千年越しの強い決意
「それじゃあ、くれぐれもお大事にしてください。もし、身体のどこかに不調が出たらすぐに知らせて下さいよ」
「私の不注意で、今日は本当にごめんなさい」
2匹の獣人が何度も頭を下げている。後ろで心配そうな仔犬……いやドナー夫妻の子供達も此方を見ては、クゥンと寂しそうな声をあげていた。
「こちらこそ、今日は無理を言って手伝わせて頂きありがとうございました。逆にお仕事の邪魔をしてしまって、申し訳ありません」
銀髪の女性は汐らしく頭を下げている。めいめいに謝罪の言葉を交わし、俺達は家路に着いた。
◆
「リリィザ、今日は僕の不注意ですまなかった。おまけに一人で歩けないなんて、面目ない」
情けなく震える両足、リリィザの肩を借りながら引きずるように前へ進む。
俺はあの時、一目散にリリィザの前へ飛び出した。間一髪のところで彼女とドナー夫妻の子供達は畦道へと逃れられた。幸い目立った怪我もなく、3人とも無事ですんだ。
俺はというと……
うぅ、思い出すだけで恥ずかしい……
気まずさで、思わず顔を落とす。
「格好良かったですよ。あんなに必死に、私達を守ってくれたんですもの」
「い、いや、あれは結果的に一人で轢かれただけというか……」
「ううん、あの時シアンさんの声がなければ私達も下敷きになってました」
あの時、俺は自慢の右腕でトラクター?とかいう鉄の車に挑んだ。勢いで振り抜いた右腕は簡単に折れ曲がり、俺の身体は遥か先へと弾き飛ばされた。
俺の身体とぶつかった衝撃により路肩へと進路を変えた鉄の車は、泥濘にはまって停止したのであった。
「あまり無茶はしないで下さいね。貴方が居なくなってしまったら、私は永遠に孤独になります」
彼女は此方を見ずに呟いた。
「嬉しかったです、だけど同時に怖かったです。覚えててくださいね。私の夫はあなただけです。これからも、ずっとね」
リリィザの表情はとても寂しそうに見える。なぜだろうか、言葉の意味する事よりも、もっとずっと深い悲しみが見えた気がした。そんな顔を見てしまうと、どうしても言葉に詰まってしまう。
少しの沈黙が続いた後、重苦しい空気を変えたのはリリィザであった。
「……あれだけ豪快に弾き飛ばされたのに怪我一つ無いなんて、本当に奇跡的ですよね。シアンさんて強運なのかも」
クスクスと笑いだした彼女の顔にいつもの優しさが戻っている。
「ハハハ、確かに。自分でも案外丈夫なんだと感心したよ」
右手を軽く振って見せる。折れ曲がったとばかり思えた右腕はまったくの無傷だった。
あの一瞬の跳躍といい、異常なまでの身体の強靭さは間違いなく前世から引き継がれた力に違いない。ひょっとしたらこの身体でも鍛え直せば昔のような強さを取り戻せるのか?
「全身の筋肉痛は、完璧に運動不足ですけどね」
彼女はイタズラに俺の足を軽く触れた。電流のような痛みが走る、思わず情けない呻き声が漏れてしまう。
……いや、この身体ではやっぱり無理かもしれない。
日の落ちた帰り道は、今朝来た時よりもずっと長く感じられた。
◆
「しかしながら。俺はこのままで良いのだろうか」
湯船に浸かりながら独り言を漏らす。しばらく唸っては湯に潜る。意味の無い事を何度も繰り返していた。
……今日の夕食も美味しかったなぁ。特にリリィザが労いにと出してくれた酒、あれも麦から作られているらしい。昼に飲んだ茶も旨かったが、やはり酒はいつの世にも格別なものだ。
……それにこの、家風呂というのはなんとも贅沢であろうか。こんな画期的なものが全ての家にあるとは、この時代の平民達はずいぶん裕福な暮らしをしているのだな。
頭の中を過った雑念に気がついて、再び湯船に潜る。
せっかく念願の転生を果たしたというのに、俺は一体何をやっている?
確かにこの身体では、昔のように暴れまわる事は叶わないかもしれない。しかし、俺には果たさなければ行けない大義があったはずだ。
我が国へルセリアを……そうだ、奴等に騙され、奪われた俺の国を取り戻さなければいけない。
今までなぜ、こんな大事な事を忘れていたのか?!
感情の波が押し寄せてくる。およそ千年にも渡る復讐心が甦り、沸々と滾るのを感じた。溢れんばかりの怒り握りしめ、拳で湯を叩きつける。
そうだ、昔の俺は鍛えぬいた強靭な肉体と同じように、何物にも屈しない強い意志を持っていた。だからこそ、たった一人であのへルセリアを、世界をこの手に納めたのだ。
「明日にでもここを立つ。そして我が国を取り戻す」
揺るぎない鋼鉄の決意が決まると、つい口から漏れていた。
『シアンさーん、湯加減よろしいですかぁ』
「は、はーいッ」
突然呼ばれた声に驚いて足を滑らせる。危うく溺れ掛けそうになってしまった。
しまった、扉の向こうにリリィザが来ていたのか。今の独り言聞かれてはいないだろうか……
『私もご一緒していいですか?』
待て待てッ!
これはまずいぞ、完全に聞かれていた?!
このままでは俺の正体が……
――ガチャン
慌てて混乱する頭を抱えていると、扉の開く音がした。
「それじゃあ……お邪魔します」
「あ、え、え、えッ……」
熱気の広がる風呂場に、開かれた扉の向こうから冷たい風が細く舞い込む。わずかに揺れる湯気の向こうにはリリィザの姿があった。
「り、り、リリィ、り、なッ、なんッ?!」
「ご一緒しますって聞いたじゃないですか? 筋肉痛で腕も後ろまでまわらないでしょうし、お背中流してあげます」
桶で軽く湯をすくい、ゆっくりと身体に掛け流す。髪を軽く濡らすと手慣れた仕草で纏めあげた、艶っぽい水滴が首筋を通ってゆく。
「夫婦なのですから。たまには一緒にお風呂くらい、いいでしょう?」
透き通るような柔肌を布一枚で隠した彼女は、ゆっくりと湯船に浸かる。
「いや、こんな、いいのか……」
突然の出来事に頭の中はさらに混乱する。直視してはいけない、いや、直視したいッ、いやいや、ダメだ……
目のやり場に困る俺にリリィザはピタリと身体をくっつけて、上目使いに囁いた。
「私だってたまにはシアンさんに甘えたいんですよ……?」
「ヒャッ、ひゃいッ!」
彼女の頬は真白の肌より少しだけ紅潮している。細い腕を俺の首に絡み付けて、甘ったる口調で話す。それまで見たこともないほど妖艷な彼女。
そういえば夕食時、一緒になって酒を飲んでいたな……酔って大胆になっているのか?!
「今日はとぉっても、カッコよかった。私の旦那さま」
彼女はそう言って身体を強く抱きしめてくる。柔らかい大きな二つの山が押し付けられた。
「あとぉ、さっき聞こえましたよ。明日どこに行くんですかぁ? 浮気だったら、絶対許しませんからね」
リリィザの柔らかな唇が慌てる俺の口を塞いだ。甘い香りと、微かなアルコールの匂いが鼻を抜ける。その瞬間、俺の決意ははっきりと固まったのだ。
……俺は英雄王、希代の暴君と恐れられたレッド・ドラグーン。一度決意した事は何があろうと必ずこの手で掴む男。そう、必ずだ。
「明日は……町に、仕事を探しに行くよ!」
約千年にも渡る長い年月を越えた鋼の意志は、たった一晩の風呂によって簡単に流されたのであった。
次回更新は9月21日予定です。
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