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隠れた商い 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 むう、今年は全体的に費用がかかっているな。

 水道料金、電気代、ガス代……コストは安くなったと聞くけれど、たくさん使っているなら世話ないよねえ。去年の同じ時期に比べて1,2割は多く使っちゃってる。

 一時期は冷暖房だけでも控えて、コストをおさえようと考えていたんだけどさ。風邪を引いちゃって、まるまる一日を潰したことがあって。

 健康まで損なって、お金を貯めても意味ないじゃん? 使いたいときに使える身体じゃないとか、無念きわまりないでしょ?

 

 とはいえ、これは僕たちがまだまだ俗世にしがみついている証拠でもある。

 断捨離のように、いろいろなものの執着から離れることができれば、限りあるものに対しても気に病むことはなくなるのだろうか? その先に何が待つのだろうか?

 ひとつ、俗世の執着から離れたという男の話があるんだけど、聞いてみないかい?


 その男の前半生は、一に儲けで、二に取引という、商いに生きた日々だったという。それこそ薪一本をめぐって、競争相手と訴訟へもつれこませた伝説さえも持っている。

 そんな彼が隠居とともに掲げたのが、「即身仏」になるという、突拍子もないことだったんだと。

 生きとし生ける者を救うため、永遠の瞑想である「入定」へ至る道。それすなわちミイラと化すことで、未来に身体を残す準備をすることだった。


 もちろん、死を前提とする厳しい苦行だ。いかに徳が高いとうたわれようと、あまりの辛さに断念してしまう者も多かったという。

 木の実などでのみ、おのれの命をつないで、ミイラへの準備へ取り掛かる木食もくじき。不足する栄養を身体に補わせるため、脂肪も筋肉も分解されていくに任せ、最終的には水分さえ失わせようと、漆の茶を飲むことだってあるらしい。


 さて、当の男の場合なのだけど、確かに街より離れたひとつのお堂の中へ一日中こもり、経を読むようになったそうだ。

 家族としては当初、妙な真似事を始めたと肩をすくめていたらしい。

 隠居するほんの数カ月前まで、庶民から見てみればぜいたくな域の暮らしをしていたんだ。それが一足飛び、いや、二足や三足くらい一気に飛んで、質素という言葉でも足りない極まった生活を送るなど、できるはずがない。

 どうせひと月、ふた月もすれば戻ってくるさ。

 そう家族はタカをくくって、彼の新しい道楽を生暖かい目で見守っていたそうだ。


 それがおおかたの予想に反し、半年が過ぎても男はかの生活を続けていたらしいんだ。

 現役時代に肥えていた身体は、すでに家族の誰よりもやせ細ったものになっている。使用人たちに尋ねても、自ら食事を差し入れた者はいなかったという。

 ただ様子うかがいに、定期的に訪れていた者は、彼の方から持ってくることをお願いされる木の実があったという。


 彼の使っていたお堂の裏手に、栃の木らしきものが茂っていて、その実をもいで持ってきてほしいといわれるんだ。

 やや栗にも似た形をするそれらの実が、目の前に積まれると、彼は細った腕でもって実を選別していく。その作業を見守っていた者には、どのような基準で選ばれているのか、はた目には理解できないほどだったとか。

 そして選んだ実を、彼はそのままバリバリと丸ごと食べる。本来、渋抜きをしたうえで食べられるべきそれを、細くとがったあご、そして顔全体で粉砕するかのような必死な食べ方は思わず目をそむけたくもなったとか。


 なぜ、そこまでしてこのような生活にこだわるのか。

 そう尋ねた使用人たちもいたが、彼の答えはひとえに「幸せのためだ」とのことだった。

 これは商人時代から、常日頃、皆に言い聞かせていたことでもあったそうだ。

 儲けはより良い品を用意するためであり、取引は接する相手と自らの手を広げて、あまねく必要なものを、必要な人へ届く確率を上げるため。

 それがゆくゆくは幸せにつながるものでなくてはならず、自分は泣いてもいいが、相手には泣かせるな、というのが彼の信条だったのだ。


「だが、それもこれで終わりだ。これがわしの最後の泣きになろう。

 お前たちも帰って、子らへ伝えよ。わしのことは忘れて生きていけと。踏ん切りがつくのであれば空の棺で葬式をあげてもいい。

 されども、わしの身体はその中へ入れるなよ」



 一度言い出せば、それを翻すことができるのも本人だけという、彼の頑迷さ。

 ヘタにこれ以上様子を見に行けば機嫌を損ねるやもと、それ以来、使用人たちにもかのお堂へ寄ることは控えさせたのだそうな。

 そうして彼の望み通り、彼抜きの新しい生活が続いて5年あまりが経った頃。

 かの地域一帯を、強い嵐が襲った。真新しい家々にも大小の爪痕を残すほど強いもので、これにはさすがの子供たちも、お堂の様子を見に行かざるを得なかった。


 お堂の屋根は飛び、袈裟懸けに切られたかのような形で半壊していたのは、まだ理解ができる。

 しかしそのお堂の中心に座禅し、ぼろぼろの衣をまとったまま動かずにいるその物体が、まさか父親のものだとは思わなかったらしい。

 彼の肌は生前に比べてすっかり褪せてしまい、枝のように細まってしまった手足や胴体にたがわない、黄土色と化していた。表面に深く刻まれ、長く伸びる幾筋ものしわたちもまた、老木のそれを思わせていたという。

 身体もまた、硬かった。一分の肉もないように思えるその体からは、心臓の鼓動が聞こえない。息もしておらず、閉じられたまぶたは石のごとく固く、こじ開けることさえできそうになかった。


 本当に即身仏になったのかと、子供たちが息を呑む者の、やがてある人が気づく。

 父の両足の指。それぞれの親指から中指までが失われていることに。

 その切断面には、血管や神経のたぐいなど何も見えなかった。まるで同じことを石像にやったときのように、つるっとした表面がのぞいているのみだった。

 そして父がまとった衣の懐から、一枚の紙が出てくる。

 表の字は、異人たちを相手にしてきた子供たちにも理解できない文字が並んでいたが、裏面には日本語でこう書かれていた。


「私を薪として、あなたがたに売ります。代わりにあなたたちの持つ幸せを、買わせてください」



 それが読み終わるやいなや、両足の残った指のうち、薬指が同時にぽろりと転げた。

 けれど、それを目にできたのはほんの短い間だけ。傷みきったお堂の板の上へ落ちるや、それらが糸で釣られたようにふわりと浮かぶ。

 ほどなく、指先からサラサラと砂となっていくも、それらはまた床へ落ちるより先に消えていってしまったらしい。まるでその下に、大口を開けた何かが待っていたかのようにね。


 父の願いは、自らが「あなたがた」の売り物となることだった。おそらく、皆の幸せを買い取るために。

 実際、父の仏が無事の間は、大きな不幸に見舞われることはなかったという。

 しかしある代で、より確実に父の仏を守ろうとお堂を改修工事しようとしたところ、あの指と同じように、彼の身体全体がたちまちのうちに消えてしまったのだとか。


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