暴君と懦夫のそれぞれ
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気がつくと目の前にはただ真っ白い光景が広がっていた。どこまでも続く純白の世界を、何も出来ずにしばらくの間見つめていた。
焦点も合わないまま、一体どれくらい呆けていたのだろうか? 意識が徐々に覚醒してくると、どこか見覚えのある町の景色が浮かび上がってきた。
ここは……へルセリアか?
目の前に広がっている街並みは紛れもなく、かつて王として統べた国ヘリセリアであった。急ごしらえで建設された統一感の欠ける建物の数々。まだ戦争の傷痕も癒えない街の人々は、健気に日常を再興しようと働いている。千年ぶりに見た我が国の姿に、俺の心は震えた。
間違いない、ここは首都へルセリアだ
暫し懐かしい景色に心を奪われていると、近寄ってくる何者かの気配に気がつく。恐らく三人。不自然な暗い影を顔に落とし、人物の特定ができない。灰色の薄汚れたローブを纏う者が一人、赤い甲冑にロングスカート姿が一人、もう一人は全身毛皮で覆われていた。目を細めて背格好もバラバラな三人に注意を向けていると、不思議な事に見覚えがあるような気がした。
――貴様らは一体、何者だ?
俺の声に応えるかのように、それまで白濁と霧がかっていた空は途端に晴れ渡った。天を割ってゆっくりと伸びる日射しが目前の三人に降り注ぐ、顔に落としていた影が晴れてゆくのである。
胸の鼓動が一段と早くなった。今度は郷愁よりもずっと醜い、黒い感情に支配されてゆくのが良くわかる。気がつけば激しい怒りを、抑えられない感情のままに叫んでいたのだ。
――よくもぬけぬけと我が前に現れたものだなッ?!
俺は眼前に立つ三人の名前を、はっきりと思い出していた。
魔女 ラルナ・モーブビオラ
剣士 アルトナ・バーミリオン
祈祷師 デッド・ブラック
それはかつて名だたる強国と共に戦い、統一国家へルセリアの礎を築き上げた忠臣だった。彼等の助力がなければ暴力しか取り柄の無い俺にとって、建国など儚い夢と消えていただろう。謙遜ではなく心底そう思っていた、それくらい俺は「あの頃」の彼等に心を許していたのだ。
しかし、彼等との「最後」の記憶は業深く卑劣な裏切りだった。過去の自分はこの三人によって全てを奪われた。思い出す度に鎮まらない憤激の波が押し寄せてくる。
――貴様らの顔を思い出すだけで虫酸が走る、万死でも許せぬ
強い衝動に駆られた俺は飛び掛からんとした、すると気がついたのだ。動かす体が無い。視界だけははっきりと見えているのに、両腕も両足も見当たらない。身体があるべき場所には何も見えないのだ。何も出来ない俺に、向かい合った六つの瞳から冷たい侮蔑が降り注ぐ。耐え難い屈辱に何度も叫んだ。やがて三人は表情も変えず、ゆっくりと俺から遠ざかって行ったのである。
――貴様ら逃げるのか!? 卑怯者めッ、ちくしょう、ちくしょうが……
三人の元忠臣達が虚空に消えると周りの景色も歪み始め、再び純白の世界へと変わっていった。
◆
強い眩暈のように世界が廻ると、また景色は変化していた。先程とは異なり規則的に建てられた近代的な建築物。何処かの街並みなのは確かだ。しかし今度はまったく見覚えが無い。
……また奴等か?
つい先程の鮮烈な光景が、まだ瞼に焼き付いて離れない。再び目の前に現れるのかと想像すると、怒りから激しい動悸に襲われた。
奴等じゃない? 誰だ、……女?
銀髪の女が何かを見下ろすようにして立っていた。俺の視界からでは女の横顔しか見えないが、その鋭い眼光と真一文字に結ばれた口元からは強い怒りの感情を覚えた。何かを咎めるように口元が荒々しく動いたかと思うと、こちらに踵を返して近寄って来る。
リリィザ……?
肩に掛かる銀髪をなびかせながら歩み寄ってくるその顔は、リリィザにとてもよく似ていた。だが俺の知っている彼女とはまったく異なり、青い瞳にはひどく冷たい印象を受けてしまう。背格好も彼女とは異なり、少し小さくも見える。近寄るに連れてわかる、知り得る彼女よりもずっと幼く見えるのだ。
リリィザとよく似た顔の少女は真っ直ぐ歩み寄ってくる、何度か名前を呼んでみたが反応はない。どうやら俺の声は届いてないらしい。
もしかして、過去のリリィザなのか? ……そうか、これは身体の記憶なのだな……
向かい合うように立ち止まると、眉を吊り上げた彼女は口早に動かした。声は聞こえないが、不思議と最後の一言だけは読み取れたのだ。
『……人殺し』
冷たく言い放つとリリィザに似た少女は視界から消えて去っていった。理解の及ばない状況に、頭は理解しようと必死に働いていた。彼女の口から出るはずの無い言葉に暫し衝撃を受けてしまった。
ふと気がついたのだ、ちょうど視界の下に誰かがいることに。男がボソボソと何かを呟きながら、俺の足元で啜り泣いている。
『僕にも……あなたのような力があれば』
何故コイツが俺の目の前で泣いているのだ。そしてなにより、なぜ身体の記憶に魂が存在している?
呆然と泣き続けるのを黙って見下ろしていると、彼は突然立ち上がった。真っ直ぐ視線がぶつかっているはずなのにシアンは微動だにしない。狼狽えてしまいそうになる俺を少しも気にせず、彼は何か決意したような強い眼差しで口を開いた。
『あなたは本当に…… だ』
なんだ? 今何と言ったのだ? 所々聞き取れないし、身体が目の前にいるということは今の俺はいったい何者なのだ……
疑問だらけの光景なのに、何処か見覚えがある。思い出した、そうだ、これは昨夜見た夢にとても良く似ている。夢と異なるのは何かにすがり付いて泣き叫んでいたシアン・ウイークが、何故か今は俺の足元で喚いていた事。
――お前には、俺が見えているのか?
シアンに声を掛けてみる。やはり先程の三人やリリィザに似た少女と同様に、俺の声だけが届かない。
――シアン・ウイーク、お前は一体……俺は、お前は何者なのだ?
何度となく口を開いても、彼からは少しも反応が無い。それでも構わず叫び続けた。
――答えろッ、シアン……シアン・ウイーク!
『しっかりしろよ、シアン!』
誰かの呼ぶ声が聞こえたかと思うと、目の前の景色はまた白く変わっていった。
◆◆
「目を覚ましてる……リリィザさんッ! お父さんッ! シアンさんが起きたよッ!」
驚いた様な高い声が耳の中を通り抜けた。しかしそれはさっきまでの幻想の声とは違う、温かみのある声だった。まだ意識ははっきりと定まらない、ぼんやりと声のする方へ目を向ける。
「なにッ? おお! シアン、やっと目を覚ましたか。心配したぜ」
今度はとても荒々しく、騒がしい声だ。だが決して嫌ではない。聞き慣れたその声からは、不思議と安心すら覚えてしまう。虚ろな視線で見渡すと、俺は何処か狭い部屋のベッドの上にいた。
「シアンさん……良かった。本当に良かった」
汐らしくも品のあるその声に、俺の意識ははっきりと目覚めた。これは妻の声だ。
「ここは……僕は一体、何故こんな所に」
『――皆ぁ、ウイークさんが目を覚ましたぞぉ!』
『――ウイークさん、良かったぁッ!』
見渡す限りに人々が押し寄せてきた。俺の声は沸き立つ皆の声に呑み込まれたのである。誰もが嬉しそうに顔を綻ばせている、良くみればサンスビア商店街の仲間達だ。
「おいおい、おめぇらそんなに押し寄せるんじゃねぇよ! まずは一番心配していた人がいるだろぉが」
アンドリューは詰め寄る商店街の面々を引き離して言った。狭い部屋の中を人の波が動くと、一人の女性に花道が作られたのである。今度は幻ではない、本物の彼女は遠慮がちに皆に頭を下げていた。
「リリィザ……」
俺は言葉に詰まる。彼女は少し息を吐いて歩み寄る。
「待つのは慣れてます。だけど心配する事だけは……やっぱりいくら経験しても慣れませんね」
彼女の透き通るような青い瞳はいつもより輝いていた。つい先程まで涙で濡れていたのであろう、潤んだ瞳はすぐに長い睫に埋もれて隠された。
「ごめん、僕はまた君に心配かけたみたいだ」
立ち上がろうとしてよろめいてしまうと、彼女の両手が身体を優しく支えてくれた。何故だか知らないが見守る皆が手を叩いて喜んでいる。まだ状況が理解できない俺はアンドリューを見て尋ねた、彼は芝居がかったようなわざとらしい仕草で口を開いたのだ。
「まったくお前が目覚めなきゃ、悲劇の英雄様にでもなっていたところだな? この町を俺達を救ったのは間違いなくお前だよ、シアン良くやった!」
「店主、僕が気を失ってる間に何が起こったんだ、町はもう大丈夫なのか?」
恐らくここは病室で、俺は意識を失ってここに運ばれてきた。何となくそこまでは想像がついた。
アンドリューは一際豪快に笑い声を響かせる。後を続くように皆の笑い声がそれを追いかけた、狭い病室に歓喜の声はしばらく続いたのであった。




