黒または白の少女
七月十日の土曜日、真也は駅の待ち合わせ場所に、時刻通り来ていた。
「真也君!」
遠くから、花奈が駆け寄って来た。
「ごめんね、遅れた?」
「いや、ちょうど」
今日の花奈は、黒い麦わら帽子に薄紫色のワンピースを着ていた。デートを意識されているようで、真也の心は浮足立った。
「早く行かないと時間が減っちゃう」
「落ち着けって」
「私、電車乗るの初めてかもしれない」
「わかったわかった。行こう」
二人は改札に入った。
電車に乗ると、下り列車で人は少ないのに、他人の視線を痛い程に感じる。花奈の存在がそうさせるのだと、真也は気付いた。彼自身は平凡な顔立ちだが、花奈はその髪と目の色に加えて容姿が加わり、いつもこんな風に注目を集めてしまうのだろうと思われた。
「大丈夫か?」
「うん」
花奈は麦わら帽子を深く被って、なるべく顔を見せないようにしていた。
電車で最寄り駅まで行き、バスに乗り換えた。目的のバス停で下車すると、かすかに潮の香りがした。ビルや林の向こう、遠くの方に海が見える。
「あ、あそこだ」
看板の指示に従って歩くと、巨大な建物が見えた。
オープン以来直していないような古びた受付でチケットを購入すると、真也と花奈はゲートを潜った。
水族館の中は暗く、水槽だけが明るく照らされていた。客はそこそこ入っていた。
「暗いんだね」
「その方が魚が見えるからかな」
実際、周りの人々は水槽内の魚に夢中だった。花奈の姿も目立たないのか、視線が少ない。家族連れやカップルが、水槽を指差して楽しそうに喋っていた。
「お魚いっぱいだね」
「クラゲとかもいるけどな」
「ほんとだ。あ、あれは鮫かな」
解説を読んで魚の名前を当てながら、順路通りに歩いて行くと、外に出た。
申し訳程度の屋外展示があり、その先に広い会場がある。
「これ何?」
「イルカとかのショーをやる所だよ。えっと、ショーの時間は・・・・・・」
掲示を確認すると、先程最後のショーが終わったばかりだった。
「午後から動いたのはまずかったか」
「ごめん、私午前中はバイトで・・・・・・」
「いや、花奈が悪いんじゃないし」
魚を見つつ、話をしながら進むと、大きな水族館ではないので、あっという間に出口に着いてしまった。
「どうする? 引き返すか?」
「でも、そろそろ出ないと夕ご飯に間に合わないな」
「じゃあ最後にお土産買って帰ろう」
展示エリアを出た所に待ち構えている土産物屋に立ち寄る。所狭しと並べられた魚や鯨、クラゲといったぬいぐるみやお菓子に、花奈は目を白黒させていた。普通の店には無い品揃えに面食らったようだ。
「す、凄い所だね」
「どうする?」
「普通は何を買うの?」
「俺も、自分の家ではこうするっていうのしか」
「え、聞きたいな」
「・・・・・・まあ、グッズと、家で食べる分のお菓子を買うんだけど」
「お菓子・・・・・・あ、覚には内緒で来たから、買うとバレちゃう」
「・・・・・・」
なんだか、彼がちょっと可哀想だな、と真也は思った。
「大きいのも駄目だな・・・・・・何にしよう・・・・・・」
花奈はストラップの辺りをうろついていた。
結局、二人は揃いでキーホルダーを買った。金魚鉢を模した容器には、下に砂が敷かれ、透明な樹脂のような物が詰められていた。その樹脂の中にカラフルな魚が浮いている。
それを、花奈はえらく気に入ったようだった。
「ショッピングモールにも無いだろうな、こういうの。皆が買い物しちゃうのがわかるよ」
うんうん、とひとり頷いて、花奈は商品をポーチの中に仕舞い込んだ。
「それじゃ、行くか」
「うん」
陽の落ちかけた道路は閑散としている。この辺りの住人は、主に車で移動しているのだろうか。
駅に向かおうとして、ふと思い付く。
「・・・・・・手、繋いでくか」
「え・・・・・・」
「デートだし」
「そっか、デートならそうだよね・・・・・・」
差し出された手を握って、真也は歩き始めた。彼女に直接触れたのは初めてな気がする。多分自分がすごい顔をしている気がして、速度を速めた。
「真也君――」
名前を呼ばれて、繋いでいた左手に重みが掛かって、それから、外れた。
「花奈?」
振り返った先に見えたのは、倒れた少女の姿だった。
「・・・・・・っ、なんで」
――なんで、また繰り返してしまうのか。
かちり、と音が鳴った気がした。
視界に緑色の光が溢れる。その光は真也の目の前で収束し、直径1m程の懐中時計になった。文字盤の下部はオープンハートになっていて、様々な歯車が回っている。いくつかの歯車の中心には緑色の石が嵌め込まれていた。秒針が現在時刻を指し示し、かち、かち、かちと秒を刻んでいく。真也はそれが何であるか、おぼろげに思い出し始めた。
自分は“これ”に願ったのに。もう一度やり直したいと。
「・・・・・・そうだ、記憶が無いからいけないんだ」
時間を巻き戻すと、自分の記憶まで消えてしまう。“前回”は何が起きたのか、思い出せない。
「なら、俺の記憶が無くならないようにしてほしい」
懐中時計の頂部にチェーンが新しく生まれる。その先端に真っ直ぐなピンが形成され、真也の頭を突き刺した。時計の秒針が、逆方向に回り始める。
歪む世界に、真也は瞑目した。
◆
目が覚めると、真也は自室のベッドにいた。部屋のデジタル時計で日付を確認する。
七月七日、午前十一時二十四分。ちゃんと戻って来た。
居間に入ると、両親はもう出掛けていた。なんとなくテレビを点け、チャンネルを回していく。ギフテッドの話をしていた。今日は大落星の日だから、特集が組まれているのだ。
〈このように、ギフテッドは様々な能力を持ち、様々な事故を引き起こしました。彼らの能力の原因と、今現在彼らがどうしているか、GPI職員の南雲さんにお話を伺いましょう〉
〈彼らの能力がどうやって生まれたのかは、未だに手掛かりすら得られていません。ただ、この能力は、当人が成長すると自然に消失することがあります。また、彼ら自身も能力をコントロールし、人を傷付けないよう訓練を重ねていますので、以前と比べて事故は起きにくくなっています。私達の施設では、全てのギフテッドに対してフォローを続けています〉
〈あなたの身の回りで、ギフテッドによるものと思われる異常があった場合、こちらの代表電話番号またはメールアドレスにご相談ください〉
画面にパネルが大写しになる。その次に、全国のGPI支部の所在地が並んだ。
「うちの近くにもある・・・・・・」
こんな近所にGPI支部があったのか。興味が無い情報には気付けないものだ。恐らく、花奈達もここの所属なのだろう。
真也は冷蔵庫に残っていた麦茶をグラス一杯飲み干すと、外に出た。向かう先はGPI支部だ。自分だけでは問題を解決できない、と痛感していたからだ。
目当ての場所は、L字型をした古い建物だった。受付には、中年位の女性が一人座っていた。職員に話が出来ないか告げると、事前連絡も無しに来た真也を、渋々ながらも応接間に通してくれた。
すぐに一人の人物がやって来た。ついさっきテレビで見た、南雲という男性だった。
「こんにちは。今日はどんなご用件かな」
人と話すことに慣れた喋り方だ。にこやかな笑みを浮かべているが、その眼光は鋭い。
「えと、琴寄花奈っていうギフテッドの人についてなんですけど、その」
真也は気付いた。この時間軸で、真也はまだ花奈に出会っていない筈だから、知らない人物について話していることになる。
「彼女には、何か、他の人とは違う秘密があると思うんです」
意味が分からない、と言われても仕方ないような言葉だった。
「どうして、そう思うんだい?」
南雲は真也の話を否定しなかった。
真也はぽつりぽつりと語った。四人のギフテッドと親しくなり、花奈が死んだ後に、自分は時間を巻き戻したこと。自分は元々ギフテッドではなく、花奈の何かしらの要素により、能力を手に入れたように感じることを。
話を全て聞き終わった南雲は、悩んでいるようだった。
「俺の話は、信じられますか」
「信じられるかという言い方は、好きじゃないな。私は医者だから、証明できるものしか信じないし、証明できるなら信じる」
「・・・・・・」
「まあ、花奈のメディカルチェックをやってみようと思うぐらいには、君の話は興味深かったよ。胸部レントゲンは定期的にやってるから、あるとしたら腹部かな。目に見える形で存在してくれると有り難いんだが」
「あ、ありがとうございます?」
「礼は証明してから言ってくれ。ギフテッドの研究は本当に進んでいないんだ。何か手掛かりが得られるなら御の字さ」
南雲は備え付けられた電話の受話器を取ると、誰かと話をし始めた。
「役者が揃うまで時間が掛かるから、暇なら待っているといい。うちのランクA達を紹介しよう。なに、取って食ったりはしないさ」
応接間に呼び集められたのは、四人の少年少女だった。
「情報提供者の鷲尾真也君だ。ほら、自己紹介しなさい」
「犬塚冬真です」
「御堂文隆です」
「双木朋子で~す」
「十河凛」
ここの制服なのか、揃って白い服を着た彼らは、整列して挨拶した。名乗り方にも性格が滲み出ていた。
「・・・・・・よろしくお願いします」
思わず敬語で挨拶する。冬真という少年は、夏樹によく似ていた。名字も確か同じだっただから、兄弟なのだろう。文隆はふわふわとした癖毛で、ぼんやりした顔をしていた。朋子は髪を両耳の下で結った柔らかい雰囲気の少女で、何故か白い布手袋をしている。凛は毛先がハネた長い髪のクール系少女で、コンビニに来たのは凛だった気がした。
「施設を案内してあげなさい」
「はーい」
来客は珍しいのか、朋子と冬真がそわそわしている。南雲が去ると、二人は真也に纏わりついた。
「お兄さん、外の話してよ!」
「真也さん、どこから見る? あまり面白くない場所だけど」
「・・・・・・えーっと、一階から順に」
厚意を無駄にするわけにもいかず、真也は四人に連れられて施設内を歩き始めた。喋るのは主に朋子と冬真で、凛と文隆はあまり喋らなかった。
「ここは昔、病院として使われてて、移転した後に取り壊してなかったのを改修したんだって」
冬真の説明を聞くと、確かに全体が白く、くすんだ内装で、天井が低い。一階は外来だったのを、無理矢理教室に改装したらしかった。
「音楽室とか美術室は面白いけど、他の部屋はあんまりかな」
ギフテッドを確認次第引き取っていた頃は、教室は満杯だったらしい。
その他は食堂があった。
階段を上がると、入院患者の病室だったと思われる壁の区切り方だった。
「二階は私達の居住エリアなの」
部屋の中には、雑多な種類のベッドが押し込まれていた。ほとんどのベッドは、剥き出しのマットレスだけがぽつんと残されており、長いこと使われていないようだった。
「三階は職員用のエリアなんだけど、入れないから」
他にも立入禁止区域があるらしく、小さな元・病院の案内はすぐに終わった。
*
南雲は準備を一段落させると、控室の味気ない椅子に腰を下ろした。十年前の出来事が脳裏に浮かぶ。
彼は、ある小さな病院に勤めていた。その日救急搬送されてきた三十歳ぐらいの女性は、交通事故に巻き込まれ、救急車の中で心肺停止になったという話だった。処置はしたが、蘇生しなかった。バイタルモニターがフラットになっているのを確認して、瞳孔散大と心停止、呼吸停止を確認する。いつもの手順だ。死亡宣告をしようとして、その場に医療スタッフ以外の人間がいないことに気付いた。
『ご家族は』
『この方が庇ったという五歳ぐらいの女の子がいるんですが・・・・・・他は探してもらってるんですけど、時間が掛かりそうです』
『じゃあ、その女の子を呼んできて下さい』
『わかりました』
連れて来られたのは、白い少女だった。南雲はアルビノ――先天性白皮症――の人間を実際に見るのは初めてだったので、僅かに驚いた。顔立ちは亡くなった女性に似ていて、親子なのだろうと推察した。よく見ると、少女の髪は肩口で不揃いに切られ、肌には殴られたような痣が薄っすら残っていた。虐待か、と南雲は思った。家庭内で暴力を振るわれる子供は、目に生気がない。
『こんにちは』
『・・・・・・こんにちは』
小さな声で返事が返って来た。
『お父さんが何処にいるか知ってる?』
『おとうさん?』
少女は、知らないというより、単語の意味がわからないようだった。
『家の中にいる男の人だよ』
『そんな人いない』
『他に、一緒に住んでいる人は?』
『お母さん』
『じゃあ、この人はお母さんかな?』
南雲がベッドの方を振り返ると、少女はベッドを覗き込んだ。
『お母さん、起きて』
肩を揺さぶって、ぺちぺちと額を叩く。
『・・・・・・これは、お母さんじゃない』
目の前の死体が母親であることを、認識できないらしかった。
『君のお母さんは、死んでしまって、もう起きないんだよ。いつも君にもわかる日が来るから、今はお別れをしようか。これが最後だからね』
『私が悪い子だから、お母さんは怒ってるの?』
『・・・・・・』
南雲は子供と接するのが苦手だった。簡単な言葉で説明しようとしても、想定とは別の方向に解釈してしまう。どうしようか、と考えていると、看護師がきゃあああ、と悲鳴を上げた。驚いて視線を動かすと、少女の背後に、黒いロングドレスを着た女性の姿がぼんやりと浮かび上がっていた。
その時まで南雲は、お化けや幽霊の類を信じていなかった。いないことを証明できないだけで、本当はいないのだと思っていた。それなのに、目の前の女性は何だというのか。黒い服は喪に服しているように見えた。ティアラとベールは花嫁のようだった。目も鼻も口も包帯に覆われた顔は、ミイラ、いや、のっぺらぼうか。
少女は声も出さずに泣いていた。
その光景は南雲に、新しい職場を検討させるに足りるものだった。医療者としての職務よりも、純粋な知的好奇心が勝っていた。
少女はギフテッド関連施設に送られた。彼女の能力は、条件が揃えば、他人に自分の姿を誤認させるものらしかった。ただ、能力使用時に現れる謎の女性については、施設職員も首を捻った。しかし、母親を喪ったばかりの少女をしつこく調べるのは躊躇われたのか、結論が出ないまま、彼女の能力は《ブラック・プリンセス》ランクDと登録された。
コンコン、とドアがノックされる。受付の女性が部屋に入って来た。
「南雲先生、琴寄花奈を連れて来ました」