2-5 巫女達の井戸端会議
「ーー御影、今日は一人で作業をさせてしまって本当にごめんなさい。大変だったしょう」
夕刻。榊の木の世話を終えて自室に戻った御影を訪ねて来たのは、市井から戻った小百合であった。
「もう小百合ったら。そんなに謝らないで。本数が多かったのは確かだけど、ああいう植物の世話も好きだし、集中してやれば結構早目に終わったのよ」
「そう……? それなら良いのだけど……。でも、次は一緒に行きましょうね。私も御影の教育係としてしっかりお務めを果たさないとだもの」
尚も済まなそうに言う小百合に、御影は内心で苦笑する。
この責任感の強さは間違いなく小百合の美徳だが、あまり気を張りすぎては心にも身体にも良くない筈だ。
(昼間の斎宮殿下もそうだけれど、小百合にもこんなに気に掛けて貰っているんだもの。私ももっと頑張らないといけないわね)
そこで御影はふと思った。
(そうだ……。今日中庭で斎宮殿下達にお会いしたこと、まだ報告していなかったわ……)
榊の木々の状態等については全て報告を終えていたが、そちらについてはまだだったのだ。
(これも伝えておいた方が良いわよね……)
しかし、そう思った御影が口を開くよりも早く、小百合が言葉を口にしていた。
「ーーねぇ、御影」
「?」
「此処での暮らしはどう?」
「え? そうね……。覚えることが多くて大変だけれど、毎日新鮮で楽しいわよ。小百合も泰菜もいるしね」
「そう、それなら良いんだけれど……。此処の暮らしってどうしても縛りが多いから、今は大丈夫でも精神的な負荷が出てくると思うの……。だから辛いことがあったら何でもすぐに言ってちょうだいね」
「えぇ、有り難う。何かあった時は小百合を頼らせて貰うわ」
御影がそう答えれば、小百合は何処か安堵した様子で頷いた。
「あ、そうだわ……。ねぇ、御影。私が入っている会に今度一緒に来ない?」
「会?」
「ほら、さっきも話したけれど此処って何かと不便が多いから……。何と言ったら良いかしら……暮らしをより良くしていきましょうっていう集まりみたいなものなんだけれどね」
興味深げに小百合の言葉に耳を傾ける御影に、小百合は更に続ける。
「そこに私がお世話になっている方もいてね。とても良い方だから、御影にも紹介したいのよ。何かあった時にきっと力になってくれるわ」
「小百合……」
話せば話すほど、小百合が御影を想ってくれていることが分かる。小百合の心遣いに御影は胸が温かくなった。
(会か……。興味はあるけど、今は毎日のお務めに集中したい所なのよね)
「有り難う、小百合。会の件は少し考えさせて貰うわね」
「えぇ。勿論無理にとは言わないし、気になった時に来てくれたら良いから」
そこまで話してから、小百合が何やら思い付いた様に声を上げた。
「そうだわ。明日御影も非番よね? ちょっと珍しいお菓子を頂いたの。良かったら明日一緒に食べない?」
「え、良いの?」
甘いものに目が無い御影が食いぎみに目を輝かせれば、小百合も嬉しそうに笑う。
「勿論よ。一人で食べるより誰かと一緒に食べる方がお菓子も美味しいわ。
じゃあ御影、また明日ね」
「えぇ、また明日」
そう言って小百合が帰った後、明日のお菓子を想像して顔を綻ばせた御影だったが、結局昼間の斎宮との接触について小百合に報告出来なかった事に気付くのだった。
*****
翌日。前日の約束通り、御影の部屋ではお菓子を囲んでの女子会が催されていた。
「ん~っ。これ本当に美味しいわ。小百合に着いてきて正解だったわね」
お菓子を頬張りながら幸せそうにそう言ったのは泰菜である。廊下で菓子の包みを持った小百合をたまたま目撃し、そのまま飛び入り参加した次第である。
「もう、泰菜ったら。口に物を入れたまま喋るのはお行儀が悪いわよ」
「まぁまぁ、今は誰も見てない訳だしね。小百合もそう固いこと言いなさんな。あ、御影。お茶のおかわり貰える?」
小百合が差し出してきた湯呑みに御影が茶を注いでやれば、「有り難う~」と泰菜。
そんな泰菜に未だに不満げな小百合を見て、御影が口を開く。
「ふふ、二人とも仲が良いわよね」
「まぁ、それなりに付き合い長いからね」
「泰菜は目を離すとすぐにだらけるのよ。御影はこうはなっちゃ駄目よ」
「いやいや。時には気を抜くのも大事よ、御影~」
御影とほぼ同じ年頃の娘二人の何処か小気味良いやり取りに、思わず御影の顔がほころぶ。
(なんだか、二人のやり取りを見ていたら若葉を思い出しちゃったわ……。若葉、元気かしら……)
そんな感傷に浸る御影だったが、ふと視線を感じてそちらを見れば同僚の巫女二人がこちらを見ていた。
「どうしたのよ、御影。何か考え事?」
「このお菓子、あまり口に合わなかったかしら」
「え、そんな事ないわよ。お菓子凄い美味しいわ。何て言ったら良いかしら……二人を見てたら里に残してきた親友を思い出しちゃって……」
御影の言葉に、小百合と泰菜が顔を見合わせる。
「ーーそう言えば風の噂で聞いたんだけど、御影が四乃の郡領のご子息様から求婚されてたって話、本当……?」
「ーーっ!!?」
小百合の口から飛び出したまさかの言葉に御影は飲んでいた茶を吹き出した。
「ちょ、御影ってば、大丈夫!?」
「ご、ごめんなさい……。ちょっとむせただけだから、大丈夫よ」
慌てたように御影の背中をさすってくれる泰菜に礼を言って、御影は身体を小百合へと向けた。
「さ、小百合……何処でそんな話を?」
「え、上位巫女の間では結構噂になってる話よ。ねぇ、泰菜?」
「そうね。実は私も気になってた。四乃郡領の若君と言えば、相当な色男って話じゃない。で、どうなの?」
深緑と淡黄の瞳が好奇心の色を湛えるのを見て、御影は息を飲んだ。
「いや、求婚だなんてそんな……」
御影の脳裏に傲岸不遜な男の笑顔が浮かぶ。あの、茜色の髪と瞳。
(求婚……。確かに一応、されていたわね……)
口ごもる御影に、眼前の二人が気色ばむ。
「やっぱり本当なの!?」
「御影ってばやるじゃないの。可愛い顔して罪な女ね~」
「このこの~」と泰菜に愉快げに肘で小突かれて、御影が弁解を口にする間もなく、今度は小百合に両の手を握られる。
「待って、それならどうして御影はこの斎宮殿に? 里に愛を誓い合った人がいるなら、自分から巫女に志願なんてしないわよね。相手が郡領の若君ならば、御影の家だってそうさせるでしょうし……」
小百合の言葉に泰菜も「それもそうよね」と不思議がる。
斎宮殿の巫女とは、その生涯を斎宮殿の主たる斎宮に捧げる者である。
アシハラにおける神職最高位たる斎宮に仕えるという事から、巫女を輩出した家にはそれなりの箔と、多額の給金が与えられる。
上位の巫女に就く事が出来るのは定型的に貴族の娘となるが、生涯未婚を求められる為に斎宮殿に出されるのは基本的に政略結婚等の外交用途の無い者であるのが一般的なのだ。
二人の視線が突き刺さる中、御影の頬を冷や汗が伝った。
「いやいや、愛を誓い合うとかそんなものじゃないのよ、本当に。そもそも橘の若様の好意だって、珍しい生き物を愛でる気持ちとそうそう変わらないんだから、きっと」
「またまた御影ったら恥ずかしがっちゃって~」
「違うのよ、本当に。私、自分の意思でこの斎宮殿に来たんだから……っ!!」
(ーーいや。斎宮殿下からの書状が来たのが先だけど、でも最終的に決めたのは自分の意思だもの……。うん、嘘はついていないわ……)
斎宮殿に来て同年代の巫女達と接する中で、御影は自分の状況が特殊な物だと薄々気付き始めていた。
そもそも二人と話す中で知った事だが、通常は上位の巫女だとしても着任の際に斎宮本人に言葉を賜る事など無いらしいのだ。初日に斎宮殿下に拝謁した事も御影は結局誤魔化してしまった。
(ーーお世話になっている二人に隠し事だなんて良くないけれど、ごめんね……)
諸々の事情は伏せておいた方が良い、御影はそう判断した。
何やら急に大真面目な顔になった御影に対して、これ以上からかうのは止めた方が良いと判断したらしい二人もそれぞれ茶を啜り一息ついた。
「ごめんごめん。御影の反応が楽しくて、ついからかい過ぎちゃったわ」
「私もごめんなさい。こういう話も凄く久し振りだったからものだから……」
小百合が顔を赤くしてそう言えば、泰菜もそれに同意するように頷いた。
「そうなのよね。場所が場所だし、此処って基本的に浮いた話も無いからさ」
「あら、泰菜がこういう話に興味があるっていうのは意外ね。色気より食い気な質だと思っていたわ」
「ちょっと小百合。私だって花の乙女な訳で、それは流石に傷付くわよ」
泰菜は不満気に口を尖らせると、気を取り直す様に大きく背伸びをしてみせる。
「まぁでも、結局は私達って籠の鳥だし愛も恋もあったもんじゃないわよね。あーあ、私も一度くらいは経験してみたかったわぁ。恋ってどんなもんなのかしら」
「泰菜……」
「あぁごめん、御影。何かしんみりしちゃったわね。別に此処に来た事に後悔なんて無いし、今の暮らしも結構気に入ってるのよ。只、今後手に入らないと分かるとそれも惜しく思えたってだけ」
泰菜の言葉を御影も内心で反芻する。
斎宮に仕える巫女は生涯未婚。御影も勿論それを承知して此処に来ている。正直、里にいた時も惚れた腫れたの浮いた話よりも忍術の稽古や甘いお菓子への興味関心の方が強かった御影である。
(私もいつか、今の泰菜みたいに恋が出来ないって悲しむ様な時が来るのかしら……)
「ーーこの斎宮殿でも恋をすることは出来るわよ」
まるで御影の内心の問いへの答えの様なそれに、御影は声の主ーー小百合へと顔を向ける。
「小百合?」
御影が小百合の名を口にすれば、小百合はひどく穏やかな表情を浮かべて、髪に飾られた黒百合に触れた。
「例え結ばれる事は無くても、人が人を想う気持ちは自由なんだから」
そう言うと、小百合は「まぁ、これは私の持論なんだけれどね」と少し悪戯っぽく笑う。
「なになに、小百合~。随分意味深じゃないのよ。気になる人でもいるわけ~?」
「ち、違うわよ。今のはあくまでも斎宮殿での処世術というかね……。私の話では無くて……」
「そうなの、小百合? 私も気になるわ」
先程までからかわれていた仕返しと言わんばかりに御影がずいっと迫れば、小百合も「うっ」と冷や汗を垂らした。
「ほ、本当に何も無いのよ? ただ、この斎宮殿は私達巫女の他にも沢山の人がいるでしょう? 大勢の人がいればそれだけ出会いもあるというかね……」
「まぁ、確かに斎宮殿には郡司の男共が大勢いるしね。顔の良い奴もそれなりにいるし……あ、顔で言えば国司の奴とかかなり良くない?」
「国司っていうと、東海林幸路殿ね」
小百合の言葉に御影の脳裏に昨日中庭で対面した銀灰色の髪の男の顔が浮かぶ。
確かに綺麗な顔をしていたが、少し高圧的で近寄り難い印象を受けた。
(ーーまぁ、それは私の斎宮殿下への態度に問題があったというのもあるのだけど……)
確かに、御影の態度は巫女としての領分を越えていたかもしれない。
昨日の出来事で悶々としていた御影だが、ふいに聞こえた泰菜の声に思考の底から引き戻される。
「そうそう、その東海林なんたら。斎宮殿下の補佐って事で王都から来てるんでしょ? かなりの有望株よね」
「そうね。まだ若いし、九陰で暫く経験を積んだらいずれは王都に戻られるんじゃないかしら。有望だけど、とても厳しいと聞くわ」
「あーー、確かにそんな印象あるわ。使えない奴はばっさり切り捨てそうって言うか、そんな感じ」
「それは流石にちょっと言い過ぎな気がするけど……」
本人の居ぬ間に散々な言われ様の幸路をさりげなく小百合が擁護するが、火のついたらしい泰菜は止まらない。
「そんな事ないわよ。そもそも、東海林なんたらに限らず郡衙の奴らって上から目線な奴が多すぎじゃない? 絶対私らのこと下に見てるでしょ。特に加倉井派の奴らとかさぁ……」
「ちょっと泰菜……。気持ちは分かるけど、御影が困ってるわよ?」
小百合の言葉に泰菜が「あっ」と声を上げる。
「ーーごめん、ちょっと熱くなり過ぎたわ。それに此処に来たばっかりの御影にする話じゃなかったわね」
ばつが悪そうに言う泰菜に、御影が頭を振る。
初めて聞く内容ばかりでひたすら聞き手に回るしかなかったが、内容自体は非常に興味深いものだった。それこそこれから此処で生活する御影には重要な筈だ。
「ううん、そんな事無いわよ。私だって此処で暮らしていくんだし、情報は持っていて損は無いもの。えーと、加倉井派だったかしら……。その方達も郡司なのよね?」
「そ、そうよね。御影だって斎宮殿の巫女なんだもの。色々知っておいた方が今後の為になるわよね」
教育係としての使命感が刺激されたらしい小百合が一人納得した様に言う。
そうして一呼吸置いてから、この斎宮殿の裏事情について話し始めるのだった。
*****
この斎宮殿における頂点は斎宮であり郡領である星乃である。
そして斎宮を神事の面で支えるのが巫女達であり、郡政の面で支えるのが郡司達だ。
しかし、星乃以前の斎宮達は郡領としての責務に積極的では無かった為に、郡領に次ぐ高官が実際の郡政を担っていた。その高官が加倉井、御岳山の両者であり、それぞれが郡衙内に巨大な派閥を築いているという。
特に加倉井は九陰において古来より続く有力豪族の家系であり、郡政に携わって来た年月も永い。
「ーーだから、実際に九陰を動かしてきたのは自分達だっていう矜持みたいなもんかしらね。選民意識って言うの? 加倉井派の奴らってやたらと他を見下してる感じなのよね」
「斎宮殿にも色々な事情があるのね」
「確かに加倉井派に少し高慢な方達が多いのも事実だけれど、加倉井様本人は人望もあるし、真剣に郡政に向き合っているって聞くわよ」
「でも、郡政に参加される斎宮殿下を邪険にしてるって話じゃない?」
「それは……。やっぱり今までと勝手が違う部分が増えてくると色々と不便な部分が出てくるんじゃない? 今は軋轢があったとしても斎宮殿下も加倉井様も真剣に九陰を思って下さっているのは本当なんだもの。いずれはきっと分かり会えるわ」
「んーー? 何か小百合ったらやたらと加倉井様を庇っているけど、もしかして小百合の意中の男は加倉井派の中にいるとかぁ……?」
「ちょ、そんなんじゃないわよっ!! さっきも話したけど、あれは私の話って訳じゃないんだからねっ!?」
「え~、ほんとかねぇ。向きになっちゃって可愛いんだから~。ね、御影?」
「御影、泰菜の話を真に受けちゃ駄目よっ!!」
明らかに楽しんでいる泰菜と必死の形相の小百合に話を振られ、御影は冷や汗を垂らしつつ口の中の菓子を飲み下した。