でね、ハナ。また遊ぼうね」

 クゥ、と控えめなハナの返事に笑みを返して、優希は再び僕の横に並んで歩き出す。

「岳人も触ればよかったのに」

「仕方ないでしょ。母さんが犬アレルギーなんだから」

「手をしっかり洗えばいいと思うけどなぁ」

「ちょ、毛のついた手を僕の服で拭かないでよ!?」

「ほら、これで触っても変わらないよ」

「……遅いよ。さすがに今から戻りたくない」

 すでに十字路を一つ越え、ハナとの距離が開いている。そっか、と小さく告げる優希に頷いて、僕は次の寄り道を促す。

「それより少し涼まない?喉も乾いたし」

「わ、懐かしい!」

 十字路を左に曲がった先。大通りから少しだけ入ったあたりにあるその店は、名前もわからない駄菓子屋だ。雨風のせいで看板が剥げてしまい、店名がうかがえないさびれたその店は、けれど数名の子どもの声が響いていた。

 僕たちは、店主の男の人の名字からそこを「吉田堂」と呼んでいた。駄菓子屋吉田堂。

 久々に訪れたそこでは、老いをうかがえない真っ黒に日焼けした男の人が店番を務めていた。一瞬店を間違えたと思ったけれど、そうではなかった。だって、その日焼けした店主は、僕たちの知っている人だったから。

「お、えぇと、ああ!岳に優希か!」

「久しぶり、おっちゃん!」

「おっちゃん言うな!……ってさすがにもうおっちゃんか」

 快活な笑い声を響かせるおっちゃん改め吉田さん。年齢不詳なこの男の人は、なぜか僕が幼いころからここで駄菓子屋を開いている。きっと、お父さんかおじいさんから店を受け継いだんだろう。この店だけで食っていけるとは思えないから、きっと何か副業をやっているなじゃないだろうか。

「久しぶりだなぁ。昔はこんなちっさかったのが、大きくなっちまって」

「いやいや、もう少し背はあったでしょ。さすがにおっちゃんの膝よりは上だったよ」

「んー、でも初めて来たときはそれくらいじゃなかったか?」

「……そうかも?正直あんまり覚えてないんだけどね」

 最初に吉田堂に来たのは、確か優希の兄に連れてこられてだ。今では県外の大学院に通っている。その時に会った覇気のない吉田さんと今目の前にいる人が同一人物だとは一瞬では理解できなかった。

「まったく。休日に二人でこんなところに足を運ぶとか、お前らも変わってるよな」

「吉田さんみたいに僕たちも変わってるんだよ」

「お、言うじゃねぇか。まあせっかく来たんだ。なんか買ってけよ」

 天来のラインナップは相変わらず渋い。とりあえず茶色が、というかせんべいが多い。ここって駄菓子屋であってせんべい屋とかではないはずだ。

 とはいえ並ぶ商品の中には、昔懐かしいお菓子もちらほらと存在している。少し悩みながら、結局ラムネ瓶だけを手に取った。ってあれ、ガラスじゃなくてプラスチックだ。

「……なぁ、兄ちゃんたちって付き合ってるのか?」

「だ、だめだよぉ。いきなり見ず知らずの人にそんなこといっちゃぁ」

 離れたところで商品を吟味していた優希が小学校低学年くらいの子どもにたかられていた。勝気そうな少年と、臆病そうな少女。

「さて、どう思う?付き合っていると思う人ー!」

 静寂が満ちる。右を見て、左を見て、それから少女が恐る恐る手を上げる。涙目だ、かわいそうに。

「えー、ぜってぇ付き合ってねぇだろ。ほら、甘い空気ってやつ?そういうのがないからな!」

「じゃあどうして付き合っているのかなんて聞いたのかなー?」

「そりゃあオレのしんびがん?をきたえるだめだろ」

「へぇ、難しそうな言葉を知ってるんだね」

「親父が使ってたからな!審美眼を身につけないと女に振られるんだぜ。母さんに出ていかれた親父みたいにな!」

 突然の重い話題に、優希が救いを求めるように見てくる。僕を見られても困るというに。

「ほ、ほら、お姉さんがこまってるよぉ」

「こまらせとけばいいんだよ。オレのしんびがんに引っかからなかったってことはガキってことだ」

「え、私ってガキなの」

「そう、ガキだぜ!」

 はっはっはと笑う少年は、すぐに涙目の少女に腕を引かれて店の奥へと引きずられていった。……奥?

「あー、うちの奴がすまんな」

「もしかして、おっちゃんの子ども?」

「ああ、そうだ。ったく、あいつに逃げられたとか吹聴してくれるなよな」

 やれやれとぼやくおっちゃんには、昔の無気力な姿が少しだけ重なって見えた。最後におっちゃんと会ったのは小学五年生くらい。その時にはすでに子どもがいたわけだ。……全然子持ちには見えなかったな。

 苦い笑みを浮かべるおっちゃんを前に、僕たちはどう返していいかわからず愛想笑いを浮かべた。

「……そうか。お前たちも大人になったのか」

 ――愛想笑いで大人になったかどうか評価されても困る。それとも、何かこう、にじみ出るようなものがあったのだろうか。


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