現世の戦いは熾烈を極めて……
一日の労働時間はだいたい9時間。それを五日間繰り返すと二日の労働休暇が与えられる。この時代の人々はこうした日々を繰り返しながら、一月そして一年と暮らしているのだ。
……しかしなんだな。平和な時代と云うものは退屈なばかりだと思っていたが、これはこれで日々充実したものだ。いや、逆に言えば忙しさに追われているのか?
俺は閉店の片付けをする傍らぼんやりと考え事をしていた。
「お疲れさん、それが済んだら今日はもうあがっていいぞ。週末は奥さんも楽しみに待ってるだろうしよ」
奥の部屋から出てきた店主はそう言って店の戸締まりを始めていた。
「ありがとう店主そうさせて貰うよ」
俺は並べられていた鉢植え下げると腰巻きを脱いだ。
「そうだ、この間はあいつの件ありがとな。ベルフリアに行くのを随分楽しみにしてるみたいだったぜ」
「いやいや、僕は何もしていないよ。ラズリには普通に進めただけだし」
ベルフリアへ学校見学に出向く提案、ラズリは予想外に乗り気だった。
……ラズリの奴も、父親にはなかなか本心は伝えにくいのであろう
「礼に今度また『エル・メルラルド』に連れてってやるからよ。今度は女装しなくてもいいから、もっと楽しめるぜ? ガハハハッ」
俺の頭にあの時の嫌な思い出が甦る。そういえば今日は妻と何処かへ向かう約束をしていたような。
……そうだ、今日はその場所に出向かなければ行けない約束の日であった
「いや、遠慮しておくよ。……と言うかこれから向かわなきゃ行けないし」
「おや? お前も随分気に入ったんだな」
アンドリューの問いかけを、暗い顔の俺は首を横に振って答える。妻とのいざこざを簡単に説明するとアンドリューはまた大笑いで口を開いた。
「キャバレーに行ってみたいなんて、あの奥さんもなかなか物好きだな」
「ああ、僕もそう思うよ……」
小さく畳んだ 腰巻きを店主に手渡し、俺は店を後にした。
◆
「繁華街の方は夜でも結構明るいのですね」
帰宅した俺は妻と共にキャバレー『エル・メルラルド』を目指すのであった。居住区域とから少し離れたサンスビアの繁華街は、以前来た時と変わらずの賑わいを見せている。
「酔っ払いも多いし、あまり治安も良くなさそうだから気をつけないと……」
俺はそう言って彼女の手を掴んだ。自然な動きとは裏腹に心拍数は上がっている。この頃は無意識にこうゆう動きが取れるようになってきた。シアンとして馴染み始めたのだろうか?
「大丈夫ですよ。もしも何かあれば、シアンさんが私を守ってくれるんでしょう?」
妻は上目遣いにそう言うと、俺の手を反対に引き寄せてしがみついた。
「う、う、うん、もも、もちろんだとも?!」
……近い、近いッ、モロに当たってる! それどころか押し付けられてるってッ!?
歩く度に押し当てられるリリィザの柔らかな二つの膨らみに、俺の心臓は限界を超えて高鳴った。
……は、早く、一刻も早く『エル・メラルド』に着いてくれッ! このままでは俺の心臓が持たない……い、いや、もっとこのまま? むしろずっとこうしていても良いのではないか?!
かつて無い程の激しい戦いに、俺の葛藤は複雑を極める。ぎこちなく進む歩幅に合わせて、俺の右側で至福と緊張が揺れ動くのであった。
◆◆
きらびやかな繁華街の中でも一際極彩色を放つその建物は、屋外からでも中の騒音が聞こえてきそうだ。おそらく今日も満席に近い人数が訪れているのだろう。
入り口で迎えてくれた給仕人の案内により、俺と妻の二人は運良く小さなテーブル席へと通されたのであった。
「すごい活気ですね、この町にもまだまだこんなに沢山の人が生活しているのですね。知らなかった」
「ああ、でもここに来る客は皆アンドリューみたいな連中が多いけどね」
二人はそれとなく周りのテーブルを見渡す。確かに飲んだくれた男達が肩を組ながら歌っていたり。豪傑といえば聞こえは良いが、赤い顔の酔っ払い達はそんなに格好の良いものではないだろう。俺はリリィザは顔を見合せて静かに笑った。
「そういえばシアンさん、この間の話なんだけど……」
リリィザは急に真面目な顔で俺を見つめた。俺は咄嗟に視線を逃がしてしまう。さっきまでの道中を思い出してしまったのだ。
……ぐっ、直視できない。さっきの柔らかな膨らみが思い出されてしまう
挙動不審な俺を見て彼女は、溜め息まじりの笑みを浮かべる。
「シアンさん聞いてます? まったく……この話は後でいいわ。先に何か飲み物でも頼みましょうか?」
そう言ってリリィザは立ち上がると、給仕人に声を掛けるのであった。




