隣人の獣人は耕人だ
「良く晴れましたね。気持ちいい」
今日も雲一つない晴天だ。眩しい日差しに手をかざし、楽しそうな妻を微笑ましく見つめながら目的の家へと向かう。
俺は穏やかで他愛ない、こんな田舎の情景に日和ってきているのかもしれない。
広い畑道を並んで歩く。隣家と言ってもこの田舎の町外れは家々の距離がかなり開いているのである。俺の……いやシアン・ウイークの妻であるリリィザの知人、ドナーという夫妻の家を目指していた。
この町に引っ越して以来、彼女は近隣の住人達と上手く打ち解けているようだ。聞くところによると、そのドナーという夫婦は専業農家をしているらしい。
青臭い匂いが立ち込める庭を進む、いかにも農家と思われる大きな母屋が見えてきた。
「すごい家だな。ここいら一帯、全部私有地なんだろうか?」
見慣れない巨大な植物が広がる畑に気を取られていると、いつの間にか先に進んでいたリリィザに呼ばれた。
「シアンさん、玄関はこっちですよ」
立派な鉄扉の前に立つと、リリィザは呼び鉄を叩いて館の主へ声をかけた。
「おはようございます、ドナーさん! ウイークです」
『……はぁーい、今開けますね』
石畳の玄関先でしばらく待つと、大きな扉は勢いよく開かれた。
……なんでコイツらがいるのだ?
仰々しい厚鉄の板が開かれると、そこには扉より一回りも大きい毛むくじゃらの獣人の二匹佇んでいる。
反射的に逃げ出しそうになるところを、妻に素早く襟元を掴まれた。
「おはようございますドナーさん。お忙しいところご無理を言ってすいません。今日はよろしくお願い致します」
慎ましく挨拶をするリリィザに、無理矢理頭を下げさせられる。
「まっ、まっ、待ってくれ…… 」
華奢な彼女の細腕に、いったい何処にそんな力があるのだろうか。抗うことも出来ず、視線だけがあちこちと逃げ回る。
「おはようございます。此方こそ、わざわざ出向いて頂いて。ささ、ひとまず中でお茶でも飲んで下さい。それから今日の農作業について説明します」
扉に手を掛けた手前の獣人は手招きして言った。
「気にしなくて良いのよ。私達も賑やかなほうが楽しいですもの、ねぇ、あなた?」
後ろの獣人は口元に手を当て、笑みを浮かべるかのようにニヤリと口角があがっていた。
……間違いなくコイツら、俺たちを食物と見ている。
慌てて妻の前に出る、俺は目の前の外敵に交戦の視線を向けるのであった。
「あら? リリィザさん、此方がお話に聞いたご主人様でしょうか? まぁ、お話の通り素敵お方でございますね! ほら、アナタもご覧になって、なんて凛々しい眼光! 」
「おぉぉ、これは確かに只者ならぬ風格! 歴史映画に出てくる武人のごとき威厳を感じるなぁ 」
「……え?」
これ程の敵意をぶつけているのにも関わらず、意外な反応だ。……あとレキシエイガってなんだ?
突飛な言葉に間抜けな声を上げてしまうと、リリィザはクスクスと笑って此方を見ていた。
「ドナーさんご夫婦はとても良い方達なの。そんな、小動物みたいに警戒しなくても平気ですよ」
妻の含んだ笑い声に俺は幾度も目をしばたかせると、ドナー夫婦という二匹の獣人を見た。 リリィザは、「人見知りな夫でして……」と笑いながら夫妻に謝っている。
「初めまして、私はフェルウン・ドナーです。こっちは妻のユフェルです。奥様とはここ最近出会いましたのですが、夫婦共々仲良くさせていただいております。旦那様の事は奥様から良く聞いておりました。いやぁ、お話通りの男前で!」
そう言うと扉に片手をついた青い毛色の獣人は笑った。
こっちが旦那のフェルウン、正直見分けがつかない。やや後ろでニヤリと口を開き、鋭い歯を覗かさているのが妻のユフィル。
……そうだ、コイツら種族と俺は遥か昔に一つの大きな戦を交えた。
ドラフェンナーガ族と呼ばれる彼らは、獣人の一つとして古くから大陸に広く分布していた。彼らは通常、個で生活しているがひとたび同種の危機を知ると異常なまでの連帯関係を見せる。
戦争の最中、とある国との諍い。その対立国の中、主要人物の一人に彼等の同胞がいたのだ。
瞬く間に集まるドラフェンナーガの同胞達は、行く手を阻んだ。彼等一人一人の戦闘能力は俺にとっては正直、何とでもなる雑兵に過ぎなかった。しかし、彼等の全のために個を捨てる戦方は戦を長引かせ、結果として此方の兵力は大きく削ぎ落とされた。
口の中に苦い味が広がる。途端に思い出される歴戦の記憶を忘れるように努めた。口ごもっていると、横から軽く肘打ちされた。挨拶でもしろって言うのか。
「……ど、ドナーさん。き、今日はよろしくお願い致します」
ひきつった口角を無理矢理にねじ曲げ、何とか挨拶をする。すぐに頭を深々と下げて、拳を握って堪える。
……たとえ相手が過去の難敵であろうとも
意を決して顔を上げた。右の頬が震えるほどにひきつる表情は、とても笑顔には見えないかもしれない。
……妻の友人とあれば、俺は上手く取り繕う!
ドナー夫妻は快く自宅へと招き入れてくれたのであった。




